第76話 「女教師たちとの夜の始まり」


 「女の情事を覗くなんていけない子ねー?」


 お風呂上りなのか肌を少し上気させ、妖艶な笑みでこちらを見つめる白石さんの煽情的な姿。

 心臓はどぎまぎしながらも何とか冷静を装おう。


 「……何を言ってるんですか、白石さん俺が起きてることに気付いていたのに続けたでしょ?」


 「さぁ?なにせ夢中だったからねぇ」


 「キスしてるとき、ウインクまでしておいてよく言いますね?」


 「すぐに空気を読んで静かにしたのはさすがよねー、恭弥君。やっぱ莉緒が言う通り頭がまわるみたいね、さっきはなんともかわいらしい笑顔で寝ていたけど」


 話をサラッと変えてきたな、しかも


 「そりゃ寝起きでキスしてたら、眠気なんて一気に吹き飛んで頭も回ります」


 逆にそれでまた眠りこけられる人なんていないだろ。


 「……私たちのキスをみても驚かないのね」


 「十分驚いてますよ?」


 驚かないわけがない、美味しくご飯を食べて気絶しちゃって起きたら、目の前でキスしてるんだ。

 声をあげなかった俺のことをほめてあげたい。。


 「全然そうは見えないけどー?だって自分の許嫁と浮気相手のキスよ?」


 「浮気相手って……それで言ったら先に恋愛をしていたのはお二人でしょ?それに実際見たのは2度目ですし」


 「あら2度目?お姉さんたち、そんなに恭弥君に見られるような場所ではキスしていないと思うけどなー」


 ホントに見られた記憶はないらしい。ま、俺も花咲凛さんもすぐ隠れたからなぁ。

 逆に公共の場で先生同士がキスをしていたらみんなびっくりするわ。


 「1か月近く前に、家に帰るのが遅くなった時に見たんですよ。白石さんの車から出てくる秋月さんと、去り際にキスする姿を」


 あの時はマジで頭を抱えたなぁ。

 もし今回見たのが1回目だったら。絶対今よりももっと驚いている。


 「それに白石さんずっと暗に仄めかしていたじゃないですか?」


 今まで白石さんと話してきた時に、なにかと秋月さんのことを深く押してくるときもあったし、途中からはうちの莉緒が、っても言っていた。


 「そうだったかしら?最近物覚えが…………」


 「20代でそれを言うのは早いんじゃないですか?」


 「でも恭弥君から見たらおばさんじゃない?」


 20台がおばさん?まさか。


 「いいえ全然。頼りになるお姉さん、です」


 「あらうれし~、じゃあきれいなお姉さんがキスしてあげよっか~」


 チロリ、と舌で唇を湿らす宝生さん。

 蠱惑的にほほ笑むその姿が否が応でもさっきの二人のキスを思い出させる。


 「ふふっ赤くなっちゃって。今はまだ駄目よ?」

 

 そういって自身の唇に当てた人差し指を、俺の唇に優しく添えてくる。


 「今は、まだ、ね?それに──」


 言葉を言いきる前に、リビングの扉がばんっと開いた。

 お行儀悪く足を開けて入ってきたのはバスタオル姿の秋月さん。

 タオルで巻き上げた髪からは水気があり、頬が上気しているのも相まって、すごく刺激的な光景が広がっていた。


 「──彩香―、上がったわーあぁぁぁっ?!」


 頭を拭きながら来たせいか、俺に気づくのが遅れる。


 「なんであんたが起きてんのよっ、しんっじられない!」


 ばたばたばた、と洗面台に戻っていく秋月さん。

 白石さんは呆れたように笑い、俺はこの後の秋月さんの機嫌のことを考えて頭を抱える。


 「ほら、ダメだったでしょ?……莉緒早風呂なのよねぇ」


 絶対この人わかってやってたな?

