vision:ⅩⅨ 侵蝕~過去の記憶と夢のカケラ~

夢を見た。

昔の夢を…。


けれど、それは本当に

夢だったのだろうか?


いつしか記憶は書き消されて

虚無だけが拡がっていく。


そして残されたモノは………。

――――――――――――――――――――


バタリ、と倒れる音に結翔が振り返ると、千紗都が倒れているのに気付いて。

慌てて駆け寄ると、千紗都の息が乱れているのが分かった。

結翔は千紗都を抱き抱えて医務室へ運ぶと、ベッドに寝かせると、額に手を当てて熱を測る。


(………熱は、ない。でも、呼吸が乱れてる。どうして………?)


結翔は千紗都が倒れた原因を探っていると、千紗都が少しうめき声を上げた。


「………うっ………ん」

「千紗都?」


魘されている千紗都を見て、何か嫌な夢でも見ているのだろうかと思い、結翔は声をかけるも、千紗都は目を覚まさない。

そして、そっと手が触れた瞬間、結翔の中に千紗都の感情が流れ込んでくる。

結翔の持つ精神感応能力が、無意識に発動してしまったのだ。


(マズイ…)


そう思った瞬間には、千紗都の感情が結翔の中に流れ込んできていて、防ぐことも出来なかった。

そして、その感情は強く、映像と成って結翔に流れ込んでいった。



『見て見て。ほら、よく出来たでしょう?』

『お姉ちゃん、何してるの?』

『どうして?………ねぇ、どうして!』


―――やめて…。


『ごめんなさい…、赦してください…』

『私の所為で…。私が、あんなことをした所為で………』

『もう、誰も傷つけたくない…』


―――ヤメテ…。


『どうせ全部、嘘なのでしょう………?』

『上辺だけの、薄っぺらい同情なんか要らない………』

『もう誰も、信じない………』


―――お願いだから…。


『みんな、消えればいい………』


―――これ以上、壊さないで………!!



バチッ!!


「っ!!」


まるで衝撃を喰らったかのように弾かれた結翔は、自身の手を見ると、微かに震えているのが分かった。


(今のは………)


震える自身の手と、魘され寝込んでいる千紗都を交互に見て、結翔は困惑していた。

恐らく、今見た映像は千紗都の過去に違いない。

断片的にしか見ることが出来なかったため、詳しい内容までは分からない。

それでも、千紗都にとってそれが心に大きな負担になっていることは分かった。


「………」


ゆっくりと息を吐いて、深呼吸を繰り返し、流れ込んできた千紗都の感情を整理していく。

結翔は今みたいに、ふとした弾みで力が発動してしまう。

その時にそのままにしておくと、流れ込んできた他者の感情と、自身の感情との区別がつかなくなるため、一度感情を無にして、心の整理をしているのだった。

そうやって制御することで、結翔は自身の安定を図っていた。


今回も同様に、感情を無にして、千紗都の記憶の断片を一度切り離し、鍵を掛ける。

そうして、鍵を掛けた相手には、ふとした弾みでまた力が発動しても制御でき、簡単に感情は流れてこなくなるのだ。


「………はぁ」


大きく息を吐いて、感情の制御を終えると、もう一度千紗都に視線を向ける。

千紗都は未だ眠ったまま、時折魘されるように声を上げている。

やはり悪夢でも見ているのだろう。


ーーー起こした方が良いのか?


