第91話 「仮初の大丈夫と失意の女教師」

 翌日。

 

 「ちょっと私彩香の所に行ってくるわね」


 秋月さんがそういって出ていったのは午前中のことだった。


 「昨日から連絡してるけど返信ないのよね~、ちょっと見てこようかしらって、きっとスマホを見てないだけとかでしょうし」


 どうやら結局あの後も返信はなかったらしい。気丈に話す秋月さんだけどその顔は少し浮かなかった。

 普段なら特に気にするほどのことでもないけど、今は秋月さんの両親宅に二人の関係を示す写真が送られる、なんていう不可解なことが起きている真っ只中。

 しかも送り主は依然として不明のまま。


 「自宅にいて映画を見てるとかじゃないですか?俺も集中したいときはスマホをオフにしたりしてますし」


 これ以上秋月さんの不安を煽らないように一応同意はしてみたものの、俺も本心からはそう思ってはいない。

 本当にそんなことがあるか?たまたま?偶然の一致で?

 このタイミングで連絡が取れなくなるか……>


 「……そ、そうよねそういうときもあるわよね……今日は彩香の家にそのまま泊まるからご飯とかは大丈夫だからー」

 

 いつも俺相手には浮かべたりしない笑顔まで浮かべて、秋月さんは家から出ていく。普段なら憎まれ口の一つでも言うというのに。

 明らかに普段と表情が違う。


 「俺らも行きましょうか?」


 「いえ大丈夫よ、それに許嫁ですらないのにそんなことやらせるわけにいかないしそれに私たちは大人よ?大丈夫よ」


 明らかに大丈夫そうには見えない。

 ……けど本人が大丈夫と言っている以上それ以上言うこともできない。

 結局俺らは彼女の作り笑顔をを見送ることしかできなかった。

 

 「キョウ様実際どう思いますか?」


 秋月さんが出ていった扉を花咲凛さんも腑に落ちていなそうな表情で見つめている。


 「なんともいえない、なんともいえないけど……嫌な予感がするよね」


 漠然とした不安感みたいなものを感じてしまう。


 「奇遇ですね、私もです」

 

 「紗耶香さんもですか?」


 「ええすべてのタイミングがそろいすぎている、ような気がします」


 まるで計画されているみたいに……、そう紗耶香さんは続けた。


 「でも杞憂かもしれないよー、世の中の不安ごとの9割は実際に起こらないっていうしさー」


 「……確かに瑞麗さんの言う通りですね、昨日突発的なことが起きたからこそ不安に思っているだけかもしれません」


 これ以上みんなを不安にさせないためか、それとも自分が始めた話題だからか、花咲里さんは話を終わらせてみんなにコーヒーを配り始める。


 「一回飲み物でも飲んで落ち着きましょうか」


 「そうですね、まだ朝といってもいい時間ですし、それにもう少ししたら秋月さんから連絡が来るかもしれませんし」


 まぁなんにしても俺らにできることは待つことくらいしかない。

 この心配が杞憂だったらいい、とこの場の誰もがそう思っていた。


 ただ結局午前中には結局秋月さんからの連絡はなかった。

 連絡があったのはお昼過ぎ。



 ぴろん、と全員のスマホが鳴る。


 

 「あれ、せんせからだ」


 橘さんの言葉に全員がスマホを見る。

 全員のグループラインに一件のメッセージ。


 【連絡遅くなってごめんなさい、彩香ったらどうやら昨日深酒をしたみたいで眠ってただけだったわー。まったく世話やけちゃうわよねー……とりあえず起こして昨日のこととかをこれから話す予定よ。まぁ彩香はひどい顔してるけど(笑)とりあえずこっちはもう大丈夫だから。心配かけてごめんなさい。みんなもこれからの新家族になるのだから邪魔者の私がいない間にちゃんと話しなさい?じゃ】


