第88話 「秋月莉緒の事情ー積年の思い」

 「私の親に、彩香とのこと関係……言った?」


 厳しい目をした秋月さんが俺を見つめていた。でもその割には……いやまずは誤解を説かないとか。

 

 「言ってませんよ、そもそも俺は秋月さんのご両親の場所なんて知りませんし連絡先なんて言わずもがなです。もし仮に知ってたとして、彩香さんと付き合っていることを今更言ってどうするっていうんですか。なんの得もありませんよ。言うならもっと早く言いますし」


 「それもそうなのよね……ごめんなさい別に本当に疑っていたわけじゃないわ一応聞いてみただけ」


 やはりそうだよね、本当に疑っている感じはなかった。

 目つきの割に怒気もそこまで感じなかったし。


 「……他の人達で誰かに言ったりした?」


 秋月さんは周りを見渡し聞いてくるが、もちろん全員が首を振る。


 「そうよね、そうに決まってるわよね。3人とも疑うような真似をして本当にごめんなさいね」


 「いえそれはいいんですけど……とりあえず事情を話していただけますか?」


 「そうね、橘さんもごめんなさいねせっかくお茶を淹れてくれようとしていたのに」


 「いえ私は全然いいんだけど~」


 口ではそう言う橘さんも、さすがにいつものような溌剌さはない。


 「事情はもちろん説明するわ。でもちょっと待ってもらってもいい?とりあえず彩香に連絡したいし、それにあなたたちも帰ってきたばかりで荷物とかも降ろさなきゃでしょ?」


 確かにそれはそう。

 自分たちの服装を見ればいかにも旅行帰りという感じでバックとかも車に置きっぱなしだ。

 それに秋月さんと橘さんにも冷静になる時間も必要だろう。


 「確かにそうですね、そうしましょう」


 「それに急いでどうのこうのする話でもないしね、いずれこうなるとわかっていたことだし」

 

 秋月さんが微かに笑った。

 どうにもならないことに対する諦めなのか、そんな空虚さを感じさせる笑顔だった。

 


 荷物を降ろし、再度集まったのは30分後のことだった。

 部屋にはさっきはいなかった黒川さん含め、旅行に行ったメンバー全員がそろっている。

 全員が集まるまでにはこぼれたお茶とかも綺麗にされていた。


 「じゃあ改めて……って言いたいところだけど、先にまずは謝らせてもらうわ。特に橘さん、本当にごめんなさい」


 わざわざ立って深く頭を下げる。

 とは言われても俺らには謝られるほどのことは正直ない。

 自然とみんなの視線は橘さんの方に向いた。視線の意味を橘さんも理解して……


 「私は大丈夫だよーちょっとびっくりしただけだし……それにあの時も先生のお母さんにも謝ってもらったし」


 そうだったんだ。

 確かに思い返せば女性は男の人に遅れて出てきてたな。


 「……もし申し訳ないと思うのなら成績の方を、ね?なんとか」


 「それはだめに決まってるでしょ?……でも何かご飯くらいごちそうさせてちょうだい?」


 上目づかいでおねだりする橘さんと苦笑しながらも断る秋月さん。

 まぁただ場の空気は変わった。

 橘さんもきっと本気で言ったわけじゃない、ただのきっかけ。

 少しおだやかになるようなもの


 「それでも全然いいよー高いものいっぱいたべよー」


 「ありがとうね、好きなだけ食べて頂戴?」


 秋月さんのお礼はきっと話をしやすい空気にしてくれて、というのもあるだろう。


 「それでは今回私たちが来るまでに何があったのか、お話してもらってもいいですか?」


 まとまったとみて、宝生さんが話を切り出した。


 「そうね。旅行から一足先に帰った私たちはね、荷物の整理をしてたの」


 秋月さんと橘さんが帰ったのは午前中だったからまぁ自宅にお昼過ぎくらいには着いたはずだ。


 「あなたたちが帰ってくる30分くらい前かしら、急にチャイムが鳴ってね、私は上で片付けとかしてて出れなかったから、橘さんに代わりに出てもらったのよ」


 「私はちょうど居間にいたからねー、そしたらいきなり【秋月をお願いします】って男性が言ってきてね。【どちら様ですか】、と尋ねたら、【秋月莉緒の親です】といって名刺を見せられてからとりあえず上がってもらったんだよー。なんとなく先生に雰囲気も似てたしね。その時はまだ普通だったかなー、それでとりあえず先生を呼んだってわけ」


