第8話 記憶3

『「ほら、欠、あーん。」

あいつの、少し顔を赤らめながらも俺をからかおうとする顔が脳裏に浮かぶ。

「じ……自分で食べられるって……」

少し怒った口調であいつに答える。

ただその顔は赤く染まっている。

「えー私たち付き合っているんだからこれぐらいいいじゃん。」

少し不満そうな声で俺を困らせてくる。

「人前はちょっと……」

恥ずかしそうに俺はそう返す。

「そんなの気にしないで。欠は私だけ見てればいいから。」

強い口調で言い返してくる。

「でも……」

どうすればいいか分からず俺は口ごもる。

彼女が望んでいるのだからしてあげるべきだろう。

でも、恥ずかしいし……

どうしよう?

「欠は私のこと嫌い?」

俺が悩んでいると彼女は少し悲しそうな顔で追い打ちをかけてくる。

あいつの言葉攻めが始まる。

「いや、そんなことない。」

俺ははっきり否定する。

「じゃあ、好き?」

小悪魔的な笑みを浮かべてさらに追及してくる。

こうなれば俺に勝ち目はない。

いつもの展開が待っている。

「うん……」

俺は掠れるような声で肯定する。

「本当に?」

分かっていながらわざと俺に聞いてくる。

本当にこういうところは意地悪だ。

「うん、本当だって。」

俺ははっきりと肯定する。

お願いだからこれで勘弁してください。

そう俺は心の中で願う。

が、その願いは届かない。

彼女の暴走は止まらなかった。

ここからさらなる要求を彼女はしてくる。

「じゃあ、私に向かって愛の言葉を囁いて。」

そう言ってこの小悪魔はまた意地悪な要求を俺にしてくる。

「人前じゃなかったらいくらでも言ってやる。」

そう言って俺はごまかそうとする。

まあ、これでも逃げられないだろう。

そんな嫌な予感がする。

「えー今じゃなきゃ嫌だ。」

そう言って駄々をこねる。

案の定無理だった。

「無茶言うな。」

俺は少し怒った口調で返す。

「欠、私のこと嫌いになったんだ……」

そう言って落ち込んだ表情を見せる。

もちろんわざとであろう。

本当に落ち込んでなどいないだろう。

俺をいじって楽しんでいるのだろう。

まあ、俺には作っている表情か素の表情かの判断などつかないが……

彼女の演技が上手いのか?

俺の能力が低いのか?

言うまでもなく後者である。

俺は覚悟を決める。

きっと周りの客からバカップルと見られることだろう。

「……愛しているよ……凛音(りお)……」

俺は恥ずかしがりながら、でもはっきりと凛音に告げる。

そうでもしないと「聞こえなかったからもう一回。」なんて言われてもう一回人前で恥をさらすことになるのだ。

「私も愛しているよ、欠」

満面の笑みでそう返してくる凛音の笑顔が脳裏に浮かぶ。

思わず心臓の鼓動が高鳴る。

グラーベ。

ラルゴ。

レント。

アダージョ。

ラルゲット。

アダージェット。

アンダンテ。

モデラート。

アレグレット。

アニマート。

アレグロ。

アッサイ。

ビバーチェ。

プレスト。

プレスティッシモ。

段々早くなる。

「じゃあ、ほら、あーん。」

そう言って彼女はまた俺にスプーンを近づけてくる。

「え……ちょっと……もういいでしょ……」

俺はまた動揺する。

こいつはどこまでやれば気が済むのだろう?

彼女の行為と好意は確かに嬉しい。

だが、それ以上に精神的に疲れたのである。

「さっきこれより恥ずかしいことしたんだからいいでしょ。」

そう言って彼女は俺を説得しようとする。

「……蒸し返さないでよ……恥ずかしかったんだから。」

「ね、だから、ほら、口開けて。」

「分かったから。」

俺は結局彼女に丸め込まれる。

抵抗しても無駄だろう。

彼女がスプーンを俺の口のなかに入れる。

何か凄い甘い味がする。

これが本来の味なのか?

そうでないのか?

答えは言うまでもないだろう。

「どうおいしい?」

彼女はそう俺に尋ねる。

「うん、凛音が食べさせてくれたから、いつもよりもおいしい。」

やられてばかりも嫌なので俺は反撃することにする。

凛音の頬が微かに赤く染まる。

こんな凛音初めて見た。

彼女もこれはさすがに誤魔化しきれないみたいだ。

「つ……次は欠の番だよ。ほら、食べさせて。」

照れ隠しに彼女はそう要求してくる。

さすがに彼女には勝てないみたいだ。

「ほら、あーん。」

彼女の口に自分のスプーンを近づける。

「欠が食べさせてくれたからいつもよりもおいしい。」

彼女に俺の言った言葉をそのまま返される。

頬があっという間に赤くなる。

自分で言っておきながらこんなに破壊力が強い言葉だとは思わなかった。

「あんまりそんなこと言われると恥ずかしいからほどほどにしてね。」

照れながら彼女が俺にそう言ってくる。

どこか彼女は嬉しそうでもあった。

「だったら、からかうの控えめにしてね。そうすればもうこんなこと言わなくて済むから。」

俺は彼女にそう要求する。

「それは嫌だ。たまには言って欲しいし。」

彼女はいつもの調子を取り戻して俺にそう言ってくる。

「まあ、気が向いたらな。」

俺はそっけなく答える。

もちろん照れ隠しである。

こんな風によくからかわれたっけ?

あの時になんとなく今の状況は似ている。』

記憶はそこで途切れた。

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