第12話 僕の六条飾日誌 その1

「おはよう」



 朝起きると、まず僕は、六条飾りくじょうかざりの声にこたえるところから始める。


 別に僕に向けて言っているわけではないのだから、応じる意味などないし、部屋にいない僕の声が聞こえるわけがない。


 だが、応じるのが恋というものだろう。


 それが盗聴であったとしても。


 盗聴というと聞こえがわるいかもしれないが、これは六条の行動を把握はあくするために必要なことだ。


 六条がいつ起きて、いつ寝るのか、どのような体調で、何を買って、何を捨てたのか。それらを知らなければ、適切なサポートはできない。


 六条の情報収集を効率化するために、僕は、彼女の家の近くに引っ越していた。移動の時間を極力少なくするためだ。


 とはいうものの、引っ越すなんて簡単なことではない。好きな人の近くにいたいから、近くに引っ越したいなど親には通用しないに決まっている。


 そこで、僕は実家を出ることを考えた。


 親は反対しなかった。そもそも僕に関心のない人達で、僕が家にいようがいなかろうが気にしない。黙って出たとしても問題なかっただろうが、一応尋たずねると二つ返事で了承りょうしょうを得た。


 ただ、金は出さないと。


 そりゃ、そうである。僕に関心がないのは、僕が両親に必要以上の迷惑をかけていないからであって、金銭的な負荷ふかをかけるとなれば、鬱陶うっとうしいと思うだろう。


 しかしながら、金をかけずに住める場所というのは、この日本には存在しない。


 公園、空き地などにテントを張って住むのは違法だし、すぐに摘発てきはつされる。ならば、廃屋はいおくに住むというのを考えたが、住宅地の近くに、都合のいい廃屋があるわけもない。


 だが、探してみるもので、空き家はあった。


 佐藤という夫婦が住んでいた家。近隣住人の証言とSNSによると、数か月前から夫婦関係は崩壊しており、一月前に夫人が実家に帰っている。さらに、旦那の方は別邸で愛人と同棲。家に連れ込めばいいものを、おそらく離婚の際に不利になることを嫌ったのだろう。


 何はともあれ、都合がいい。


 僕は、佐藤宅に忍び込み、新生活を開始した。六条飾を見守りやすい場所で。


 六条の家から近い佐藤宅からならば、盗聴器の電波がひろえる。カメラも仕掛けてあるが、これは必要なときにしか作動しない。年頃の女の子なのだから、すっぴんを男子に見られるのは嫌だろうとの配慮だ。


 盗聴器から聞こえてくる六条の生活音から、彼女のルーチンの進捗を確認しつつ、僕も準備を進める。


 サイクリングウェアとグローブ、シューズ、ヘルメット。すべて、六条と同じモデルの色違いをそろえた。まぁ、ロードバイクは中古だが。


 僕は、早めに家を出て、六条家の玄関が見える位置で、彼女が出てくるのを待つ。



「いってきます」



 玄関に仕掛けた盗聴器が彼女の声を拾ったら、しばらくして、六条の姿が見えてくる。ロードバイクにまたがった彼女の後ろ姿は、スタイリッシュで、かつ、セクシーである。朝、彼女の後姿うしろすがたを見ることで、僕は一日生きるパワーを得ていると言っても過言ではない。


 僕は、彼女を追って、朝のサイクリングに付き合う。男の僕でも、自転車でこの距離は、かなりきつい。それでも、六条は弱音一つ吐かずに疾走するのだから恐れ入る。


 トランクルームに、六条が自転車と服を収納するのを見届けてから、僕は別のトランクルームに同じように自転車と自分の服を収納する。


 そして、六条が祐太郎のマンションへと向かったのを確認し、僕は


 おっと、邪推じゃすいされると困るが、別に六条の脱ぎたての服を盗もうとか、ナニしようというわけではない。


 もちろん、僕も健全な男子高校生であるのだから、好きな女子の着ていた服の匂いをかぎたいとか、顔を埋めたいという性的欲求はある。しかし、自分の性的欲求を満たすために、六条の衣服を汚すことを僕はよしとしない。そこまで、堕ちていないということだ。


 用があるのは、六条のロードバイク。


 六条は、ロードバイクを常用しており、晴れの日も雨の日も乗り続けている。というのに、彼女はロードバイクのメンテナンスを一切しないのだ。


 ロードバイクはいわゆるママチャリと違って、とても繊細だ。一つ一つの部品が壊れやすいし、汚れや錆びなどにも弱い。ママチャリも手入れをした方がいいけれど、ロードバイクは手入れをのである。


 それなのに、六条は、ロードバイクの手入れをしないものだから、いつ事故を起こさないかと僕は不安であった。


 そこで、僕がメンテナンスをすることになったわけだ。


 僕も自転車に詳しいわけではなかったのだけれども、好きな人の命に係わるとなれば、一生懸命に勉強もする。いつの間にか、分解も組み立ても、掃除も注油もチューブ交換も手馴れてしまった。


 しっかりとロードバイクを整備し終えたら、やっと六条の後を追える。


 朝から、なかなかのハードワークであるが、六条のためなのだから、仕方がない。

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