第16話 水惟らしいスピーチ

「…あの…っ」

日が暮れたjärviからの帰り道、水惟は前を歩く蒼士に思い切って声をかけた。

「ん?」

「あの…えと…時間大丈夫だったら、お茶…しませんか…?」

水惟の意外な言葉に、蒼士は驚いた表情を見せた。

「あ…忙しかったら大丈夫です…急に変なこと…」

「いや、今日は直帰の予定にしてるから大丈夫だよ。」

気まずそうな水惟に、蒼士は微笑んで言った。


(この人とちゃんと話さなきゃ…何もわからない…)


水惟は思い出せない4年前のこと、とくに離婚の理由をはっきりさせたいと思っていた。


二人が訪れたのは【El aguaエル アグア】という、カウンター席がメインのカフェというよりは喫茶店やバーという雰囲気の店だった。

店内にはコーヒーの香りが漂い、程よい音量のジャズが流れているのでカウンターでも周りを気にせず会話がしやすい。二人はカウンター席に隣同士で座った。

「aguaブレンドと紅茶を。紅茶にミルク、付けてください。」

蒼士がカウンター越しに注文した。

「チーズケーキあるけど食べる?」

水惟は首を横に振った。

しばらくして飲み物が提供されると、水惟はひとくち口に含んだ。

(………)

どう切り出したものか…と悩んだが、ストレートに聞くことにした。

「…あの…深山さんに聞きたいことがあって…」

「…うん。」

蒼士は水惟の方に上半身を向けた。蒼士にはなんとなくその先の質問がわかっているようだ。

「この前…私のこと、嫌いじゃないし嫌いにならないって言ってたじゃない…?」

「うん」

「それに…彼女も奥さんもいないって…」

「うん」

言葉を発する度に、水惟は頭が重たくなるような気がした。

「…私、うまく思い出せないの…その…私たち…どうして離婚したの…?」

「………」

蒼士はしばらく無言で何かを考えているようだった。

「それは…水惟が自分で思い出せないなら、思い出さなくていいことなんじゃないかな。」

「え…」

「水惟が何をどこまで覚えてて、思い出せないのかわからないけど…あの頃のことは思い出さない方がいいって、水惟の頭が思ってるんだよ。」

「…でも…」

水惟は困惑した表情になる。

「水惟自身が思い出してない状態で、俺が一方的に言ったことなんて信じられる?」

「それは…」

「水惟が言った通り、俺は水惟を嫌いじゃない。どちらかが嫌いになったわけでも、どちらかに他に好きな相手ができたわけでもないよ。俺から言えるのはそれくらいかな。」

「そんなの…変じゃない…?」

(離婚の理由が無いじゃない…)

それに、水惟の脳裏に時々チラつく記憶は円満とは言い難い場面ばかりだ。

(……家柄とか?…だったら最初から結婚してない気がするし…)

ますますよくわからなくなってしまった。

「それより水惟、スピーチが上手くまとまってないって言ってたけど。」

「え…」

蒼士はあからさまに話題を逸らした。

「もうあんまり日がないけど、大丈夫?」

「う……あんまり大丈夫じゃない…です」

離婚の話も気になるが、こちらは直近の懸念事項だ。

「良かったら見ようか?」

蒼士は家柄と立場のせいか、昔からスピーチや挨拶に関しては場慣れしていて内容も喋りもとても上手い。

「………」


水惟がスマホに保存していたスピーチの下書きを蒼士に転送して読んでもらう。

(…4年前のこと聞くはずだったのに、なんでスピーチの添削会になってるの…?)

軽く自己嫌悪するように心の中でつぶやいた。

「………」

蒼士は水惟のスピーチを真剣に読んでいる。無言の時間が妙に重たい。

「あ、えっとそれ、スピーチのお手本のサイトとか、過去の受賞者のスピーチなんかも読んで…それに、アッシーにも聞いたりして…」

「葦原くん?」

蒼士がスマホから水惟に視線を移した。

「う、うん。言葉のプロだから、教えてくれるかなって思ったんだけど…なんかふざけてばっかりで全然教えてくれなくて…アッシーってなんかいつもそんな感じで…」

「ふーん…仲良いんだな…」

営業の時には絶対に見せないような冷めた表情でつぶやくと、またスマホに視線を戻した。


(真剣な顔…)


(この前も思ったけど…)


…スキ ナ カオ…


水惟はハッとした。


(“好きだった”でしょ?何考えてるの、自分…元夫に対して…)


「別に悪く無いよ。」

蒼士に言われ、思わずドキッとする。

「えっ!?」

「えっ…て、そんな驚く?スピーチ、よくまとまってるよ。」

「あ、あぁ、スピーチ…」

(心の声が漏れてたかと思った…)

水惟は自分を落ち着かせるため、ティーカップを口に運んだ。

「…でも、水惟らしさは無いかな。いや、逆に水惟らしいか。」

「…なにそれ、どういう意味?」

不思議そうな顔をする水惟に、蒼士は笑って理由を説明する。

「大きな広告賞の受賞スピーチだから、きちんとした大人っぽい文章にしようって思っただろ?」

「…うん。」

図星だった。

「そういう意味ではきちんとしてて悪くないよ。水惟の真面目さが出てるところは水惟らしい。」

「………」

「でもさ、スピーチって水惟が思ってるほどみんなは聞いてないんだよ。」

「え?」

「最初から最後まで真剣に聞いてくれるのなんて、水惟のことを好きな人、水惟に関心がある人、水惟のデザインが好きな人くらいだよ。」

「え、そういうものなの…?」

蒼士は頷いた。

「水惟はこのスピーチで何を一番言いたい?」

「えっと…リバースの人たちへの感謝と…デザインが好きだからこれからももっともっと頑張りたいってこと…かな…」

「だよね。だったらそれをもっと、水惟らしい普段の言葉で伝えたら良いんだよ。こんな背伸びした文章じゃなくてさ。」

蒼士が柔らかな笑顔で言うので、水惟の心臓がまた反応してしまう。

「…そんなんでいいのかなぁ…」

「今日、湖上さんがなんで赤いロゴを選んだかわかる?」

「え…?」

「あのロゴが一番良いデザインだったってのがもちろん一番の理由だろうけど…あのロゴをデザインするときに水惟は水惟なりにjärviのことを考えて、その気持ちをちゃんと込めて—」

蒼士が自分のデザインの話をするのがなんだか懐かしくてくすぐったい。

「それを今日、水惟の言葉で湖上さんに伝えたからあのロゴが選ばれたんだよ。」

「そ、そうなのかな…」

水惟は照れ臭そうにポツリと言った。

「何よりデザイナーにはデザインがあるから、それを見れば難しい言葉を並べたスピーチよりも水惟の素晴らしさが伝わる。どんなに背伸びしたってバレちゃうんだから、スピーチはデザインと同じ“水惟らしさ”で良いんだよ。」

(そういえば、ナチュラルに“素晴らしさ”とか言えちゃう人だった…)

蒼士の言葉に、水惟は肩の力が抜けたような気がした。

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