第15話 笑顔
(余計なこと考えてないで、järviのロゴの資料まとめなくちゃ…)
「お、なんか豪華などら焼きあるじゃん。」
水惟が難しい顔でパソコンに向かっていると、いつの間にか事務所に戻って来ていた啓介が言った。
「いただきー♪」
「あ!アッシー!そのどら焼き、超レアだからちゃんと味わって食べて!!」
無遠慮にどら焼きを手に取った啓介に、水惟が焦って声をかけた。
「え、何?
「いい?これは木菟屋の生どら焼きっていって、完全予約制で数量限定なの!だから滅多に食べられないんだよ。」
どら焼きの入った箱を前に水惟が得意げに説明する。
「ふーん。で、なんでそんなもんが
「………」
水惟の態度を見て、啓介は来客予定が記入されたホワイトボードを見た。
「ああ、深山さんか。」
啓介がニヤリとした。
「これも水惟の好きなお菓子なんだ?」
見透かしたように言う。
「…人気のどら焼きなんだから、好きでも不思議じゃないでしょ…」
「それはそうだけど、水惟のためにわざわざ予約して買ってきたってことだろ?」
「そんなんじゃ…なぃ、と…おもう…」
今までなら「そんなんじゃない」と強く否定していた水惟がしどろもどろで否定するのを見て、啓介はまたニヤッとした。
「なんかあった?」
「なにも…。とにかく、貴重な木菟屋だから味わって食べて。それだけ。」
目を逸らしてそう言うと、水惟は自分の席に戻って行った。
(答えはもらえなかったけど…多分、きっと、私が好きなお菓子を選んで手土産にしてる…気がする…)
パソコンに向かいながら水惟はまた先ほどの蒼士とのやり取りを思い出して、蒼士の行動をどう捉えたら良いのかわからない戸惑いに、困ったように眉を八の字にし頬を赤らめた。
———はぁ…
***
「ロゴ見せるの楽しみだね。湖上さんもきっと喜んでくれるよ。」
電車の窓から午後の日差しを受けながら、蒼士が穏やかな笑顔と口振りで言った。
この日、水惟はまた蒼士と二人でjärviに向かっていた。
この日は蒼士が別件のアポを済ませてからjärviに行くことになっていたため、車ではなく電車に揺られている。二人はドアの側に立って、窓の外を眺めながら会話をしていた。
「…はい。」
蒼士が自分を嫌っているわけではない、と聞いてしまったせいで、水惟は自分の立ち位置がよくわからなくなってしまった。嫌われていなくても二人は離婚しているし、別れると言い出したのは蒼士だ。
「そういえば、もうすぐ夕日広告賞の授賞式だね。」
「…はい。」
「水惟、スピーチするんだよね。」
「………」
水惟はスピーチのことを思い出して、肩に力が入った。
「昔からそういうの苦手だったもんな。」
蒼士は緊張する水惟に笑って言った。その何気ない笑顔に胸がギュっと掴まれてしまう。
「…スピーチがまだうまく…まとまってなくて…」
水惟がボソッと言った。
水惟が会話を続けようとしたことに、蒼士はどこか安心したような嬉しそうな顔をした。
「そんなに難しく考えなくて大丈夫だと思うよ。」
「この度はロゴのご依頼ありがとうございます。」
湖上に会うと、水惟はまずお礼を言ってペコリと頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ。受けていただいて。」
湖上が笑顔で言った。
「この際だからロゴも新しくしちゃおうかしら〜ってポロッと言ったら、深山さんがその場でSUIさんの過去のロゴの事例を見せてくれて。」
「え…」
「どれもすっごく良い感じで、この人ならうちの雰囲気に合うロゴを作ってくれそうだ〜!って思ったので、是非!って。」
——— 湖上さんがぜひ水惟にお願いしたいって言ってくれてるんだ
蒼士の言葉に嘘は無いが、そのきっかけを作ったのが蒼士だという事実は聞かされていない。
「過去の事例をその場ですぐ…」
「個人的にも藤村さんのデザインが好きなので、生川さんにお願いしてタブレットにいくつかまとめさせてもらいました。」
蒼士が営業マンの顔で言った。
「…そう、だったんですか…」
“カフェやホテルのデザインをしてみたい”という水惟の夢を覚えていた蒼士が取ってくれた仕事だと意識し、水惟はまた気持ちを騒つかせた。
「…ありがとうございます…」
水惟が俯きがちに蒼士に言った。
「絶っっっ対この赤いロゴがいいです!手描きっぽさがナチュラルな雰囲気で超かわいいです!」
湖上が選んだのは自分が要望したものではなく、先日蒼士に説明した赤いロゴだった。
「えっと、ご要望にお応えしているのはこちらとこちらですが…良いんですか?」
水惟が聞いた。
「はい。私みたいなデザインの素人が考えたようなコンセプトを飛び越えた素敵なデザインだと思います!それに、SUIさんがjärviを見て、お茶をして、お客様目線で感じてくれたことが反映されているところが嬉しいです。このロゴが入ったショップカードとかメニューとかナプキンとか…想像しただけですごく素敵になりそ〜!」
湖上にニコニコと、
「そんな風に言っていただけて、デザインさせていただけて良かったです。」
水惟も満面の笑みで言った。
蒼士はそんな水惟の様子を、嬉しそうにも寂しそうにも見える複雑な笑顔で見ていた。
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