第134話 「錯乱と狂騒」
「キョウ君…………抱いて?」
その声を聴いた瞬間、一瞬理性が飛んだ。
本能的に彼女の唇を奪おうとした。
「……ぉねぇちゃん」
か細く聞こえた言葉。それが脳裏にこびりついた。
だから見えた。
ベッドの上部に置かれたそれが。
彼女の言葉がなければ、見えなかった。
いつも彼女が愛用するリップクリーム。
【意外と乾燥しやすいんですよ私……誰かさんが頻繫に求めてくるからでしょうかね】
彼女はそんな憎まれ口をよくたたいてきた。
とっさに舌を噛み、痛さで本能を拒絶する。
真下では、涙を浮かべ目をぎゅっと閉じる橘さんの姿。
「……っ」
誰もこんな姿見たいわけじゃない。
急いで窓を開けて換気する。
酩酊した感じのする頭を、壁に思い切り打ち付けはっきりさせる。
頭からぬるっとしたものが流れた気がするが気にしている余裕はない。
さっきよりは幾分か頭がすっきりとした。
「はぁはぁ……ッ」
まだ少しくらくらする。
……だけど休んでいるわけにはいかない。まだすることがある。
あの時も確かあったはずだ。
部屋中を探し回れば……あった。
ないでほしかったものが。
カメラが何台か仕掛けられていた。
屋上の時と同じように。
橘さんはまだベッドで寝転んだまま。
その眼はこんな状況にも関わらず、落ち着いて見えた。
さっきまでの涙目は見えない。
「橘さんこれはどういうことか……説明してもらってもいいかな?」
「説明って何のことをー?その手元にあるカメラのことなら私は知らないよ」
「知らない……ねぇ?じゃあこの甘い匂いと俺の部屋に勝手に入ったことは?こんなこと普段ならしないいね?」
「甘い匂いはムードを盛り上げるため……キョウ君そんな怖い顔しなくていいじゃーん。許嫁の部屋に入ることってそんなに変なことかなー?」
「一般的な許嫁なら変じゃないよ。だけど、俺たちはまだそんな仲になってない……だから変なんだよ橘さん」
「先生も宝生さんも最近キョウ君に対して積極的じゃーん?今日とか足にそうだったし、だから二人に対して焦ったんだよ……このままじゃ私の正妻の座も危ういなぁって──だから肉体関係をもてば情が沸いてくれるかなって……他の人みたいにさ」
なるほどね。
言い分としては筋が通っているようにも見える。
その情報を誰から聞いたのかも、気になるけど。
「焦るも何もまだ始まってもいないでしょ、焦る様な段階じゃないと思うけど……まぁ水掛け論はやめよっか。じゃあこのカメラとか仕掛けたのも橘さんじゃないんだね?こないだと今日橘さんと話すとカメラが設置されてるんだけどそれも気のせいかな」
「まぁそういうこともあるんじゃないかなー?雨時々槍が降るみたいな?」
「そんなことあったらたまらないんだけどね」
「……まぁまぁいいじゃん?これでキョウ君は後顧の憂いもなくなったわけでしょー?このまま私を襲っちゃえば、さ?」
橘さんは俺の腕を引き、俺をまたベッドへと引き寄せてくる。
「こんな状態のまま?」
「うんそうだよ、据え膳喰わぬは何とやらってやつでしょ?」
会話はいつも通りの軽薄さがあるのにも関わらず、行動がやけに強引でいつもの空気を読む橘さんとは何かが違う。
橘さんの会話と行動にちぐはぐさを感じる。
まるで抱いてくれないと困るとばかりに。
言葉の端々に焦りを感じる。
これは決して恋とか愛とかそういう感情からくるものじゃない。
勘違いのしようもない。これは俺のことが好きだからとは違う。
そんな青ずっぱい青春みたいな感情じゃない。
(抱かれなきゃいけない、そんな切迫感を橘さんから感じさせる)
橘さんの顔は表情こそ笑っているけど、でも目はずっと一緒で。
全てを諦めたような目をしていた。
何とか聞きださないといけない。
誰に何を言われたのか、目的はなんなのかを。
なんとしてでも。
でもその前に一つ言わないといけない。
「俺は今橘さんを抱く気はないよ」
ここだけははっきりとさせておく。
「な、なんでかなー?私こう見えて魅力的だと思うよ?ぬ、ぬごっか?」
彼女はバスタオルをそういってはだける。
その先にはもう下着しかつけていなかった。
確かに煽情的で魅力的だ。
だけど……
「好き同士でするのは最高だしもちろん受け入れる。仕事なのも是非は置いておいていいと思う。でも望んでもなくやるのは違うんだよ。今の橘さんは望んでもないでしょ?」
「望んでるよ!」
「それ位わかるよ、好きな時にはねそんな強がるような顔しない……ッほら服着て?」
立ち上がり、ふと足がよろけた。
その拍子に何かのスイッチを押してしまう。
俺の部屋のベッドはハーレムを何人も寝ることを想定しているのかキングサイズのベッドになっている。
どこぞの貴族かと思わせるようなある種の仕掛けが施されていてしそれを作動させてしまったらしい。
普段はムードを作るとときくらいにしか使わないから忘れてた。
使うのもそれもたまにだし。
「……ひっ」
作動した瞬間彼女は徐に顔をひきつらせた。
天蓋付きのベッド、そのカーテンが自動で全部閉めきられる。
橘さんに服を着せていく。彼女は抵抗もせずに着せることができた。
そして気づいた、彼女の肩が震えていることに。
がたがたと奥歯が鳴るほどに。
「……ッ」
彼女はベッドに座り込み、ガタガタと身体を震わせている。
「橘さん?」
肩をしっかりとつかんで話を聞こうとする。
だけどそれは俺の想像以上だった。
「ひっ……ッごめんなさいごめんなさいもう悪いことしませんからごめんなさい許してください」
彼女はひたすら謝るだけ。
なんだ、なにが勝った?
