第8話 べつに

「今から試し撮りするけど、水惟のイラストって写真があったら参考になる?」

järviのカフェで一眼レフを手にした芽衣子が聞いた。

「んー今のところカフェで具体的に何かしてるイラストとかは予定してないんだけど、写真があったらそこからインスピレーションが湧くかも。」

水惟は根幹のコンセプトだけをしっかり決めて、デザインは進行しながらインスピレーション次第で柔軟に変えていくタイプのデザイナーだ。

「よし、じゃあ水惟、モデルやって。」

「え…」

水惟はあからさまに嫌そうな顔をした。

「も〜昔もやってたでしょー?」

「昔だってだったよ…」

こういうテスト撮影のモデルは、デザイナーだろうがディレクターだろうが、その時にいる人間が協力する。

「水惟は本当に目立つの嫌いだね〜べつにどこにも発表しないんだから!はい、座って座って。ウダウダやってたらお店の迷惑になるでしょ。」

芽衣子に押し切られ、水惟は渋々カフェの隅の席に腰を下ろした。


「はい、水惟、目線こっち—」

「次、手元見る感じで—」

「ちょっと上向いてみようか、木を眺める感じで—」

「カップ 口に当てて—」

芽衣子は次々にカットを変えてシャッターを切っていく。やりたがらないだけあって、水惟の笑顔はぎこちない。


「じゃあ次、カレシ登場しよっか。」

しばらく水惟を撮っていた芽衣子が言った。

「?え…?カレシ…?」

「深山さん写れます?」

「え!?」

芽衣子が蒼士に聞くと、水惟が驚いた声を出した。

蒼士はチラッと水惟を見て、その不安そうな表情かおに小さな溜息をく。

「さすがに遠慮しとく。」

「ですよね。調子乗りました!」

芽衣子は「てへ」という顔をした。

「じゃあアッシー入って。」

芽衣子が今度は啓介に言った。

「おっけー」


啓介は水惟とは違って堂々としたモデルぶりを披露した。

「アッシーってモデルとかしてたの?」

カメラ越しに芽衣子が聞いた。

「アマチュアカメラマンの友達のとか雑誌のストリートスナップ程度ならやったことある。」

「へぇー身長タッパあるからになるね。今日の水惟とファッションが合ってるからカップルっぽさ出てていい感じ。ふふっ。ちょっと水惟の髪撫でてみて。」

(……メーちゃん、余計なことばっかり…)

水惟は蒼士のチクチクと刺すような視線を感じていた。

(あの人、こんなおふざけ写真撮ってるから内心イライラしてるんじゃない?)


「水惟ってさあ—」

カップルの設定で水惟の隣に座った啓介が、水惟にだけ聞こえる程度の声で話しかけた。

「ん?」

「全然男っ気ないし、そういう話題にも乗ってこないから、男が苦手なのかと思ってたんだけど。」

「…べつに…普通、だよ。」

水惟は俯き気味に言った。

(あれ以来そんな気になれないけど…)

「でもそんな水惟に人妻だった期間があったなんて、なんつーかギャップがエロいよな。」

「…は!?」

水惟が驚いて顔を上げた瞬間


—チュッ


啓介は水惟の頬にキスをした。

「—!?ち、ちょっと!」

何が起きたか理解すると同時に、水惟が蒼士の方を見ると


—バチッ


と、唖然としたような表情の蒼士と目が合って思わず急いで目を逸らした。


———プッ

「水惟と深山さんて本当に別れてんの?さっきからお互いすっげー気にし合ってんじゃん。」

啓介が笑いながら言った。

(………)

「…仕事中にふざけた写真撮ってるからイライラしてるだけだよ…」

「深山さんが?」

水惟は頷いた。

「ふーん…じゃあ水惟は?」

「え?」

「水惟はどういう気持ちで深山さんのこと気にしてんの?」

「どうって、べつに…」

「なーんか、“べつに”って感じじゃないけどなぁ?」

「…アッシーは、私たちのこと知らないから…」


——— 水惟のことはもう好きじゃない


「…私だって、もう好きじゃない…」

「ふーん」

啓介は何か言いたげに話を終えた。



「じゃあ今日の写真は後で共有するね。」

撮影を終えた芽衣子が言った。

「ありがとー」

「メールって水惟とアッシーだけでいい?生川さんにも送る?」

「うん、一応洸さんも入れといて。」

「了解。じゃあ今日はこれで終わりですか?深山さん。」

「ああ。次回は本番の撮影お願いします。」

「了解です。」

芽衣子はカメラや機材を片付けて帰り支度をした。

「あ、そうだ水惟、LIME教えてよ。」

芽衣子が思い出したように言った。

「あ、うん!」

「会社辞めた途端にLIMEも電話も変えちゃうんだもんなー。まあ生川さんのとこにいるってわかってたから安心だったけど。」

水惟はバツが悪そうに「はは…」と苦笑いした。

「冴さんも誘って飲みに行こ。」

「うん。」

「俺もメーちゃんのLIME知りた〜い」

啓介がふざけて女子っぽい口調で言った。

「アッシーは清々しいほどチャラいね。」

芽衣子は呆れながらもLIMEを交換した。

「こんなチャラいヤツにコピー頼んで大丈夫?」

芽衣子が水惟に聞いた。

「アッシーってこんなだけど…コピーライターとしては超優秀だから。夕日広告賞のコピーもアッシーだったし。デザインもできるし。」

水惟が言う横で啓介がピースした。



「深山さん、なんかイラついてます?」

蒼士と芽衣子は機材を積んだ車で一緒に深端の本社に戻ろうとしていた。

助手席の芽衣子が蒼士に聞いた。

「べつに」

「ほら〜!行きより明らかに無口だし。」

「………」

「どこで?やっぱりアッシーが水惟にキスしたところ?それとも水惟のLIME聞きそびれたところ?あ、アッシーが水惟に褒められたところ?」

芽衣子はどこか嬉しそうだ。

「………」

前を見たまま無言の蒼士は、平静を装ってはいるが不機嫌そうだ。

「水惟のLIME、深山さんに教えていいか聞きましょうか?」

「絶対断られるだろ…」

蒼士はボソッと言った。

「えー深山さんでもそんな弱気なこと言っちゃうんだ〜」

「…だいたい…水惟が思い出さなきゃ何の意味もないんだよ…」

ニヤニヤする芽衣子に、蒼士はヤケクソ気味に溜息混じりでつぶやいた。

「なんかよくわかんないけど、複雑なんですね。」

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