第92話 「失意の女教師」

 「どういう……ことだ」


 白石さんの家に家具とかは残されてる。

 けどそれだけだ。……まるで白石さんのいた痕跡を消すかのように他には何もない。生活感が一切感じられなくなっている。

 白石さんが愛用していたフレグランスの匂いも、壁を彩った自然の絵画も、かわいらしい雑貨も何もないなくなっている。

 代わりに漂う匂いは家全体をクリーニングしたかのような、木材の匂いがしている。


 「……いなくなったの」


 気づけばリビング横の廊下で秋月さんは座り込んでいた。

 見るからに憔悴しきっている。


 「……朝、彩香の家に来てみたらすでにもぬけの殻だった」


 「なんで……」


 なんでこうなる?

 何枚か送られてきた写真……あれはいつでも二人を狙えたぞ、っていうことか?

 まさか……


 「白石先生は誘拐とか何か危険なことに巻き込まれたんじゃ……なら今すぐ警察に──」


 「──違うわ」


 否定したのは秋月さんだった。


 「……なんでわかるんです?」


 「書置きが残されていたから……それよ」


 だらり、と力なく上げられた指の先にはぐしゃぐしゃになった一枚の紙が床へと投げ捨てられていた。


 「……見ていいんですか?」


 「ええ好きにしなさい、もうどうでもいいもの」


 どうでもいい、か。ただ秋月さんはこれ以上説明するつもりもなさそうだし。

 人への手紙を見るのも憚られるが読まないことには分からない。くしゃくしゃになってる手紙を拾い上げ読めるように伸ばしていく。

 便箋委は数行の文章。


 「ッこれは?!」


 端的な文章が便箋には書かれていた。

 何度かみた白石先さんの女性らしい少し丸みを帯びた字。字の上には水滴が落ちたかのように淡くにじんでいる。

 何が落ちたか、なんてのは見ただけでわかる。

 ……きっと秋月さんの涙だ。

 何度も涙をこぼしたのかほとんどの文字が滲んでいた。


 だけど文章は何とか読めた。書かれていた内容は簡潔で信じたくないような言葉だった。


 【莉緒。許嫁を破棄したあなたにもう用はないわ。本当に馬鹿ね、魔法の時間は終わり。

 ……長い時間だったわ。重いのよ莉緒は……実は私あなたのことそんなに好きじゃなかったわ】


 「……ッ」


 嘘だ、信じられない。

 あの時ご飯を向かい合わせで食べる二人の様子ははまさに好きあっているカップルのモノだった。

 つぶれてしまった秋月さんをみる白石さんの目は慈しむような目だった。彼女のいいところを話す白石さんはとても誇らしそうだった。

 

 あれのすべてが嘘……?

 そんなの信じられるわけがない。


 「……彩香は私のこと好きじゃなかったらしいわよ」


 「そんな……まさか」


 ありえない。


 「信じたくなくても、これは確実に彩香の字なのよ。ずっと一緒にいたんだものそれこそ仕事も一緒で。見間違えるはずもない」


 「ッそうだ脅されて書かされた、なんてことは──」


 「なんでそんなことをするのよ、宝生さんとかならわかるけどそれに彩香を誘拐する意味も分からない。それにもし仮にそうだとしたら彩香なら私にわかるようにメッセージを残すわ。頭いいもの彼女は」


 なんでだ。

 おかしい絶対理由があるはずだ。


 「ならっ──」


 「──あなたに言われなくても全部考えたわよッ!!考えたの!!」


 地面をたたき慟哭する秋月さん。

 そんな秋月さんの姿に俺は何も言えなかった。


 「……朝からずっとずっと考えたわよ!誘拐されたのかとか無理やり書かされたんじゃないかとかまだそこらへんにいるんじゃないかかとかそういうことを全部全部ぜんぶぜんぶっ!!いろんな可能性を考えて探しもしたぼ……でも……いくら考えてもこんなことする理由がなかったの……彩香はいなかったのよ」


 最後の方の声はほとんどかすれていて聞こえもしなかった。


 「なんにもないの、彩香が誘拐されるような理由は。……だからそう、認めるしかないじゃない。彩香の【許嫁じゃなくなったあなたに用はない】っていうその言葉を……」


 許嫁じゃなくなったあなたに用はなくなった?

 まるでそれは俺の許嫁であったことに意味があったってことか?

 なんで?