 スタンプも追加で送られてくる。花丸のかわいらしいスタンプ。



 「なんだー、見つかったんだーよかったよかった」


 「……何もなくてよかったですね。」


 どうやら白石先生は無事家にいたらしい。

 無事っていう言い方もちょっと変だけど。


 「白石先生でもそんな深くお酒飲むことあるんだねーちょっと意外」


 「大人ならストレスを誰しも抱えますし、そういうものなのかもしれないです」


 「あ、もしかしたらあれじゃない?先生がキョウ君とかと一泊二日の旅行に行くからそれの嫉妬とかで深酒したとか?」


 「なるほど……恋人同士ですし、ありえますね。もし自分がそんなことされたら……ふふっ」


 「こわいこわいこわいよ、紗耶香ちゃん。その笑い方悪魔の微笑みだったよ」


 身を震わせる橘さん。

 でも確かにみるものをぞっとさせる、ヤンデレめいた笑みだった。


 「人に向かって悪魔とはひどいです……」


 ただ二人とも本気では言ってなくほのかに笑っている。

 これが二人のいつもの会話なのかもしれない。


 「悪魔なんて、お嬢様がお怒りになったら悪魔よりももっと──」


 「──黒川?最近お口が多いですね?」


 「なにも言ってませんが?」


 もっとなに?続き気になるんだけど!


 最初には見せなかった二人の軽妙なやり取りもなれてきた。

 こういうやり取りができるだけ紗耶香さんと黒川さんもこの家でリラックスできるようになってきたってことだろう。

 最初はすごく硬かったし他人行儀だったからね二人とも。


 「でも確かに最後に先生の言う通りこれからどうなるんだろうねー、先生がいなくなって許嫁は私と紗耶香ちゃんの2人になるわけでしょ?どうするんだろう?」


 「当面はこの2人のまま行くとは思うのですが……そのうち追加で人が来るかもしれませんね、政府主導で推奨しているのは男性1人に対して少なくとも女性3人ですし」


 少なくとも3人。

 だから多い分については問題ないってこと。

 まぁ多すぎても平等に愛せないとかで多すぎてもあれみたいだけど。


 「んーそうなんだー、いい人来るといいよねぇ」


 「ただ来るとしても少なくとも夏過ぎとかになるんじゃないでしょうか。たぶんこれから人を選定とかして、ってなるでしょうし」


 新しい人かぁ、そういう話になるんだよね。

 なんだか億劫だなぁ。


 「恭弥さんはどんな人がきたらいいとかはあるんですか?」


 「どんな人……って言われてもねぇ」


 困るというか……


 「まぁキョウ君は女の子なら誰でも好きそうだもんねー」


 「橘さんの言い方すごく悪くない!?……どんな人っていうのもあれだけど、うん。仲良くしてくれる人がいいなぁ、俺また嫌いです、とか言われたらもう泣いちゃう」


 「そんな人間いるんですかねぇ?」


 「全く信じられないよ」


 どの口が言うんだかどの口が。

 二人ともそれよりひどかったぞ?

 

 「そんな私たちみたいな問題児そうそういませんよ」


 「そうだよーそんないないよ?」


 いたからなぁ。

 最初から3人全員そんな感じだったから普通の女性が来るってなかなか信用できないんだよなぁ。

 こんなこと言うのもあれだけどこないだの一件とかもあって、NAZ機関含めて政府のことをいまいち信用しきれない。

 椎名さんたちが精一杯やってくれてるのは知ってるんだけどね?


 「……もし仮にちょっと癖のある子が来ても大丈夫ですよ」


 「どうして?」


 あ、もしかして紗耶香さんたちが俺のフォローをしてくれるから、とか。

 確かに女性陣が味方にいてくれるというのは大変に心強いもんね。


 「恭弥さんはなんだかんだ問題に首を突っ込んできますがそれを解決してくれもします、なので仮に問題のある人だったとしても恭弥さんが当たって砕けるので大丈夫かな、と」


 「砕けてるじゃん!しかも言い方もなんか悪意のあるというか……それにそんなこともないしね」


 俺はそんな火中の栗を拾うようなトラブルメイカーじゃない。


 「違くないですし、褒めてるんですよ……ツンデレってやつです」


 なんでだろう、ツンしか感じなかったんだけど。

 それにさ、


 「ツンデレって自分でいうものじゃないんじゃない?」


 「そういう解釈の仕方もありますよね」


 他にどんな解釈があるのか教えてほしいけど。

 そんなしょうもない話を続けて自然とみんな部屋へと戻っていた。



 みんな心の底では秋月さんがいなくなってさみしさを感じていた。だけどそれに気づかないように殊更に明るく振る舞っていた。

 別れは悲しいけど前へと進んでいく道も応援したいから、きっとこれは良い別れのはずだから。

 それに根性の別れになるわけでもないし、みんながみんなそう自分に言い聞かせていた。

 

