第2話 記憶1
ある日の数学の時間だった。
「この問題教えてくれない?」
ポニーテールの女が俺にそう話しかけてくる。
俺の前の席の女だった。
「いいけど……」
俺はそっけなく答える。
ここ最近久しぶりにクラスメートに話しかけられようになった。
実に2か月ぶりである。
高校に入った頃はもっと話しかけてくれる人の数が多かったはずだ。
が、段々とみんなグループができて話す機会は減った。
俺は溢れたのだ。
まあ、たいていの人間とは2,3回話してそれっきりなのだが。
だから、心の中では久しぶりにテンションが上がっていた。
もちろんそんなことは表には出さないが……
この時間を俺は密かに楽しみにしていた。
「えっと……二次不等式は慣れないうちはグラフを書いて考えると分かりやすくて……=0として解くと解は-1と3で……」
俺は説明を始める。
「十六夜君、この問題分からないのだけど。」
長い黒髪の女が口をはさむ。
俺の斜め前の席の女だ。
このクラスで一番身長が小さいらしい。
確か150センチないとか言ってたっけ?
「この説明終わってからでいい?すぐ終わらせるから。」
俺は彼女に問いかける。
「うん、急がなくていいよ。」
彼女は俺にそう言って違う問題を解き始める。
「了解。」
俺はそう言って続きの説明を始める。
「今回は0以下だからグラフを見ると-1以上3以下の部分でしょ。だから答えは……-1≦x≦3。分かった?」
俺は彼女に問いかける。
「ごめん、全然分からん。」
彼女は少し申し訳なさそうにそう答える。
「ポイントとしてはグラフを書くこと、=0として二次方程式を解いてx軸との共有点のx座標を求めること、グラフを見て不等式の意味する範囲がどこか読み取ることの三つ。この手順でやれば二次不等式は解けるから。後は練習するだけなんだけど……」
彼女が分からないと口にするのはいつものことなので慣れているし、想定内だ。
俺は苦笑いしながら、要点をまとめてそう説明する。
が、まあ分からんだろう。
案の定、それができたら苦労しないと言わんばかりの顔でこちらを眺めている。
まあ、俺だって最初からできるわけではないし、練習しなければ一向に解けるようにならない。
何事でもそれは同じだ。
一部の天才と呼ばれる例外を除いて。
彼女もそれは理解しているだろう。
「よく分からんけどやってみる。ありがとう。」
そう言って彼女は笑った。
どこか懐かしい、見慣れた笑顔だった。
「うん、また分からなかったら言って。」
何度説明しても分からないというのもいつものことだ。
そのたびに、俺は何度も説明するようにしている。
馬鹿だけどやる気はあるのだ。
こうして分からないところを放置せず、毎回俺に聞いてくるのだから、俺も全力で助けてやらなければならない。
妙なプライドがあった。
「うん。」
そう返事して彼女は説明された問題に取り掛かる。
「お待たせ、今から説明するから。」
俺は待たせていた彼女に声をかける。
「うん。」
彼女がこちらを向く。
そして、分からない問題を差し出してくる。
問題を少し見てどう説明しようか少し考えた後、俺は説明を始める。
「えっと……この問題は……文字が入ってて分かりにくいんだけど……数字のときとやることは全く同じで……」
ピピピピ…ピピピピ…ピピピピ。
目覚ましの音が鳴る。
俺はまだ眠い目をこすりながら、目覚ましを止める。
どうやら夢を見ていたようだ。
気のせいだろうか?
十年近く前にもこんなことがあった気がする。
はっきりとは覚えていない。
が、朧気な記憶が微かに残っている。
楽しかった思い出。
今はもう決して手に入ることのない。
失ってしまった。
俺の力じゃどうしようもなかった。
どんな手を使ってでも変えたかった。
そして、どんな手を使ってでも守りたかった。
そんな気がする。
司令部への異動が決まって1か月。
それから、毎日のように今日と同じような夢を見ている。
高校時代の夢だ。
昔体験したような気がする夢だ。
疲れているのだろうか?
体が拒絶しているのだろうか?
また何かを期待しているのだろうか?
まあ、そんなことはどうでもいいか……
あれは夢だ。
幻想だ。
昔体験したように感じるだけで現実にはなかったことだ。
そう俺は自分に言い聞かせる。
それよりも今日は異動して初めての仕事だから、遅れることはできない。
早く準備しないと……
ベッドから出て服を着替え、キッチンへと向かう。
冷蔵庫を開ける。
中には入っているのは一つだけ。
ゼリー飲料だ。
俺はそれを取り出し、食べながら、パソコンでニュースをチェックする。
食事はなるべく時間をかけず、軽めで済ませる。
それがいつものことだ。
あんまり食べないし、食べている時間がもったいない。
そんな時間があったら研究に時間を費やす。
無駄な時間は作りたくないから。
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