 おっとりとした感じに見せかけて人をからかうのが好きらしい。



 「いや早風呂云々の前に、恋人いるのにキスしたらダメでしょ」


 「あら私が恋人かどうかはまだ確定してないから分からないわよ」


 そんなシュレディンガーの猫みたいなこと言われてもなぁ……。


 「それに今の日本の法律的に言えば、女性の恋人がいたとしても男性と生殖行為をすることに関して言えば問題ないでしょう、なんなら推奨されるべきことなんじゃないかしら?」


 許嫁制度の意味を読み解けばそうなる。

 男性に対して複数の女性をあてがう、許嫁制度は、言ってしまえば子孫を残すことに重きを置いてるともいえる。

 だから女性同士だと子供は生物学的にできないから、というのは意味は分かる。

 倫理の問題を除けば、だけど。


 「……その複雑そうな顔。恭弥君は意外と貞操観念、みたいなのものはかたい、というか存外気にしているのね」


 そんな顔をしていたかな?


 「考え方が合理的だから……いやでもそっかそういえば情に厚い子でもあったわね?」


 知らず知らずのうちに分析されていく。心を丸裸にされている気分だ。

 保健の先生は心理学者も兼ねてたりするのか?


 「ああこれ以上下着の仲間で見るようなそんなつもりはないからそんな安心して?、それより今は目先の問題を解決すべきね?」


 目先の問題?

 一瞬頭に?マークが浮かぶがすぐにわかった、洗面所の方からどしどし、と足音を踏み鳴らし近づいてくる音が聞こえる。


 「うわぁ機嫌悪そ……」


 「もうやってらんないわ!!」


 開口一番怒り心頭だった。

 これには俺も白石さんも思わず苦笑い。


 「もういいお酒飲む!!」

 

 そのまま冷蔵庫へと向かうと、お酒を2本取りだしてくる。

 缶ビールかな?


 流れるように白石さんに渡すと、すぐにプシュっとプルタブを引く音が聞こえてくる。

 

 「いただきます──んーっ、なんなのよもう!」


 言葉とは裏腹に秋月さんの飲み方は上品だった。両手で缶を持ちゆっくりと飲んでいる。

 言葉ではすごい怒ってるけど。


 「そんな慣れないビールを飲んで──でも確かにおいしそう、じゃあ私もいただこうかしら?」


 「え、ちょまっ──」


 止める間もなく白石さんも飲み始める。

 ごくごく、と優し気な顔からは見えない飲みっぷり。


 「んーおいしっ♪」


 瞬く間に一缶開けている。


 「いきなり女性の裸を見てくるなんて変態!」


 顔を赤らめているのが、恥ずかしさからなのか怒っているからなのか、それともよっているからなのかすごい分かりづらい。


 「どちらかというと見せられた側ですけどね!?」


 まるで俺が意図してみたみたいに言うのはやめたもらいたい。

 

 「そうよぉ莉緒がバスタオルを巻いてただけましよねぇ、いつもはタオル掛けただけとかだし?」


 「彩香も余計なこと言わない!……もう本当にあなたは女好きなんだから!覗いたの2回目よ?」


矛先がなんか俺に向いているな。


 「2回目?」


 「どっちも不可抗力じゃん!」


 変なとこで白石さんが食いついた。

 たぶん秋月さんが言おうとしているのは、


 「そ、だってこの人橘さんのものぞいてるし」


 「え、みたの?」


 それに対して白石さんは珍しく真剣な顔をした。


 「いや裸なんて見てないですよ!ランニングしてて汗かいたら浴室にはいちゃったんですって!すぐに閉めたのでホントに見てませんって、というかそれ前話しましたよねぇ!」


 「あれぇ、だっけぇ?」


 なんか呂律が怪しい、顔を見ればまだ真っ赤だし。


 「あぁそういうこと。そうよねみてたらこんな反応しないわよねぇ、恭弥君があれをみるのはまだはやい? でもなぁあの子がこのままっていうのもよくない──」


 白石さんと秋月さんの対比がすごい。

 一人は呂律があやしく、一人はなにかに真剣に物思いにふけっている。


 二人を眺めているとふいに秋月さんの足元がよろけて上体を崩す。

 俺は慌てて近寄り、彼女の肩をぎゅっと固定する。


 「ちゃんと立ってください危ないですから」


 倒れないように。

 真剣なまなざしで見つめる、これ以上セクハラとか言われたくないし。

 勘違いされないようになんならちょっとしかめ面まで意識する。


 「えっ…………はい」


 手を振り払わるかとも思ったが存外素直に頷く秋月さん。

 めずらし。


 「ごめんなさい。それと支えてくれてありがと武田君。ほら莉緒すわろ?」


 「う、うん」

 

