つまらない着物

増田朋美

つまらない着物

その日は、何度か雨が降って、本当に梅雨空らしい日で、体調を崩してしまう人も続出するような日だった。それでは、なかなか買い物に出ようという気にもならないのであるが、そういう日に限って、雨の日のポイント二倍とか特典がついてしまうのだから、びしょ濡れになってもでかけてしまいたくなるものである。

中村櫻子は、ちょうど食器を買うためにリサイクルショップを訪れたのであった。そのリサイクルショップは日用品というより着物を中心に販売している店で、雨が降っているとき着物を買うと、なんでも半額にしてくれるクーポンをくれるとかで、とても繁盛しているのだった。まあ、着物と言っても、1000円とか2000円とかで購入できるものなので、あまり濡れるとかそういうことも気にならないのだろう。それに、洗える着物だけ飼っていく客も居るという。

その中に、一人なんだか寂しそうな顔をした中年の女性を櫻子は見つけた。その女性が、着物を持って、レジへ行こうとしたところを、櫻子はちょっと止めさせて、

「何を買ったの?出して見せなさい。」

と言ったのだった。

それと同じ頃。

杉ちゃんたちは、製鉄所で水穂さんの世話をしていた。確かに雨ばかり降って居る季節だと、水穂さんも体調を崩してしまいやすいと思うのだ、えらく咳き込んでしまって、内容物、つまり赤い液体を畳の上に出して、畳を汚してしまうのである。杉ちゃんが、

「またやったな。畳の張替え代がたまんないよ。」

というと、

「仕方ありませんね。この時期ですから、どうしても体調が崩れやすくなりますよね。まあそれは誰でも同じです。」

と、ジョチさんはそう言って、畳を濡れ雑巾で丁寧に拭いた。もうそうなると、畳は使い物にならなくなってしまうのであるが、また張り替えてもらいましょうと言うしかなかった。それと同時に水穂さんがまた咳き込んで、中身の本体がぐわっと姿を現した。それはどうしても目を避けたくなってしまうものであるが、ジョチさんも杉ちゃんも目が離せなかった。二人が、本体を雑巾で拭き取ったり、水穂さんの口元を拭いてやったりしてやっているところ、

「ほらここよ。ここなら間違いないわ。着物に詳しい人が居るから、そこでみっちり指導を受けると良いわよ。大丈夫。私は悪いようにはしないから。」

と、女性がそう言っているのが聞こえてきた。

「あれえ、櫻子さんだ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「一体こんな雨の中、何をしに来たんでしょう?」

と、ジョチさんも言った。

「ちょっと僕、確認してきます。」

そう言ってジョチさんはその場を立ち上がり、玄関先に行った。そこにいたのは確かに中村櫻子さんで間違いなかった。だけど、紙袋を持っている女性は、なんだか悲しそうで、寂しい雰囲気のある女性だった。

「一体どうしたんですか。こんな雨の中を、何をしに来たんです?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ。ちょっと杉ちゃんに聞きたいことがあるんです。入らせていただきますね。」

と櫻子は、そう言って、すぐに草履を脱ぎ始めた。全く、櫻子は、イスラム教の指導者という肩書なのに、日本の着物を着て、ちゃんと足袋も履いて、草履も履いている。櫻子によれば、シーア派はさほど服装制限は無いという。まあ確かに、厳格なスンナ派と比べると、シーア派はあまり厳しくないというが。

「ちょっとまってくださいよ。こちらの女性はどなたなんでしょうか。櫻子さんのお弟子さんですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ。石村麗奈さんという方で、ちょっと、着物のことで相談があるそうです。私が、曖昧な答えをいうより、着物のことなら何でも知っている杉ちゃんのところに行けば、もっと確かな答えをいってくれるのではないかと思いまして、連れてきました。」

