第95話 「白石彩香という女」
椎名さんと会ってから2日が経ったけど何も進展はなかった。
基本的な方針として、秋月さんの精神面のフォローをするといったものの、いきなり紗耶香さんや橘さんが行っても弱みを見せれないかもしれない、というか強がる可能性の方が高いとのことでまずは俺が行くことになった。
まぁ俺も教え子といえば教え子だけどすでに一回泣き顔を見せているのでまだ可能性はあるんじゃないか、と。
可能性といっても誤差にちかいかもしれないけど。ただ誤差でも可能性は高い方がいいから俺もうなずいた。
「はぁ……」
ただ実際の結果は芳しくなかった。
顔を見れたのはあの雨の日だけ。それからはみれてない。
マンションに行っても、
「話すことはないわ、帰って」
すげなく追い返されるだけ。
ただ否定の言葉を伝えてくる彼女の声は鼻声で、時間が経つにつれ声がかすれていっているのを聞くと、二日間泣いて悲しんで、後悔しているのがわかる。
「……そりゃそんなすぐ割り切れるわけないよな」
この2日間話さえもできていない。
もしかしたらこういう時こそ同性の方が話しやすかったりするのかもしれない、しかも事情を知らない人の方がなおよい。
秋月さんはきっと今事情を知っているような人に打ち明けることはむずかしいだろう、それは俺含めて。
なにも知らないからこそ気軽に話せるってこともあるし。
「でもそんな都合良い人……いるわ」
そんな人物を俺は一人知っている。
あの人の陽だまりのような雰囲気は今の傷心した秋月さんを癒してくれるかもしれない。
「ちょいお願いしてみるか」
体調も悪くないと聞いているし。
俺の許嫁を紹介して、とかも言ってたしいいかもしれない。
まぁ正確には元許嫁だけど、まぁ事情を話せばいいだろう。
早速スマホで連絡するとものの数分で返事が帰ってくる。
その返事に対して返信を入力していると──
「歩きスマホはあまりお勧めできないなー?だって──」
隣からふわり、とバニラのような香りがした。
最近嗅いだ匂い。
「危ないお姉さんに後ろから襲われても気づけないからね」
いつもと変わらない穏やかな口調。
前に会った時と同じで艶があってしかも意味深に、大人の色気と余裕を感じさせるその口調。
後ろを振り向かなくても雰囲気で誰かわかる。
「危ない女性なんですか?……彩香さんは」
「さて、どうかしら」
のらりくらりと答えてくれない。
振り返れば、彩香さんはいつもの白衣を着たような服装じゃなかった。
白衣とは真逆の、黒いパンツスーツを身に着けその上からはさらに真っ黒なコートを羽織っている。
「まだ二人の時は彩香って呼んでくれるんだね?お姉さんうれしいなー」
にこっとほほ笑む彩香さん。この感じも前と同じまま。
「……そんなことはどうでもいいでしょう。それでなぜ今俺の前に?」
本当に会わなきゃいけないのは俺なんかじゃないはずだ。
そんな皮肉を込めた言葉だった。
「前みたいに軽い話に付き合ってくれないのね……ま私も時間ないからちょうどいいけど。今日来たのはね、さよならを言いに来たんだよ君に」
時間がない?なぜ?
さよならを言いに来た?おれに?
「今ちょっと追われる立場になっちゃってね、あんまりゆっくりしてられないの」
終われる?
「時間がない……ですか? どこに?どうして? なにかに追われているようなしぐさですね、時計を確認したり周囲をみたりどうしたんです?そもそも──んむっ」
まくし立てる俺に自身の人差し指を当てて、言葉を止める彩香さん。
「焦らないの、焦ったら失敗するわよ? 物事は慎重に、それでいて大胆にやらないと。それに質問が多い子は嫌われちゃうわよ、恭弥君」
俺が押し黙ったのを見て、彼女がゆっくりと人差し指を放す。
「落ち着いた?」
「……ずっと落ち着いてますよ」
腹は立ったままだけど。
「ふふ、そう? ならいいんだけど」
彼女は俺の自宅の方へを連れて一緒にいていく。
「なんでここにいるんですか?彩香さんは」
「ここにいれば君が来てさよならを言えるんじゃないかなーってなんとなく思ってね? 以心伝心ってやつ?」
「俺と彩香さんはそんな関係じゃないでしょう?……それに以心伝心するべきなのはさよならをちゃんと言うべきなのは俺じゃないでしょ」
「怒ってるの?」
「は?」
「彼女のために怒ってるの?」
彼女、というのは秋月さんのことだよな。
「なんで怒ってるの?彼女は恭弥君に対して正直ろくなことしてないよね? 直接的な害とまではいわなくても間接的に嫌な事したりしたでしょー? そんな女が苦しんでるんだよ? 喜びこそしても怒るなんてどうして?それともそういうので興奮するタイプなのかな?」
俺が秋月さんのために怒ってることをおもしろいものを見たかのように嘲ってくる。
どうして怒っている、か。
「人が裏切られてるのを見て喜ぶほど腐ってないつもりですよ。そりゃあなたの言う通り最初は良い思いはしませんでしたけどね、でも結局最後まで秋月さんは結局害を与えてないんですよ。彼女の人となりを知ったうえではただ不器用なだけだった。秋月さんが実は葛藤していたのも今は知ってる。俺には俺の事情があるけど秋月さんにだって事情があっただけの話で。2か月くらい一緒の家にいるんです、勝手に親近感わいてもおかしくないでしょう」
「……そうなのかしらね?単純接触効果ってやつも馬鹿にできなものね。……心のうちは結構単純でちょろいよね恭弥君」
単純接触効果、確かにそうなのかもしれない。
何度も接触を繰り返すことで好意的に解釈しやすくなるってことだったはず・
NAZ機関はそれもきっと狙って同棲させてるんだろう。
「ええ自分でもそう思いますけど、それが何か?」
だけど別にそれが悪いとも思わないけど。
それえより彩香さんは俺をおちょくってどうしたいんだ?
