第二十夜 遠足 そっちに行ってはいけないよ
これは、私が小学校高学年くらいのこのろお話だ。私の小学校は遠足で、年長は東西を海に囲まれた広い広い岬に行くと決まっていた。
そこは太平洋と東シナ海が分かれるとても美しい岬であり、晴れた日は海と空との分水嶺の水平線も見ることができる。小学校の高学年は、そこで遊んでお昼を食べて十四時くらいに帰る。
わりと普段から親につれられていったりするときもあるし、その土地ではメジャーな場所なので勝手知ったる岬である。遠足の季節は、その岬一面に百合の花が咲く季節になるのが常であった。私たちはいつものように遠足に行き、たくさん遊んでお昼ご飯を食べ、もうひと遊びして帰ろうか、となったときのことである。
その岬には、よくある昔話の、機織りの上手な美しい娘が、数々の権力者に見初められて、とうとうその岬から身を投げて死んでしまう、というお話がある。その娘が機織りをしていたとされる岩窟が祠となって祭られているのだが、どうしてだか、その先の海の方が気になったのである。ちなみにその祠は地元の人から、興味本位に近づいてはいけない、とか、夜行ってみたら恐怖体験をした、とかわりと噂になっているけども、私は何度も見たその祠からは嫌な印象を受けたことは一度もなかったので、その噂は信じていなかった。ただ、少し悲しい場所だな、という印象を受けることはあった。
私は何かに呼ばれたような気がして、子供たちの輪から外れて、海の方へ歩き出した。岬は岩場も多いので、転ばないように気を付けていかなければならない。穏やかな日差しの中、百合の花をかき分けかき分け、私は海の方へと急いだ。そして、その機織りの得意だった娘の祠を通り過ぎようとしたとき、その岩窟の外、ちょうど日陰になっているところで、ぎゅっと手首をつかまれた。
何だろうと思って見てみると、その岩窟の作った日陰に立つ女性が、優しく微笑みながら私の行く手を制していたのだった。彼女はつば広の麦わら帽子をかぶっており、そのつばが作り出した影が逆光と重なり、目の辺りの表情をうかがい知ることはできなかった。彼女は私の手首を握りながら、小さく言った。
『そっちに行ってはいけないよ』
特に何があるわけではないだろうに、彼女はそう言って私を止めた。日陰にいるためか、ひんやりとした温度感に感じた。でも、私はどうしても、海の、崖の向こうが気になっていた。
『でも』
『ダメ。そっちに行っては、いけないの』
おそらく彼女は、どうしてもここを通してはくれないだろう。別に恐怖や威圧感は感じなったけれど、私はなんとなくそのことを理解し、同時に腑に落ちた。
『わかった。帰ります』
そう言うと、彼女は私の手首からそっと手を放し、もう一度にこりと微笑んだ。また百合の間をかき分け、来た道を戻ることにしたのだが、ふと彼女はどうしているだろうと振り返ったとき、岩窟の陰で私を見送るように手を振っていた彼女がふと百合の花の影に隠れた際には、どうしてだか、その姿は見えなくなっていた。
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後日談として、彼女が行くなと言った先、同時刻の同じ場所で、釣り人が転落して死亡するという事件あったということが、新聞の紙面をにぎわせた。
その釣り人は何かに引かれて転落したのかもしれないし、本当に事故だったのかもしれない。それはわからないし、あのとき私を止めてくれた女性の意図が、私が何かに引かれているのを止めたかったのか、または転落した釣り人の死体を見せたくなかったからとか、全く私の想像のつかない何かだったのかはわからない。
ただ、あの地方で行ってはいけない、とささやかれるあの祠は、たぶんそんなに悪いものじゃないよ、と今でも私は思うのである。
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