 秋月さんの件は親バレしたとはいえ、二人の道を進み始めたわけで。

 当初とプランこそ違うけど着地点は同じになったわけだし。


 白石さんも見つかったって言っていた。

 ……だから俺の違和感なんていうのは杞憂だ、杞憂にしか過ぎないんだ。


 ただ違和感がどうにも俺の心にちくりと痛みを残していた。

 ただ無理やり俺はそう納得させた。

 

 晴れていた空には少し雲がかかっていた。


 夕方。

 空は曇っているけど雲の切れ間からは光もさしている。

 

 「ちょっとランニングしてくるー」


 「はいキョウ様お気をつけて」

 

 朝は秋月さんの件もあってできなかったランニング。

 なんだかんだ旅行とかもあって筋トレとかもできんかったし、今日は長めに走ろうかな。


 朝と違って夜に走るのはまた気分が違う。

 人の行き交いとか歩く速さとか、人びとの疲れた背中、とかそのすべてが違う。


 普段と見える景色も違う。


 ぽつり。


 「え?」


 水滴が垂れてきたかと思ったらいきなり土砂降りの雨が振ってきた。


 「うわ降ってきちゃったか」


 思いのほか勢いも強くすぐに土砂降りの雨になる。

 慌てて近くの公園に雨宿りのために駆け込んだ。


 「結構濡れたなぁ……」


 最近よくあるゲリラ豪雨ってやつかな?

 少ししたらやむといいんだけど。生憎とスマホも持ってきていない。


 

 ってあれ?



 この土砂降りの雨の中ブランコを漕いでる女性がいた。

 短い髪をした女性。


 濡れるのも構わず、頭は項垂れたままブランコを漕ぎつづけている。

 まるで雨が降っていることにも気づいていない、そんな様子。

 表情とかはその暗さと雨のせいであんまりみえない。


 でも明らかにただ事じゃない。


 「……」

 

 そういえばさっき言われたな紗耶香さんに。

 俺は問題に飛び込むって。……これじゃ否定できないな。

 ただこのまま帰るのも気分悪いしどうせ今やることは何もない。


 「はぁ」

 

 屋根のある場所から急いででブランコの方へ向かう。

 濁流のような大雨で目もあまり開いていられないくらいだけど、近づくにつれてだんだんとその人物の様子が明瞭に見えてくる。

 その服装は見覚えのあるものだった、本当に今朝見たもの。

 

 「え……なにしてるんですか?」


 ただ俺の問いかけにも反応を示さない。

 近くで見ればわかる。まさに心ここにあらずといった感じだ。

 

 いつものきりっとした様子とは全然違う。

 前髪は額に張り付き目にかかっており、眼鏡にも水滴が垂れている。

 服も水を吸って、赤い下着が透けてしまっている。


 雨のこともあって比較的大きな声で呼びかける


 「大丈夫ですか?!」


 ただそれでも返答がない。生きた屍みたいだ。

 しょうがない。


 「大丈夫ですか、秋月さん!!」


 肩をつかみゆする。

 それでようやく反応が返ってきた。


 「……あぁ武田君か」


 一瞬目に希望の光をみせ、すぐに俺だとわかると失望の色へと変わる。


 「そう俺ですよ何してるんですか、風邪ひいちゃいますよこんなところにいたら」


 「雨ね……そうね風邪ひいちゃうわね」


 のろり、と立ち上がるが力が入っているようには思えない。


 「とりあえず雨宿りしましょ?」


 「いいわそこに彩香の家あるからそこに行くから。武田君も雨宿りしたら戻りなさいね?」


 秋月さんは俺の返答も待つことなくふらり、と歩き出す。


 「ちょっ、今言ったらもっと濡れ、ああもぅっ!」


 ただならぬ様子に俺はしょうがなく追いかける。


 「ちょっと秋月さん!」


 返答も何もなくのそりと歩いていく。


 「どうしたんですかっ!」


 「……」

 