「橘さん……どうし……あッ」
カーテンで閉め切られた空間。
暗所。
前も確かこうなった。
前は取り繕う余裕が橘さんにはあった。
だけど今は?
俺相手に夜這いを仕掛けて来て失敗した。
いわば俺も安心できる存在じゃない。
つまり……今はトラウマをぶり返してもおかしくない。
橘さんは頭を抱えていやいやと首を振る。
「ごめんなさいごめんなさい抱いてもらえることができずごめんなさい、ちゃんとするから。次こそはちゃんとするから」
「橘さん落ち着いて」
「いやいやいや痛いのはもうやっ暗いのはもういやなの!!」
まずはこの場を何とかしなきゃいけない。
スイッチを押して、カーテンを開く。
だけど以上に進むのが遅い。その間も彼女の悲鳴は続く。
「私は唯一の娘だからちゃんとしなきゃ、私が家族の仲を裂いちゃったから……そしたらお父さんも戻ってくるんだから、だからちゃんとしなきゃしなきゃいけないのに!失敗した失敗した失敗した──」
「──お母さんの言うとおりにやったのに……失敗しちゃった、このままじゃだめだ」
カーテンが開き切った瞬間に、部屋の明かりをつけるにはしる。
橘さんの顔は真っ青で涙が漏れ出していた。
「あ、キョウ君……ねぇ抱いて私を抱いて?そうじゃないと怒られるちゃ……う」
目の焦点が俺にあい、そして止まった。
今度はなんだ?トラウマは一応……
「血……血だ……血は嫌……嫌なの」
一時は落ち着いたかと思ったのに、さっき以上に錯乱する橘さん。
「嫌……嫌……いやぁぁぁ」
橘さんは服を着ながら悲鳴を上げ、そのまま外へと駆け出していく。
「ちょっ橘さんっ!」
部屋を飛び出していく橘さんを、服を慌てて着て、追いかける。
俺がもたついている間に橘さんが階段を駆け下りて、玄関を開けたらしい。
「ちょまっ」
走ろうとしてよろける。
めまいがして前に進まない。
「もうこんな夜更けになにー?」
「少し騒がしいですね」
俺らが騒いでいることに気づいて2階の部屋からは紗耶香さんと莉緒さんが出てくる。
「ちょうどよかった、二人とも、橘さんが外に……」
2階にいる二人に声をかける。
視界がぐらついたままだけどそんなことは気にしてられない。手すりに寄りかかって何とか態勢を立て直す。
今の彼女は正常な判断ができるとは思えない。
「え、橘さん?……ってどうしたのその怪我!」
「黒川!急いで周囲に人を……恭弥さんまずは落ち着いて怪我の手当てをしましょう」
「そんなことは良いから……」
歩き出そうとして、つんのめった。
あ、やべ
視界がふとスローモーションになって……。
「キョウ様落ち着きましょう」
誰かの胸に当たって転倒するのは防げた。
いつもの匂いがする。
「……まずは治療ですよ」
「だけど──」
「──だけども何もありません!……まずは治療です、いいですね?」
目の前にはいつものクールな表情をした花咲凛さんがいた。
有無を言わせぬ迫力に俺は思わずうなずいた。
橘さんはどこかへといなくなっていた。
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いつも読んでいただきありがとうございます。
前回の話よりサポーター様向けに、1話分先行公開しております。
サポーターになっていただいた方ありがとうございます。
こうしたのは長年サポートしていただいている方に何もできてないなぁということで先行公開を導入しました!
続きが気になりすぎる、という方はそちらを導入いただくのもありかもしれません笑
(無理はしないでください)
今後もSSみたいなものもサポーター様向けに書く予定です。どういった話が読みたいかなどあれば気軽に感想ください!
では次回135話で。
いつも読んでいただきありがとうございます!
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ではまた次回。
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