と、櫻子が言った。

「石村麗奈?」

ジョチさんがそう聞き返すと、

「はい。はじめまして。石村麗奈です。あの、杉ちゃんという方は何処にいらっしゃるのでしょうか?」

と、石村麗奈さんは言った。なんだか自信がなさそうで、とても寂しそうな表情をしている。

「ああ、今、奥の四畳半で水穂さんという方の世話をしています。何か御用がお有りですか?一体櫻子さんと一緒に、何の相談をしに来られたんですかね?」

と、ジョチさんはいった。櫻子が、ほら言いなさいよと彼女に発言を促したところ、杉ちゃんが車椅子を押してやってきて、

「やっと止まってくれた。で、僕に何の用があるんだよ。」

と、石村麗奈さんを見た。杉ちゃんの言い方というか喋り方は、ヤクザの親分みたいな言い方だったので、ちょっと怖いなという雰囲気もあった。

「杉ちゃんという方はこちらの方ですか?」

と石村麗奈さんが聞くと、

「そうよ。この車椅子の方がそうなのよ。和裁技能士やってるから、着物のことならなんでもしってるから、ちゃんと話してご覧なさいな。」

と、櫻子に言われて石村麗奈さんはハイと言った。杉ちゃんが、

「まあ玄関で話してもしょうがない、とりあえず、食堂へ行こう。」

と、全員を食堂に案内して食堂の椅子に座らせた。そして、

「じゃあ、相談したいことをちゃんと隠さずに話してみてくれ。始めから頼むよ。それから終わりまでちゃんと聞かせてもらうぞ。」

と、彼女、石村麗奈さんに言った。

「はい。お話します。実は、先程、櫻子さんにもお話しましたが、来月、息子が結婚式を上げることになりました。しかし、そのときに着る着物のことですが、私には色無地で出てくれと式の関係者に言われてしまいまして。それで、色無地を買おうと思ったのですが、櫻子さんが、身内というか、息子さんの結婚式であれば、黒留袖を着てくるのが当たり前だと言いましたので。」

石村麗奈さんは小さな声で言った。ちなみに着物の事をあまり知らない方のために、色無地について説明しておくと、色無地とは、柄を入れないで、黒または白以外の一色で染めた着物のことである。柄は全くないが、着物を織ったときに発生する地紋は存在し、それがびっしり集まっているほど格が高くなり、礼装として使用することができる。逆に地紋の少なく隙間を入れて入れた物はカジュアルになる。地紋のまったくないものは、くすんだ地味な色にして、弔事と兼用にすることも多いという着物なのだった。

「はあ、そうですか。確かに、黒留袖は、身内というか、ご家族が結婚したときに着る着物の一つではありますが、それは比翼をつけて仕立てるのにも分かる通り、ご主人が存命で、他人に譲渡できる子孫が居る女性に限って着用されます。」

と、ジョチさんが一般的な事を言った。

「そうそう。帯結びを二重太鼓にするのも、偶数にするのは、子孫が居ることを示すためだ。だから既婚者でも子供のいない女性は、色無地を着て、奇数の一重太鼓を締めるのがお決まりになっている。それで、お前さんは、色無地を着ているというのであれば、ご主人はおそらく死亡している?それで、息子さんだけが存命。そんな感じだからしきたりを厳格に守って、色無地を選んだのだろう。そういう事は、昔だったら十分通用したんだけど。」

杉ちゃんは、腕組みをしてそういう事を言った。

「そうかも知れないけど、あたしは黒留袖を着てもいいと思うのよ。だって、相手の方はみんな黒留袖を着てくるでしょうし、一人だけ色無地っていうのもおかしいでしょ。それに、ご主人がいないとしても、ちゃんと息子さんは居るんだし。」

と、櫻子は彼女を励ますように言うのだった。

「うーんそうだけどねえ。日本の服装というのは厳しいからねえ。それで式の形式は何でやるつもりなの?場所は何処?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい。富士宮市の興徳寺というお寺です。比較的簡素に行いたいと言ったところ、息子が探してきてくれて。身内と親戚で静かにやりたいって言ったところ、じゃあここならどうかということで。」

と、石村麗奈さんが言った。

「そうですか。それでは仏前式ということになりますね。確かに仏教では無を尊ぶので、柄の無い色無地は向いているのかもしれませんが、でも、今の時代は皆黒留袖を着ますよ。」

と、ジョチさんが彼女に言った。

「それでいいんじゃありませんか?だって、お嫁さんのご実家の方々はきっと、黒留袖を着てくるでしょう?」

「すごい大家族なんです。なんでも、お姉さんが二人いて、一番先に結婚することになってしまったとか。それに、お父様もお母様も、お祖母様まで健在で。」

麗奈さんは小さくなっていった。

「一体何をされているお宅なんでしょうね。ただのサラリーマン家庭には見えませんね。」

と、ジョチさんが言うと、

「はい。本屋を経営されている方だそうで。息子が、そこの従業員として働いているのですが、なんだか社長さんの娘さんと恋仲になってしまって、結婚することになったんだそうです。」