 最初の応対だけは橘さんがやったわけか。


 「両親が来たって言われて訳が分からなかったわ、このGW中に帰るって伝えていたし。急いで会いに来る理由に見当がつかなかったから。まぁ許嫁制度を破棄する、っていうことまでは伝えていなかったけど。それがミスだったのかもねー」


 そうだよね、まだ伝えてないはずだよね。

 ならばなんで知ったんだ?


 「とりあえず通したって言われたから、今に入ってみたら仏頂面で目をつむった父と少し困り顔の母がいてね。そこで直感したわ、なにかあるんだな、と」


 無言で話の続きを促す。


 「父は開口一番、【これはどういうことなんだ、何か弁明はあるか】といっていくつかの写真を出してきたの。写真に写ってたのは、私が彩香が自宅で楽しそうにディナーしている写真とか、外で手をつないでいるところ、自宅でキスしているところ、とか」


 「自宅でキスしているところ……ですか、なんというか決定的ですね」


 「ええ。それを撮るのにどれだけ張り込んだのか、っていう感じの写真だったわ」


 少なくともそれらの写真を撮るためには複数回二人の後を尾行したってことになるもんな。

 何とも手の込んだことを。

 だけど……


 「誰がそんな面倒なことを?」


 「わからないわ、父と母ではないみたい。寝耳に水みたいな感じで朝起きたら郵便受けに入っていたって言っていたわ。これまで私を疑っていった様子はなかったし、それに1か月かそこらで両親が探偵みたいなものまで雇って調査するとはちょっと考えづらい。……自分で言うのも私と彩香の恋愛なんて一般人の恋愛になるわけで、そんな張り込まれるほどのことじゃないわ。有名人でもあるまいし」


 秋月さんの言う通り有名人なら確かにわからなくもない。

 だけどそういう時は合わせて、ばらされたくなければお金を払え、みたいな要求があるものだけど。

 しかも普通親じゃなくて本人にいう、親に行ったとしても第2の選択肢だろう。


 「写真と一緒に何かなかったんですか?手紙とかお金を要求するようなものとか」


 「写真だけらしいわ、それも意味が分からないことの一つ」


 秋月さんの言う通りだ。なんでそんなことをしたのかわからない。

 これじゃ秋月さんと両親の不和を生むためとしか思えない。こんな手間をかけて臨むことがそれ?

 なんというか釈然としない。


 「それで可能性として一応あなた達にも聞いたわけ」


 二人が付き合っていることは確かに俺たちも知ってるもんな。


 「言い訳に撮られるかもしれないけど、可能性はほとんどないとは思ってたけどね? 武田君にしても私がハーレム制度を離脱するって私が言ったとき、反論もせずすんなり受け入れていたし、私に未練があったように思えなかった」


 そもそも私に執着するほど好意を持たれるとも思えない、逆の可能性はあったから聞いたけど、と秋月さんは付け加える。

 逆の可能性、秋月さんを親と喧嘩させるっていうことか。そんなことしてなんの意味があるって話だ別に実害があったわけでもない。

 言ってしまえば秋月さんは言葉尻が強かっただけだそんなことでここまでするほど拗らせちゃいない。

 

 「だからすぐに謝ったんですね」


 やけに認めるのが早かったし。


 「ええそう」


 「自宅に誰が投函したかについては現状だと何とも言えないですね。話を戻すとご両親は白石先生と付き合っていることを認めた秋月様に怒って帰られた、ということですか?」


 確かに今はこれ以上考えても仕方ない。

 手がかりが何もないに等しい、しいて言えば狙ったようなタイミングで上手く撮られている、っていうくらい?