 「皮肉なものよね、あなたの許嫁を嫌がった私が、好きな人と一緒にいれた理由があなたの許嫁であったから、なんだから。結局彩香は男性との接触機会を求めて私に近づいただけだった。……これが不義理をし続けた私への罰なのかもしれないわ」


 罰。

 自嘲するような笑いだった。

 なんなんだ罰って。


 「秋月さん……」


 罰なんかなわけがないきっと理由はあるはずだ。そうは思うけど……同時にそれを今言っても気休みにしかならないこともわかってしまった。

 それが秋月さんの求めているものじゃないことも。

 だから俺はなんて声をかければいいか分からなかった。

 ……親との不仲になる覚悟までして、実際絶縁に近い状態となって駆け落ち同然みたいなことをしようとした相手に裏切られた彼女に、俺はかける言葉を持っていなかった。

 

 「……いったんお風呂でも入ってきてください。そのあとは家に戻りましょう?俺たちの家に」


 だからとりあえず落ち着いてもらうことを選んだ。

 一回冷静になるべきだとも思ったから。


 「俺たちの家って違うわよ。私の家はここ、ここしかないの」


 予想に反して帰ってきたのは拒絶の言葉だった。

 強い拒絶の言葉。


 「私と彩香の家はここなのそうなってるのよ!」


 私たちの家……か。

 

 

 「……わかりました、じゃあお風呂に入りましょうこのままじゃ風邪ひいちゃいますし」


 「ならあなたが先に入りなさい、あなたも濡れたでしょう?」


 「だけど濡れた量が……」


 俺は雨宿りしていたのに対して、秋月さんはずっと濡れていたのに。

 入るなら秋月さんの方が……。


 「いいから私は大人よ、それに女性のシャワーは長いもの男子の方が短く済むでしょ?」


 「わかりました……」


 まぁ言っていることはわかる。

 お風呂はこないだ入ったから、場所とかはわかっている。

 お風呂に向かう道中にはすすり泣くような声が聞こえてきた。

 白石さんの名前を呼ぶその声は何とも痛々しかった。


 「あぁっくそっ」


 冷えた体を熱いシャワーが温めてくれる。ただ頭だけはずっと混乱してて、心はちっとも休まりはしなかった。

 ずっとなんで白石さんがこんなことをしたのか、その疑問が頭では回り続けていた。

 ただいくら考えても、やっぱり答えなんてものは出なかった。


 シャワーは長いこと浴びずにすぐに出た。

 弱り目に祟り目と、体調まで崩してもかわいそうだから。


 「雨やまなさそうだしメイドの佐藤さんに連絡しておいたわ。迎えに来てくれるみたいだからそれで気をつけて帰りなさい」


 俺がお風呂に入っている間に帰る手はずを整えていたくれたらしい。


 「……ありがとうございます」

 

 それが厄介払いだとはわかっていてもお礼を言っておいた。彼女はきっと一人になりたいんだろう


 「別にいいわ、御礼なんて。大人として当然よ」


 会話はしてる。

 会話はしているけど、心ここにあらずといった様子の秋月さん。

 目もあまり焦点が合っていない。


 「……これからどうするんですか?」


 「どうする……ってまずはシャワーでも浴びるわ」


 「いえそうじゃなくて……今後のことです」


 「今後……、そんなの分からないわ。なんとかなるでしょただ失恋しただけだしね」


 ただ失恋しただけか。

 言葉だけで言えばそうなのかもしれない。

 でもその失恋は自分が全てを投げうってでも欲しかった恋の末路だ。


 「本当に僕らの家には……戻らないんですか?今ならまだ戻っることも」


 このまま一人でここに秋月さんを置いておくのは不安だった。

 一人でこんな暗い部屋に、それも白石さんとの思い出しか残らないこの部屋にいるというのは精神衛生上もよくない気がした。

 何か決定的な間違いをしてしまいそうな気がして。


 「……戻らないわ、NAZ機関の椎名さんにも許嫁を破棄するっていうのは伝えたしね、もう私に戻るところなんてないの」


 「それは俺が何とか言って……」


 「なんていうのよ。恋人にも振られたから許嫁に戻ります?私は恋人は失ったけどプライドまで失っちゃいないわ。そんなの人として違うし他の人も納得しないでしょ?それに私が戻るのはあなたたちのためにもならない。快く見送ってくれた彼女たちに対して心配とかかけたくないし、彼女たちの幸せになる道を邪魔する気にはならないわ。……私みたいな女がいて、ね?」


 「邪魔なんてそんなッ!でも……」


 言いたいことはわかる。わかるけど自暴自棄になっている感じが強い。

 すべてを拒否してる……そんな感じ。

 紗耶香さんなら橘さんなら邪魔だなんて露ほども思わないのなんて秋月さんならわかっているだろうから。


 「心配しなくてもいいわ、私も大人だから。失恋の一つくらいどうとでもなる」


 強がっているのがわかる。さっきすすり泣いていたのが聞こえないとでも?