と、麗奈さんは言った。

「はあ、なるほど。逆玉か。」

杉ちゃんは、やれやれと言った。

「まあ、いずれにしても、本屋の後継ぎがいないので、男の跡継ぎができて一石二鳥だって、あちらのお父様やお母様は喜んでおられました。私は、もう主人も、なくしてしまっているし、息子と10年以上二人だけで暮らしていましたので、正直ああして喜ばれて、困ってしまいました。」

麗奈さんは、小さい声で言った。

「そうなのね。それじゃあめでたいことなのかあ。それなら、黒留袖を着てもいいんじゃない?あなた、寂しそうで自信がなさそうな顔をしているけれど、でも、息子さんが立派に結婚することができたんだったら、それは、喜んでお祝いしてやることがいいと思うけど。それにさ、黒留袖も今はリサイクルショップで買えるし、そんなに入手は難しくないわよ。だったら、黒留袖を着たほうがずっといいと思うけど。どうかしら?あたしは、せっかくの息子さんの結婚式なんだし、息子さんを立派に育てた母親として、堂々としていいのではないかと思うけど。なんか知らないけど、この人、何をするにも自信がないって感じで。変なところがあるようなのよね。なんか知らないけど、なにかいけないことでもあったのかしらね。そういうことがあるんだったら、さっさと人に話して楽になってしまったらどうなの?幸い私、カーヌーンの教室だけではなくて、ちょっとしたカウンセリングみたいなこともやるわよ。それで話してみたらどうなの?」

櫻子が、麗奈さんにそう言うと、

「はい。そうかも知れないんですが、でも私は、そういう不利な立場になってしまったし。櫻子さんは黒留袖を着たらいいと思うと言ってくれますが、私は、とてもそんな着物を着れる資格はありません。だから、色無地という柄なしの着物で十分なんです。まさかうちの息子が結婚するなんて夢にも思っていなかったですし。」

と、麗奈さんは言うのだった。

「なんで、そういうこと言うんですか。自信がなさそうに見えるだけではなさそうですね。なにか特別な事情でもあるんですか?」

ジョチさんがそう言うと、また四畳半で咳き込んでいる声がした。

「やれやれ、ちょっと僕見てくるわ。」

杉ちゃんは、車椅子を方向転換させて、四畳半に戻っていった。水穂さんの咳き込んでいる声は、結構響く声で、食堂にもよく聞こえてきた。同時に、杉ちゃんが。畳代がたまんないよ、いい加減にしろと叱っているのも聞こえてきた。

「誰か、こちらに重い病気の方がいらっしゃるんですか?」

麗奈さんは小さな声で言った。

「ええ。まあ、彼はここで間借りをしているんですけどね。ちょっと事情があって、医療機関に行くことができないので、僕や杉ちゃんが、世話をしているんです。誰か世話をしてくれる女中さんを雇うとか、看護師に来てもらうとか、そういう事をさせてやりたいんですけどね。ですが、みんな彼に音をあげてやめちゃうんですよ。それに、医療機関に連れて行きたくても、日本の歴史が関わってくる事情がありましたのでね。それで僕たちできることは、皆無だということです。」

と、ジョチさんは言った。

「そうなんですか、、、。」

と麗奈さんはなにか考えるように言った。

「なにか思い当たることがあるんですか?」

と、ジョチさんが言うと、

「ええ、私の主人が、そういう人でしたから。」

と、麗奈さんは答えた。

「そういう人?例えば、差別的に扱われていたのでしょうか?」

ジョチさんはそう聞いてみた。

「主人は、出身国の中国では、漢民族ではなかったということで、大変バカにされたり、いじめられたりしたんだそうです。主人は、通訳として働いていたんですけど、それは少数民族としては、当たり前の作業というか、差別をされないように、無理やり漢語を覚えさせられて、大変だったと聞きました。それで私は、こっちに来て、もっと楽な暮らしをしたらどうかと思ったんですが、それでも、主人は辛かったようで。息子が生まれる数ヶ月前でしょうか。自殺で亡くなりまして。こんな話、他の誰かにわかってもらえるでしょうか。まだ、向こうの、社長さんご夫婦にも話していないんです。」

と麗奈さんは、下を向いたまま、そういうのだった。

「そうですか。わかりました。僕たちは偏見はありませんから、その様なことがあっても何も言いません。しかし、たしかに漢族ではなくて、差別的に扱われていた部族の出身であるとなると、かなりの偏見で見られるのは、間違いないでしょう。そこから自分に自信がなくなってしまうのも仕方ないことです。」