 すぐに白石さんが駆け寄ってきて秋月さんを椅子に座らせる。

 そのままちょびちょび、と少しずつでも絶え間なくお酒を飲んでいく。


 大丈夫かな?そんな飲んで。秋月さんお酒弱そうにみえるけど

 っていうか、あ。

 

 「そ、そういえば俺は一人でタクシーか何かで帰ったらいいですかね?」


 てっきり白石さんの車で俺と秋月さん二人で帰るか、もしくはタクシーで二人で帰るのを想像してた。

 というかそもそもこんなに長くいるつもりもなかったのだけど。

 でも二人ともお酒飲んでるし秋月さんは動けそう。


 「いやさすがにそれはやめときなさい?危ないから」


 「でも帰らないと……」


 「大丈夫よ、今日はデートって言ったんでしょ?なら泊ってもおかしくはないわ?」


 いやおかしいと思う。

 俺と秋月さんの関係でそんなことになるはずがないもの。


 「今日はうちにとまってきなさい?ね、恭弥君?」


 白石さんが俺の腕をぎゅっと抱き下から見上げてくる。

 ぐっ、いやしかし。


 「外は危ない女性でいっぱい、それに私たちも酔ってて送っていけないし、教師としても大人としても許可できない。まだまだ話したいこともあるし。もう泊まる以外の選択肢ないわよね?」


 もう意地でも帰さないとばかりに、とぎゅっと抱き付き、笑顔で俺を見つめる白石さん。

 …………はあ。


 「秋月さんがいいならいいですよ…………」


 「いいわよねぇ、莉緒ぉ?」


 「うんー」


 あれ絶対意識ないでしょ、机に突っ伏してるよ?


 「ほらね?」


 あ、起き上がって俺らの様子を見てすぐにまなじりを吊り上げる。


 「って莉緒なんでそいつとくっついているのぉぉぉっ!」


 あ。


 「いや恭弥君こうでてつかんでおかないと帰りそうるっていうから」


 「帰ってもいいじゃない!というか彩香あなたこいつのこと恭弥君って呼んでない?」


 酔っぱらっていてもそこだけは聞こえていたらしい。


 「き、気のせいじゃないかなー?」


 慌てて白石さんが弁明する。


 「気のせいじゃない!ちゃんと聞いた!」

 

 ばっと顔をあげお酒を手に取ると、


 「もう全部いや!飲む!」


 飲めないくせに秋月さんはそんなことを言い出す。

 その割にちびちびとだけど、それでもだめらしく飲み始めてすぐに顔を突っ伏す。


 「あーあ、もうこうなったらダメねぇ。…………布団にいくわよ莉緒ー」


 「いかなーい!!」


 「駄々こねないの!いくよ~!」


 「いーやーだ~!全部そうやって決めてないで!お父さんたちが結婚もなにかも全部…………」


 会話というよりはもう愚痴に近かった。

 目からは涙もこぼれている。

 この様子だと、目の前にいるのが白石さんともわかっていないんじゃないかな?


 「ごめんね恭弥君、ちょっと寝室に寝かせてくるから」


 泥酔状態の秋月さんを白石さんが誘導していく。

 俺はなんとも言えない気持ちになっていた。


 数分して白石さんは戻ってきて、テーブルに座りお酒を開ける。

 グラスに氷を入れ、テキーラを注いでいく。


 「…………恭弥君も、のむ?」


 さっきまでの雰囲気とは違った。

 妖艶で大人の雰囲気、それが前面に出ていた。

 でも誘惑するような感じでもない。自然体、というか。


 「いえ俺は……」

 

 「てっきり飲んでるのかと思ってたわじゃ失礼して」


 からり、とグラスを傾け氷が音をだす。


 「ふぅ…………じゃあ大人のお話、しよっか?」

 

 夜はまだ始まったばかり。

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