 お昼もそうだった。

 これ以上俺らに心配かけないように、秋月さんは白石先生は見つかったと連絡してきた。

 俺らに虚勢を張っていた。


 なんでなんか聞かなくてもわかる。俺らのためだ。

 ……俺らに迷惑をかけないように、若者の邪魔をしないようにそうしただけ。

 そんな秋月さんの遠慮の仕方が、優しさが、ひどく腹立たしかった。

 困ったときは頼ってくれていい、それくらい言えるくらいはこの2か月ほど話したつもりだったけど。


 【大人と子供】だから。

 【もう許嫁じゃない】から。


 そんな否定の連続。

 今目の前にいる彼女はすべてがいやになってるそんな気がした。

 自分の殻に閉じこもるそんな感じがしてる。


 もう一言、何かを言おうとして……


 

 ぴんぽーん。


 

 玄関チャイムが鳴った。



 「お迎え……来たわよ?」


 いままで俺に向けたことのないような優しい笑顔だった。

 虚飾なのがわかる、無理して笑っているのがわかる。


 秋月さんの本当の気持ちはさっき泣いてたあれでしょ?


 必死に俺らを拒絶するように大人の鎧を身に纏っている。

 

 「気をつけてね。あぁ後はちゃんと許嫁たちと会話しなさいね?わかった気になって気づいたらいなくなってたなんてことに、ならないようにね」


 また自嘲したような微笑みだった。

 今のは俺に向けてじゃなく、きっとそうすればよかったっていう彼女の嘆き。


 「……また来ます」


 「来なくていいわ」


 下へと降りると、花咲凛さんが車を留めて待っていた。


 「……キョウ様ひどい顔をされてますね」

 

 「まぁ自覚はある」


 きっと俺はやるせないような顔をしているんだろう。

 花咲凛さんと共に車に乗り込む。

 雨は勢いこそなくしたけどまだ降り続けていた。


 「やはり白石様はいらっしゃらなかったのですか?」


 やはりか。花咲凛さんもわかるよね。


 「うんいなかった」


 「そうですか……秋月様のご様子は?」


 「良くなかった。最初は泣き崩れて、でも途中からは俺に対して途中からは取り繕っていた。今もきっと……」


 何が悪かったのか、とか自問自答しているんだろう


 「……それはあんまりよくないですね


 「うん」


 運転しながらも悲痛そうな表情を浮かべる花咲凛さん。


 「こちらに戻られはしないのですか?」


 「俺も提案したけどしないって……」


 「そうですか……」


 沈黙が車内を包み込み。


 一種の危うさみたいなものが秋月さんにはあった。

 強かった秋月さんの存在感が希薄なそんな感じ。


 「……今回の件やっぱりなにかあるよね」


 親バレと白石さんの失踪。

 偶然だとしたら出来すぎている気がする。


 「ええ私もそうかと。ここからはあくまで可能性ですが……キョウ様私がNAZ機関のメイドなのご存じですよね?」


 「うんもちろん」


 最初に派遣されたのが花咲凛さんだったからね。


 「では白石先生もまたNAZ機関の協力者だったのはご存じないですよね?」


 「えっ……そうなの?」


 白石さんがNAZ機関の協力者だった?

 ……でもそうか、だったら学校案内とか時々俺らの状況を把握していたのも納得できる。

 じゃああの誘惑も何か意味が?


 いやちょっと待って。

 NAZ機関の目的は俺らの許嫁制度の確立。

 じゃあそれを壊そうとする者がいれば……


 「じゃあNAZ機関が今回の件を仕組んだ?」


 「そうとも言えますしそうじゃないとも言えます。……あくまで可能性の域を出ない話ですが」


 花咲凛さんの答えはいまいち要領をつかめなかった。

 肯定もせず否定もしない。大人がよく使いそうな言葉だ。

 だから自然と語気が強くなってしまった。


 「どういうこと?」


 「落ち着いてください、家に着いたらお話しますから」


 「別に今でも」


 「時間かかる話になります、きっとあの人も同じような結論に至ってるでしょうし」


 あの人?


 「ただ一つ言えるとすれば、NAZ機関にもいろいろな考えの人間がいるんです。私のようにキョウ様を慕う人もいれば逆にそうではない人間も」


 逆?



 「とりあえず今はお体をお休みになってください……まぁ10分ほどでしょうけど。家に着いたら頭を使う時間ですから」


 色々あった。

 白石さんは失踪し実はNAZ機関の協力者だったという。

 秋月さんの失意と、俺たちを慮る虚勢の鎧。

 

 それを知った今でも俺はまだ知らないことがあるらしい。

 これからもまだ知らないといけないことがあるらしい。



 黒雲立ち込める空には雷鳴が鳴り響いていた。


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ごめん昨日出すつもりだったけど見直してたら今日になっちゃった。

また来週の土日に更新するよ!

お暇な方はそれまでは読み直しでもしてもらえたら嬉しいです!笑

それか別作品の【気づいたら大学のマドンナを染めた男になっていた件】でも。ネオページ様で新しく書き直してるからよろしくです!URL張っておきますね。


https://www.neopage.com/book/3092719261356150


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