第28話 六条飾の恋敵失踪事件 その2

 間に合った。


 と言っていいのか、わからないタイミングで、僕は現場に辿たどり着いた。


 山をしばらくのぼったところ。既に暗くなっていて、月の明かりだけで動くには猫にでもならなくてはなるまい。そんな中で、ライトの明かりがちらちらと揺れる。


 スコップを持った黒づくめの女。


 彼女は、ひたいの汗をぐっとぬぐって、にこりと笑い、ぽんぽんと地面をスコップで叩いた。



「よし」



 いや、よし、じゃないよ。


 その下に埋まっているものを想像して、僕は、ゾッとせざるを得なかった。この女は、まことに自らの欲望に忠実だ。


 六条飾りくじょうかざり


 本当に良い女である。


 枝にかけたランプを取り外し、広げた器具類をまとめてリュックに仕舞い、六条は半ばスキップしてその場を去った。


 く気持ちをなんとか抑えて、僕は、六条の明かりが見えなくなるのをじっと待った。それから、僕は、ランプをかざして、六条の立っていた場所に走る。


 

「間に合えよ」



 僕はスコップを地面に突き立てた。


 一度、六条が掘り起こした場所なので、土自体は柔らかく、掘るのは容易であった。


 しかし、深い。


 掘っても掘っても土しかない。


 いったいどれだけ深く埋めたんだ?


 僕は、額の汗を力任ちからまかせにそでいた。はっきりいって、あせっていたのだ。なんせ時間がない。


 立花が、もしも生身で埋められていたとしよう。その場合、彼女は既に息をできていない。窒息してから、死に至るまでどのくらいの猶予ゆうよがあるだろうか。


 六条が穴を埋めるのに10分程度。そして、僕が穴を掘り進めてから、また10分ほど。


 それだけの時間を窒息状態にあって、人間は生きていられるものなのだろうか。


 死んだかな。


 いや、まだ可能性はある。僕は、その可能性に賭けて、土を掘って、掘って、掘り進めた。


 僕の身体がすっぽりと土の中に入り込んだとき、ぷるぷると震える腕で突いた土が、妙な音を立てた。


 カツン


 硬い音が鳴る。その音が唯一の救いであった。僕はスコップで周囲の土を払いのけて、そして、そこに埋められていたを確認した。


 六条は帰るときにトランクケースを持っていなかった。


 すると、どこか山の中に放棄したか、それとも、トランクケースごと埋めたかのどちらかだ。


 後者の可能性の方が高いとは思っていたが、実際にトランクケースを発見して僕はホッとした。


 だが、まだ安心できない。


 立花は、学校でトランクケースに入れられた。そこからずっと密閉されていたとしたら、既にトランクケースの中に酸素はないだろう。


 一縷いちるの望みとしては、六条が、穴の中に埋める前に、一度、


 こればかりは、六条を信じるしかない。いや、僕が、愛する六条の思考をトレースできていることを信じるしかない。


 六条は、埋める前に。自分の成果を見るのだ。祐太郎に近寄る悪い女を払いのけた。これは祐太郎のためにやったこと。つまるところ愛の証明。その証を眺めることは、愉悦ゆえつだろう。


 トランクケースを開けていたならば、空気はそのとき入れ替わり、ぎりぎり間に合う。


 かもしれない。


 僕はトランクケースの周囲に足をつけ、そして、かちりと留め金を外した。このとき、ハッと気づいたのだが、もしも留め金に鍵がかけられていたら危なかった。


 もちろん、工具は持ってきている。だが、かなりの大仕事となる。そんな時間はきっとない。


 

「生きていてくれよ」



 僕は、両手を合わせて拝んでから、トランケースを開けた。


 中には、制服を着た女生徒。手足を乱雑に折りたたまれ、まるでマリオネットのようにトランクケースの中に押し込まれている。


 身じろぎ一つしない彼女は、暗闇の中で見れば、本当にただの人形のようで、もしくは――





 ――死体のようであった。


 





 ごくりと唾を呑む。


 どうにも手が震える。もしも、もしも、もしも息をしていなかったとしたら、ここにあるのは紛れもなく死体であり、僕は、今、同級生の死体を見ている。


 背筋を汗が伝う。


 まるで死神に、その白く細い指の爪先で、背中をなぞられているようであった。


 いや、実際に死神が、鎌を首にかけているのは立花だろうが。


 もう一度、両手を合わせ、拝み、祈ってから、僕は、彼女にライトを向けた。 

 

 ライトは、彼女の青白い四肢をあらわにする。そこに血の気はなく、まるでペンキで塗られたのではないかと思うくらいにのっぺりとしている。


 その明かりを上に向けると、彼女の寝顔が浮かび上がった。くるりと巻いた淡い色の髪は、毛綿けわたのように舞っており、カールしたまつ毛がやけにくっきりと目に映った。



 ……息を、していない。



 やはり、間に合わなかった? いや、まだ、そこまでの時間は経過していないはずだ。蘇生はできる。


 しかし、こんな穴の中の狭いスペースでは、蘇生処置もできない。


 僕は、トランクケースの中から、立花の手と足を出して、仰向けにする。


 心臓マッサージか? いや、人口呼吸か?


 僕は、立花の細いあごをくいとあげて、気道を確保し、鼻をつまんで覆うようにして口をつけ――


 

 パチ


 

 ――ようとしたとき、音が鳴ったかと錯覚するくらいに勢いよく、立花の目が見開かれた。



「え?」



 突然の出来事に、僕は頭の中が真っ白になった。いや、突然の出来事は、既に起こり散らしているのだが、これはさすがに想定外であり、もはやどう反応してよいのかわかりかねたのだ。


 混乱する僕をよそに、暗闇の中、僕に押し倒されたような姿勢で、まさに接吻せっぷんされそうになっていた立花は、あまりに真っ当な反応を示した。



「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」



 立花の絶叫は、世界中に届くのではないかと思わるほど鳴り響いたが、そのけたたましさが生きていることを証明してくれていて、僕は、妙に安心したのだった。

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