 公園の目の前のマンションへと秋月さんは入っていく。

 ……そういえば見たことあるなこの景色、雨と暗闇のせいで全くわからなかった。

 どうやら俺は走って白石さんのマンションの近くまで来ていたらしい。


 エレベータに乗り彼女の部屋へ。


 「ついてこないで」


 「そんなふらふらな人1人にできないでしょう?せめて家まで送らせてくださいよ」


 それくらい秋月さんは不安定な状態だった。


 「これが送りオオカミってやつ?私もうあなたの許嫁でもないんだけど、帰ってくれない?」


 嘲笑とともに、明らかな侮蔑。だけどいつもの覇気みたいなものがなにもない。

 まるでこの先の景色を見せたらいけない、とばかりの言葉。


 「じゃあ送りオオカミでもいいです、部屋に入って白石さんに引き渡したら帰ります」


 「だからいいって」


 「いいえこんな姿普通じゃないですよ、さすがにこのまま帰れませんよ」


 そんなことを話している間に白石さんの部屋の前についた。

 いるならそれでいい、俺が嫌われるだけだから。

 でも部屋の前についた妙な違和感を感じた。


 「部屋の前まで来たでしょ、帰って」

 

 「……白石さんが引き取ってくれたら帰りますよ」


 「私大人なんだけど?一人で大丈夫だわ、だからかえって」


 秋月さんは部屋に入ればいいのに、俺と問答をし続ける。

 いやな予感がした。いやし続けている。俺の中の疑問が膨れ上がっていく。


 「もういいです、中にいるんでしょう?ピンポンしたら出て来てくれますよね?」


 彼女の姿さえみれたらそれでいい。

 白石さんがいるなら秋月さんのこの状態も何とかするはずだから。


 「ちょっとま」


 秋月さんを横をすり抜けてインターホンを鳴らす。

 ただ一向に人が出てくる気配はない。


 もう一度。

 ……出てこない。


 もういち……


 「もうやめて!」


 悲痛な叫びだった。


 「そんなことしても、何度やったって彼女は、彩香は、出てこないわよッ!!」


 秋月さんはうなだれるように膝を丸めて抱え込むようにその場に崩れ落ちる。


 「……どういうことですか」


 「見ればわかるわよ」

 

 力なく部屋を指し示す。

 いやな予感がこの上なく大きくなっている。


 思ったんだ。

 あのラインの文章を見た時から。


 秋月さんは普段ラインなんてめったにしない。

 それに送ってくるときも文章も書かず簡潔な言葉だけ。

 もしほんとうに白石さんがいるなら、「いた」と「心配かけてごめん」とか簡潔に伝えるだけ。

(笑)なんて絶対つかわないしましてやスタンプなんてありえない。


 あれじゃまるで気丈に演じてるだけに思えて。

 だから違和感があった。

 それくらい数か月一緒にいた仲の悪い俺でもわかる、だからきっと他のみんなも気づいてた。

 だけど言わなかった、秋月さんが望んでいなかったから。


 あの文章は、私のことは気にしないで、と言っていたからそうした。

 でもこんな状況と知っていたら……


 ゆっくりと扉を開ける。鍵はかかっていなかった。


 「ッ……!?」


 中に入ってすぐに違和感を感じる。

 人の気配がしない、かかっていた絵画もなにもない。


 中に入るにつれ違和感はどんどん増していく。

 生活感がなくなっている。


 リビングに入ってもそれは顕著だった。


 「だれも……いない?」

 

 部屋は新築かと思うほどまっさらな状態になっていて、それはまるで白石彩香という存在がこの世にいなかった、そんな風にさえ錯覚させるほどだった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る