 「それもそうなんだけどね。加えて【弁明なんてない、写真の通り確かに私たちは愛し合っているわ】と、そう父には答えたわ」


 ちゃんと伝えたのか、こないだまでは悩んでいたというのに。

 それにしてもこのタイミングでのその宣言はなんというか……

 

 「そこらへんから私も外で話が聞こえて来てねー、なんというかお茶を出すタイミング逃しちゃったんだよねー」


 あははーと橘さんが笑う。

 あの空気を読むことに慣れている橘さんが躊躇する会話かぁ。

 何とも地獄だ。


 その後の二人の話を聞くと、こうらしい。


 【これはどういうことなんだ、何か弁明はあるのかあるんだろうな】


 【弁明なんてないわ、写真の通り確かに私たちは愛し合っている】


 【何を言っている、お前にはハーレム制度の許嫁がいるだろう。なぜ情婦なんて優先してるんだ】


 【はぁ情婦?何その言葉、そもそも順序で言ったらが許嫁の方が後なんですけど】


 【こんな世の中でどちらを優先するかなんて自明だろうに馬鹿な娘だ。順序のことを言うならばそもそも制度自体を断るべきだろう、なぜ恋人が複数もいる、女ならちゃんと貞淑にすべき】


 【保留にしているうちに返事したのはあんたでしょ!というか女ならってさっきからなんなのその馬鹿にしたような言い方をして。世の中がどうとか知らないわよ私は世の中のために生きてるわけじゃないんだから】


 【人はそれぞれ役割がある男にも女にも。なぜそれがわからない。それに許嫁を断って情婦を愛している?他に何ていわれるか】

 

 【他ってなにそれ、さすがプライドだけはいっちょまえね昔から。旧華族であることを誇りに思ってるのって逆にそれ以外縋るものがないからなんじゃない?あぁ最近だと男であることも誇りに思えるのかしら?】


 【ッ!!親に向かってなんだその口の利き方は!】


 【親だからこそ間違った考えを正してるのよ教師として】


 【教師ならば人に誇れる生き方をしなさい!お前は生き方自体間違っているだろう!】 

 

 【正しい生き方ってそもそもなによ、私は自分に誇れる生き方をするの。私はこの人を愛してるの、だから許嫁制度から離脱するわ!】


 【なっ……】


 【ちょっと莉緒、それにあなたも……】


 そこでお母さんが止めに入ったらしい。

 ただ時すでに遅しというか。


 【馬鹿な奴だ、そんなにいうなら勝手にしなさい、お前はもううちとは関係のない人間だ、金輪際顔を見せるな!】


 【ええこっちから願い下げよ】


 【あっあなた】


 そこでお父さんは席を立った、後は。


 「そこで私とぶつかったんだけど多分お父さんはぶつかったことにも気づいてなかったみたい。でもしょうがないかもしれないめー、先生のお父さん血が出そうなほど拳をすごい握りしめて、血管が破裂するんじゃないかっていうくらい真っ赤な顔してたから」


 そのタイミングで出ていくところを俺らが見かけたわけか。

 なんともまぁ。


 「率直に言うなら……すべてが最悪ですね。タイミングも話すのもなにもかも」


 宝生さんがばっさりと言い切った。

 その意見は俺も同感だけど。


 「いずれはこうなっていたわ、だからあと腐れなくなったと思えば最悪でもないわ」


 落ち着いて話す秋月さんも微笑を浮かべてる。

 本当にそうなのか?


 「それに私は許せなかった、女なんてと下に見るあいつに。彩香のことを情婦なんて見下したあいつが。思えば昔から嫌だったのよそういうところが。母を従えるみたいなあいつの立ち居振る舞いが」


 昔から、ね。

 積年の思いが積み重なって爆発したみたいな感じか。

 

 「それくらい大事な人なんだねー先生にとって白石先生は。そう言う気持ちになったことがないから私にはわかんないんだけどさー」


 「そうね大事な人よ彩香は。今の私があるのは彼女のおかげだから──」


 そこまで言うほどに?

 恋愛でそんなに人生観変わることがあるのかな?


 「私、彩香と会うまで人を好きになるってことがわからなかったのよ」


 過去をゆっくりと秋月さんは語り始めた。

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