ジョチさんは、彼女を励ますように言った。

「中国で嫌われてきた部族というと、色々居るけど、一体何処の省から来てたのよ?」

櫻子が、思わずそう言ってしまうと、

「湖北省だったんです。」

と、麗奈さんは言った。

「ああそうなんですか。あの地域は、ビヅカと名乗っている人が多く住んでいるところですね。確かに、あの部族の人たちは、人種差別が多かったと聞いています。差別されないように、漢族の姓に無理やり当てはめたこともあって、母語であるビジ語を話すことが禁止させられていたとか。」

とジョチさんが言った。

「でもそれが何だと僕は思いますけどね。それでも立派に人生を生きて来たわけですから。そういう人こそ、本来は黒留袖を着るべきなんじゃないかと思いますよ。普通の人が知らない幸せを知っているのでしょうし、それが何倍も大事なことであるということも、知っているでしょうからね。だから、色無地を着て控えめにする必要は無いと思うんですがね。」

それと同時に、水穂さんが咳き込んでいる声と、ああほらほらと言って居る杉ちゃんの声が聞こえてきた。それを麗奈さんは肯定でも否定でもない、複雑な表情で聞いていた。

「あたしの主人もそんな感じでした。病院に行こうとしても、言葉が通じないからと言って断られましたし、映画館や観光施設にも入らせて貰えなかった。こちらは、いくら漢語を使えるから大丈夫だと言っても、相手にしてもらえませんでした。本当に辛かったけど、あたしたちは、我慢して過ごすしかなかったんです。」

「それはきっと、あなただけではなかったと思うんですけどね。確かに馬鹿にされたことも多かったかもしれないですけど、先程も言いました通り、大事な事を知っているわけですから。それのせいで本来なら自信をなくしてしまうべきでは無いのではないかと思いますけどね。違いますか?」

ジョチさんはそういう彼女に尋ねるように言った。

「そうそう。私も、もっと自信を持っていいと思うんだけどなあ。せめて、日本で暮らしていたんだったら、松のついた黒留袖を着てもいいんじゃないの?誰だって人は違うわよ。二度と同じ顔している人なんていないわよ。それぞれに人にはそれぞれの人生があるわけだし。だから私も、それでいいと思うんだけどなあ。そういうことなら、何も柄の無い着物を着るよりよほどいいわよ。」

櫻子もそう言って、彼女を養護した。それと同時に、杉ちゃんが食堂に戻ってきて、

「やれやれ、やっと止まってくれたよ。まあ、この時期だから、こうなっちまうのもしょうがないんだけど、なんだかねえ、病院にも連れていけないっていうのも、もどかしいものがあるな。なんか、ちょっと悲しいけどさあ。僕らは放置しておくしかできんもんかな。」

と、苦笑いしながら言った。

「そうですね。彼女、石村麗奈さんのご主人も、ビジ人だったそうで、水穂さんと似たように、人種差別を受けて来たそうです。それで自信がなくなってしまっているようですけど、それでも、生きていかなくちゃ行けないんですよね。」

ジョチさんは、彼女を眺めながら言った。櫻子は櫻子で、まだ、二人の会話に納得できなかったらしく、

「あたしは結局のところ、色無地何ていうつまらない着物よりも、黒留袖を着て、ちゃんとお祝いしてあげるべきじゃないかなと思うんだけどな。だって、たった一人の息子さんだし、それに、人種差別された人と一緒に生きた経験ってのは、生半可な努力じゃ得られないわよ。だから、相手の人に対抗するようなつもりで、結婚式に出てもいいと思うんだけど。」

というのであるが、

「いいえ、櫻子さん、せっかくアドバイスしてくれるような人たちにあわせてくれて、とても嬉しかったんですけど、あたしはやはり、色無地で出ようかなと思ってますよ。だって、そうすることで、主人の地位が回復するわけでは無いし、あたしたちの生活は、これまでと何も変わらないでしょうから。先程の人が、医療を受けられないような経験も、あたしもしたけど、それは誰にもわかってもらえないし、わかろうとしないで当然なのよ。」

と、石村麗奈さんは言った。

「でも、クルアーンの中には、身分で服装を変えることは明記されてないわよ。」

櫻子は、にこやかに言った。杉ちゃんたちも、本当はそうしてほしいという顔をしていた。だけど、彼女は、その表情を全く変えず、

「やっぱり少数派はいつまで立っても少数派のままなのよ。」

と、小さい声で言った。


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つまらない着物 増田朋美 @masubuchi4996

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