そう思い、千紗都に触れようと手を伸ばすも、一瞬躊躇い、その手を止める。

先ほどの光景が蘇り、また弾かれるのではないかという不安に押し潰されそうになるが、悪夢に魘される千紗都を放ってはおけず、意を決してその手を握った。


「………千紗都。………起きて、千紗都」


結翔は千紗都に呼びかけ、ぎゅっと手を握りしめた。


暫くして、仮宥愛が様子を見に戻ると、医療係の従者が心配そうに医務室の中を覗き込んでいるのが見えた。

何かあったのかと尋ねると、倒れたという千紗都を結翔が連れてきたとのこと。

心配して様子を見に医務室の中へ入ると、時折魘されながら眠る千紗都に結翔が付き添っているのが見えた。


「………結翔。千紗都さんは、大丈夫ですか?」

「!」


仮宥愛に声を掛けられて、顔を上げた結翔は、咄嗟に握っていた手を離そうとした。

しかし、千紗都が無意識に握り返して、またうめき声を上げると、結翔は再び千紗都に視線を戻した。


「状況は、良くないみたいですね………」

「………夢を見てるみたいだけど、魘されてて………。呼びかけてはいるんだけど、全然目を覚まさない」

「そうですか………心配ですね。一応、先ほど薬を飲ませてあるので、あまり酷くは成らないとは思いますが、ここまで侵蝕されていたとは………。油断しました」


結翔が呼びかけても目を覚まさないのであれば、かなり深く侵蝕されているのだろう。

もっと気に掛けていれば、ここまで酷くは成らなかったはずだ。

先ほどの自分を後悔しても、こうなってしまってはもう遅い。

今はまず、千紗都を目覚めさせることが先だ。


その為には、まず、千紗都の中に溜まっている瘴気を払わなければならない。

それは仮宥愛の力で何とかなりそうだ。

しかし、問題はその先だ。

どうすれば、千紗都を悪夢から目覚めさせられるか。


かなり深くまで意識が沈んでしまっていたら、普通に呼びかけただけでは届かないだろう。

そうであるなら、少々強引ではあるが、結翔の能力に頼るしかない。

それは、精神感応能力で心の中に入り、内側から声を掛けるというやり方だ。

しかしその場合、下手をすれば千紗都の心が壊れて仕舞いかねない。

さらには、結翔もその影響で、精神状態を壊しかねないのだ。


成功する確率はごく僅か、失敗は絶対に赦されない。

そんな状況で、仮宥愛は行動に移すかどうか、悩んでいた。


「………僕なら、大丈夫だから。仮宥愛、力を貸してくれる………?」


仮宥愛が答えを出せずにいると、結翔がそう告げてきた。

その言葉に、仮宥愛は驚くも、意を決し「わかりました」と応えた。


「絶対に、無理はしないで下さいね」

「………分かってる」


そう言うや否や、結翔は深呼吸して、千紗都の手を強く握りしめた。

先ほど、千紗都の感情に制御を掛けた部分を、少しずつ解放していく。

そうすることで、結翔の中に再び千紗都の感情が流れ込んでいく。

その感情を辿ることで、相手の精神状態の中に入ることが出来るのだ。


結翔は大きく息を吐いて集中し、千紗都の精神状態の中へと入っていった。



先ほど、断片的に見えた過去の映像だろうか?

ひとつひとつが、大小様々な光の欠片と成って、散らばっていた。

その中で、いくつか気になるものを見つける。


(………鎖………?)


その欠片には何重にも掛けられた鎖が付けられ、黒く澱んだ色をしている。

恐らく千紗都にとって、思い出したくもない記憶なのだろう。

結翔は、その欠片を見つめて、胸が苦しくなる感覚を抱いた。


だが、今は千紗都を目覚めさせることが最優先だ。


この精神状態の中に千紗都はいるはずだと、直感的にそう思って。

結翔は出来るだけカケラには触れないように、千紗都を探し回った。


(千紗都………、何処………?)


見渡す限り、色とりどりのカケラと、時折鎖の掛かったカケラとが入り交じる、無限の空間。

ふと、その空間の何処かで、自分以外の気配を感じつつも、その存在を見つけられずにいた。


次第に結翔は焦りを感じていた。

あまり長くここにはいられない。

いくら仮宥愛の力を借りてるとは言え、ここは他人の精神状態の中。

いつまでも居続けては、結翔自身の精神が保てなくなる危険がある。

結翔は何処かにいるであろう、他者の存在に意識を向け、後を追う。


そしていつの間にか、周りの景色が一転して薄暗い空間になっていた。


(何、ここ?さっきまでとは、空気も違う………?)


そこはまるで、冷たい湖の底にでもいるような、薄暗く冷たい空間だった。

その中で、薄らとだが何かの影が見えた。


(あれは………!)


ゆっくりと近づいていくと、そこにいたのは小さな女の子だった。


その少女は画用紙に真っ白いクレヨンで丸い円を描き、その上に灰色の水彩絵の具で塗り潰した。

浮かび上がったクレヨンの白い色が、まるで雪のように浮かび現れて、下の方には雪兎も描かれていた。

そして、その絵を掲げて、「で~きた!!」と叫ぶと、満面の笑みを浮かべていた。

その姿は、何処か千紗都の面影があった。


しかし次の瞬間。

少女に瞳から光が消え失せ、笑顔が消えると………。


ーーービリッ!


なぜか少女は突然、その絵を破り始めたのだった。


「………」


無言のまま、絵を破っていく少女の表情は無く、けれどどこか哀しく冷たくて。

塵じりになった絵を掌に乗せ、ふっと息を吹きかけて舞い散らせた。


「………」


舞い散る紙切れを無言のまま見つめて、やがて少女はまた別の画用紙を出して、同じように、クレヨンで色を付けていく。

しかし今度は白ではなく、黒い色だけで描いていた。

そして最後に、周りを赤く塗り潰して。

まるで焔の中にいるような、そんな絵だった。


「………どうして……?」


そう呟く少女の姿は、いつの間にか成長していたが、今の千紗都よりはまだ幼い気がして。

それでも、やはりその表情は無く、哀しそうな瞳だけが、ゆらゆらと揺れていた。


「………どうして?」


少女は同じ言葉をくり返し、その絵に向かって問い掛け続けた。


「どうして…こんなことをしたの?」

「………お母さん………」


そして次の瞬間、少女の周りに黒いもやが集まっていき、包み込んでいく。

やがてそのもやは、少女の中に侵蝕していく。


ーーーマズイ!