「勘違いしてるかもしれないけど別におちょくってないわ。 そうやって人のために怒ってあげられるところが恭弥君のいいところだなって……そしてそんな君を捨てて私を選ぶなんて馬鹿なことを彼女はしたなって思っただけ」
「……なにがいいたいんですか?」
「ふふ君でよかったよ本当に……」
意味深に笑顔を見せる彩香さん。
なんでそんな優しい笑顔を浮かべているのか俺には全く理解できない。
何が言いたいのかも全くわkぁらない。
「……さてじゃあ何が聞きたいのかな? 時間は限られてるけど」
なんでも答えてあげるよー、と後ろ向きで歩きながら楽しそうに話す彩香さん。
「……じゃあなぜいきなり消えたんですか?」
「消えてないわよ?一応手紙は残したし」
「いきなり消えるって書いたことですか?あんなのないのと変わんないでしょう。 あんな紙切れ1枚で関係を終わらせられるようなそんなに薄い関係じゃないでしょ二人は!」
「そっか恭弥君も読んだんだあの手紙。……私たちは薄い関係だよ ?あそこに書いたまんま、仕事だから彼女の隣にいただけ。この2年全然楽しくなんてなかったわ?」
彩香さんは笑顔のまんまだった。
さっきと表情が何一つ変わっていない。
「彼女のつんけんした行動も、人を頼れない不器用な生き方も。あの子君が言う以上にすごい不器用でね、そんなあの子の懐に入るのは苦労したのよ? 一緒に仕事して何とか心に取り入ったけどね」
「体育祭の話ですか……」
「そ、あの子から聞いたの? そうよあれ正直に言っていいかしら、すごく面倒だった」
笑顔だった彼女は顔をしかめる。
めんどくさかったなぁ、としかみえないそんな表情。
「彼女は頭硬いから周りとは問題起こすしね、こんな子を恋愛できるようにするなんて正直無理かなぁって思ったわよ。 普段対象と恋愛関係になるなんてしないのに私がそうしたんだから。……私の苦労わかるかしら?」
「……すべてが演技だったってことですか?」
秋月さんとのすべてが。
「ええ。彼女も馬鹿な選択をしたわよねぇ……親でもなく、貴重な男性である君でもなくて、こんな私を選ぶなんて、ね」
秋月さんの行動が理解できない、とでもいうように首を振る彩香さん。
まるでわたしなら違う選択肢をとるとでも言いたげだ。
「じゃあ秋月さんとの時間は、思い出は、全部嘘だった、とでもいうんですか?」
自然と語気が強まる。
「いうわよ? 仕事だからしただけ」
「あなたは人の気持ちを何だと!」
「……そう思うならあなたが彼女の心を癒してあげれば? 私には関係ないし」
冷めた目をしてた。なんの感情も表面上は感じさせない。
もう彩香さんの中では秋月さんのことは興味がないということか……本当に?
