第47話 何の変哲もない遠足 その6

 おそらく、六条飾は水筒のお茶に睡眠薬を入れている。


 彼女は、毎朝弁当をつくる。そのとき愛用の水筒にお茶を注ぐ。六条家は貧乏というわけでもないが、裕福というわけでもなく、余分な出費を彼女はあまり好まない。祐太郎関連は別だが。


 しかし、今日、六条飾は水筒を出していない。昼食のときも別にペットボトルのお茶を用意していたし、先ほど田辺に差し出したものもペットボトルの水であった。家に忘れて仕方なく、という可能性はない。僕が見守っていたところ、道中に買ったのはお昼のお茶のみ。あの水は家から持ってきたものだ。


 とすると、六条飾は意図的に水筒を置いてきたか、持ってきているが水筒のお茶は飲めないかのいずれか。


 まぁ、後者だろう。


 この遠足の期間中、同じ班の祐太郎と二人きりになれる機会をうかがって、睡眠薬入りのお茶を彼に飲ませる。そして気を失った祐太郎を人気のないところに運びこみ、彼の身体で存分に楽しむつもりに違いない。


 いわゆる、準強姦。


 明確な性犯罪であるが、今更、六条飾の犯罪行為をとがめたりはしない。もしも、順法精神が彼女への愛を上回っているのであれば、とっくの昔に彼女の手は後ろにまわっている。


 僕が気にしているのはそこではない。


 今更ながら。


 今更ながら、僕は、僕の胸の内に、六条飾と祐太郎が肉体関係を持つことに対するすさまじい嫌悪感があることに気づいたのだ。


 割り切ったつもりだったのに。


 いざ、六条飾と祐太郎の体が接触すると思うと、そこに両者の合意がないとはいえ、どうしようもない抵抗感がある。脳が破裂するのではないかというくらいに血が集まって暴れ狂い、呼吸がどんどん苦しくなる。


 こうなることはわかっていたじゃないか。


 六条飾は祐太郎のことが好きだ。彼女の幸せを望む僕は、六条飾がストーカー行為を楽しむならばそれを補助し、六条飾が祐太郎との恋愛を育むのであればそれを成就させる。だから、今、目の前にある結果は、僕が努力してつくりあげたものだというのに、納得できない。




 いっそ壊してしまおうか。




 ふと、そんなことを思う。


 壊してしまうことは簡単だ。僕は、彼女たちのすべてを知っている。今この場にとどまらず、彼らの関係を決定的に壊すだけの情報を持っている。その気になれば、あまりにも容易にできてしまう。


 僕が彼女を幸せにできれば。


 そう考えたことは何度もあった。祐太郎よりも、僕の方が六条飾を愛している自信がある。愛の大きさで幸せの大きさが決まるのであれば、絶対に僕と結ばれた方が彼女は幸せになれる。


 僕は六条飾のことを何でも知っている。彼女が朝起きてから夜寝るまでのすべてを。彼女が使っている歯ブラシの色も、持っている下着の数も、化学の教科書に書いてあるへたくそな猫の落書きも、なすびが食べられないことも、無類の猫好きなことも、汗っかきなことを気にしていることも、プチ整形に興味があることも、首筋のほくろがコンプレックスなことも、彼女が知らないことですら、僕は知っている。


 六条飾を幸せにする方法だって。


 なのに、なのに、なのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのに!!!


 どうして!

 

 どうして僕じゃないんだ!


 








 



 奪ってしまおうか。




 










 僕にならばできる気がする。六条飾のすべてを知っている僕ならば、彼女と祐太郎の関係を終わらせてられる。彼女に僕のことを好きになるように誘導させられる。彼女を僕のものにしてしまえる。今までやってきたように、僕にならば、きっと彼女のすべてを奪える。


 一瞬が、僕の目の前で留まり続ける。


 感情が時を止めたのか。そんな詩的な表現を添えたくなるくらいに、視界に文字が散らばっていて、狂気に満ちた声で囁いてくる。ここは地獄か天国か、いや、どちらでもない、僕の頭の中、ぐちゃぐちゃになった精神世界、心の奥の奥の汚い小部屋。


 直視できなくて、気持ち悪くなって、すべてを投げ出したくなって、理性から逃げるように、僕はただ足を踏み出した。


 そのとき。






 にゃー





 

 猫が鳴いた。

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