咄嗟に結翔は少女に向かって手を伸ばす。

しかしその手は届くことはなく、少女の姿はやがて黒いもやに侵蝕され、その声も、やがて歪なものへと変わっていった。


『どうして………?………お母さん………』


歪んだその声は、まるで泣いているかのように、哀しくて、辛くて、そんな気持ちになるような感じの声だった。

結翔はそのもやが瘴気であることに気付き、何とか払おうと仮宥愛の力を強く呼び寄せた。


仮宥愛は結翔からの信号に気付き、それに応えるように強く力を注ぎ込む。

そしてその力で瘴気を払おうと、結翔が手を翳すと、強い風が吹き荒れた。


「千紗都………っ、お願い………目を覚まして………!」


結翔は瘴気の中に取り込まれた千紗都に呼びかけた。


『………だ、れ………?』


僅かに、千紗都は反応して返事をするも、結翔のことを認識できていない。

結翔はもう一度、千紗都の名を呼んだ。


「千紗都!!」

『………ゆい、と………?』

「一緒に、ここから出よう……?千紗都………」

『………私、……』

「大丈夫………。仮宥愛も一緒に、待ってるから………帰ろう?」

『………帰る………?』

「うん、帰っておいで。千紗都………」

『………っ』


結翔の言葉に、千紗都に纏わり付く瘴気が、次第に払拭されていく。

そして、結翔が手を差し伸べると、千紗都は一瞬躊躇うも、その手を伸ばして、互いに握りしめた。


すると、周りの景色が一気に変わり、眩い光に包まれる。

その光が眩しくて、結翔は目を瞑ると、次の瞬間には意識が現実へと戻っていた。



「お帰りなさい、結翔」


仮宥愛の声に、ようやくここが現実で戻ってきたのだと分かった。

同時に、千紗都の様子を見ると先ほどまで魘され険しい表情をしていたのが、嘘のように、穏やかな寝顔をしていた。

やがてその瞳が開かれて、千紗都は目を覚ましたのだった。


「あれ………?私、どうして……?」

「ここは医務室です。倒れていたのを結翔が見つけて、ここまで運んでくれたのですよ、覚えてませんか?」

「えっと………。急に意識がなくなって、気付いたらここに寝てたみたいで………。すみません、ご心配おかけして……」

「謝らないで下さい。寧ろ、謝らなければいけないのは私の方です。千紗都さん、嘆きの雨の影響で、かなり侵蝕されていたみたいなのですが、気付けなかった私も責任があります。それに、千紗都さんを助けたのは、結翔の方ですよ」

「結翔が………?」

「………気分、悪くない?」

「え?う~ん……今はそんなに悪くは無い、と思う………」

「なら、良かった………」


そう言って結翔は微かに微笑んだ。

普段、あまり感情を表に出さない結翔が、自然と笑っているのが珍しくて。

その結翔の笑顔は、何処か幼さを感じさせるような、優しい笑顔だった。


その光景に、仮宥愛は何を思ったのか、「おやおや…」と呟くと、微笑ましい光景にまた一緒に笑みを浮かべていた。


「それにしても、なんか変な夢を見てた気がする………」

「夢、ですか?」

「はい……。それが、よく分からないのですが、最初は過去の夢を見ていたようなんですけど、途中から誰の声に呼ばれた気がして。その声に返事をしようとして、目が覚めたんです」

「………夢………」

「結翔、どうかした?」

「ううん、何でもない………」

「そう?」


千紗都にとって、先ほどの出来事は夢だと思ったのだろうか。

それでも、千紗都がこうして無事に目を覚ましてくれたのは、奇跡にも近いことだった。

もしも、一歩間違えていれば、あのまま瘴気に飲み込まれて、自身も巻き込まれていたかもしれない。

それだけ、他人の精神の中に入ることは、かなり危険な行為だったのだ。


例え、今は夢だと思っていても、いつかは知られるときが来る。

それがいつなのかは分からなくても、今は夢だったと思えるのなら、それでも良い。

千紗都の心が壊れないのであれば、それだけで良かったのだ。


と、そんな何気ない会話をしていると、不意に結翔が大きくあくびをして。


「ふぁ………」

「結翔、眠いの?」

「う~ん………ちょっと、いろいろあって………。疲れた、か、も……」


そう言ってる傍から、既に結翔は頭をこくりこくりとさせて、すごく眠そうに目を擦っていた。

そしてそのまま、頭を伏せて眠りについてしまった。


「ふふ、今日は本当にいろいろとありましたからね。ゆっくり休ませてあげましょう。千紗都さんも、目覚めたばかりですが、今日はこのまま休まれますか?」

「そう、ですね………。確かに、今日はちょっと疲れが酷いかも。このままここに休んでいても、大丈夫ですか?」

「ええ、もちろん大丈夫ですよ。寧ろ今は無理に動かない方が良いかもしれません。嘆きの雨の影響が、今後も出ないとも限りませんから………。今日はこのまま、ここでゆっくり休まれて下さい」

「分かりました。………その前に、結翔をベッドに寝かせた方が良いですかね?」

「そうですね。このままでは結翔が風邪をひいてしまいます。私がベッドに運んでおきますので、千紗都さんはもう休んでいて下さい」

「ありがとうございます………」


そう言って、仮宥愛は結翔を抱えて、となりのベッドに寝かせると、風邪をひかないようにと、毛布を掛け、そっと頭を撫でて「お疲れ様でした」と囁いた。


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