なるほどなるほど。
落ち着け俺。
「そんなことよりもっと他に聞かなきゃいけないことあるんじゃない? 時間は限られているといったでしょう」
そんなことよりも、ね。
「ッ! そうですねこれ以上秋月さんのことをあなたと話しても意味がなさそうだ」
「感情的に流されないのはさすがね? 冷酷に九頭竜を社会的につぶしただけあるわ」
「……そのことを知っていたのもあなたがNAZ機関の協力者だったからなんですね」
「もうやめたけどね」
それは椎名さんに聞いたとおりだった。
「なぜやめるんです?」
「そりゃいつまでも仮の組織にいてもしょうがないしね。今まで通り裏の仕事に戻るわ」
「……ユーチャリスの……ですか?」
「あらユーチャリスのこと知ってるのね……あぁ灰崎がしゃべったのかしら? それとも宝生家のお嬢様かな? まぁどっちでもいいけど」
「彩香さんがしなきゃいけなかった本当の任務は、ユーチャリスに命じられていたのは……秋月さんを俺の許嫁に入れて破棄させNAZ機関の評判を下げることだった、本当にそうなんですか?」
「さぁどうかしら」
どこ吹く風とばかりに答えない彩香さん。
「何も答えてくれないんですね、俺の先生なのに」
「保険医は厳密には先生じゃないけどね……ねぇ知ってる? 先生ってね教えるのが本当の仕事じゃないのよ? 教えるんじゃなくて導いてあげるのが先生の役割なの。……まぁいい方に導くのか悪い方に導くのかは先生の技量次第だけど」
「じゃあ彩香さんは悪い保険医の先生ですね」
「ええそうに決まってるでしょ。彼女にもそうだったわ。愛を与えて教えて渇望させてそのうえで捨てる。 これほど面白いことはないわよ。こんなのがいい先生なわけないでしょ?」
身をよじらせ恍惚そうな表情を浮かべる。
サディスティック、そんな言葉が頭に浮かんだ。
「また残酷なことを……ひどい女性ですね彩香さんは」
「自覚してる。残酷なこともしてるけど、でも彼女は生きてはいる。だから最もひどくはないわ」
「あなたのせいで彼女は心が張り裂けそうな思いをして憔悴しきってるのによくと言いますね! 最も近しい人に裏切られた彼女が何をするか」
「落ち込むでしょうね、でもあなたが心配するようなことは起きないんじゃない? 所詮失恋だし。そう思うなら話でも聞いてあげなさい
「あなたはまだ恋人でしょ?」
「元、ね?……怖い目で睨まないで?お姉さん怖いわ」
思ってもないことを……。
なんとも人の神経を逆なでしてくる。
まるでこっちの考えが感情が全部わかるとでも言いたげだ。
「もう聞きたいこともないようだし、行こうかしら」
「最後に一つだけ」
「なーに?」
「彩香さんと秋月さんの写真、ご両親に送ったのは彩香さんですか?」
あの角度の写真。ずっと張り込んでいないと無理な写真だった。
ただ本人があらかじめ場所を指定しているなら話は根本から変わってくる。難易度は変わるし時間もかからない。
ある意味取れて当然の写真となる。
なんせ自分で撮る瞬間を決められるんだから。
ご飯食べるところも、親密そうに抱き合うところも、そしてキスすることも。合図するだけでいい。
全部決められる。
「ええそうだけど」
何でもないことのように髪を一つに結わえながら彩香さんは言う。
「なぜ?」
「質問2つになってるわよ?まぁそれくらい恭弥君だからいいけど」
理由はね、と。
公園近くにあるバイクにまたがりヘルメットを被りながら端的に答える。
「大層な理由なんてないわ。強いて言うならその方が面白そうだったから、かしら」
聞きたくなかった残酷な答えを。
「元々折り合いがあの子が両親と仲が悪かったのは知ってたからこれを機に壊してあげようかなって。まぁ険悪になるのなんて遅かれ早かれだったし良い機会と思ってね? 送っちゃった」
てへっと悪戯っ子のような笑みを浮かべる彩香さん。
「ッ!」
「彼女の苦しむ姿が直接見れないのは残念だけど……まぁしょうがないわよね私もやることあるし」
あぁこの人は……。
本当に。
「やることですか?」
「ええ人助け、かしら?」
「あなたが人助け? 最後にそんな面白くない冗談が出るとは思わなかったですね」
「本当に面白くない冗談よね。……じゃあさようなら恭弥君。あなたとのデートは本当に甘酸っぱくて楽しかったわ。これは本当よ」
ばいばい、と笑みを浮かべ、バイクのエンジンを吹かせて走り去っていく。
跡に残されたのはバニラと石鹼が混じったような甘い香り。
ただ俺の心は何とも言えない感情が渦巻いている。
あたりにはバニラの匂いがまだうっすらと漂っている。
甘く切ない匂い。
「噓つきな女だね彩香さんは」
最初からずっと彩香さんは、いや白石彩香は嘘をついていたってことになるわけだ。
基本嘘をつかない秋月さんと基本嘘しかつかない白石さん。
そう考えると……
「皮肉な二人だ」
だからお互い磁石のように惹かれたのかもしれないけどさ。
「どっちが不器用なんだか」
さっきの彩香さんとの会話を思いだしながら俺は独りごちた。
気づいてる?彩香さんさっきからあんた、秋月のことをなぜか一度も名前で呼んでないんだよ?
──────────────────────
推しの子終わってしまった(´;ω;`)
相変わらずMEMちょは可愛かった。
明日も更新予定!
土日更新今後も続けてく予定!
いつも読んでいただきありがとうございます。
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