vision:ⅩⅦ Injury Rain~嘆きの雨が降る森で~

悲しいのは、この雨の所為か。

それとも、過去の感傷か。


その痛みは、誰の心にもあって

けれど、誰にも分からない。


悲しい痛み。



――――――――――――――――――――


七海の案内の元、近くの穴蔵へ向かう途中、何かを感じたのか、結翔がふと空を見上げた。

それに気付いた仮宥愛も、また空を見上げ、「まずいですね………」と呟いた。


「どうかしたの?」

「僅かですが、瘴気の混じった雨が降るかもしれません。急いでその穴蔵にたどり着かなければ、みんな当たってしまいそうです」

「瘴気の混じった雨………黒い雨とは違うの?」

「『黒い雨』は濃い瘴気が集まって降らせる雨よ。それに比べて、弱い瘴気が集まって降らせる雨は、濡れたら哀しい感情に蝕まれて、生気を吸い取られるの。巷では『嘆きの雨』って言われてるけどね」

「嘆きの、雨………」

「とにかく、もうすぐ着くはずだから、急いで」


そう言うや否や、次第に湿った空気が強くなっていき、やがてパラパラと雨が降り出してきた。


「あそこよ。みんな急いで!」


七海の指さす方に、大きな木の裂け目で出来た穴蔵が見えた。

皆走って穴蔵の中へと駆け、何とか本降りになる前にはたどり着くことが出来た。


「何とか間に合いましたね。暫くはここで雨が止むのを待ちましょうか」


仮宥愛が外を見ながら、皆の様子を確認する。

多少濡れはしたが、何とか無事に全員穴蔵の中へ入ることが出来た。


「ちょっと当たったけれど、少しくらいなら問題は無いです。でも、油断は出来ません。気を抜いたら生気を吸われてしまいますから、注意してください」


仮宥愛の言葉に、私は気を引き締めて、「分かりました」と返事をし、さっと服についた水滴を払った。

その間に、七海は穴蔵の奥の方で、小枝を集めて火を焚いていた。


「コレで少しは濡れた服も乾くでしょう」

「ありがとうございます。………こうしてると、昔に戻った気がしますね」

「バカ言わないで。ほんの気まぐれよ。それに、今は緊急時だったから仕方なくよ」

「相変わらず、素直ではないですね」

「うるさいわね」


仮宥愛と七海が小言を言い合ってると、結翔が身を震わせながら火に当たってるのが見えた。

先ほどの七海との交戦で体力を消耗してる所為か、いつも以上に覇気が無い。

側に寄って隣に座り「寒い?」と聞くと、「………少しだけ」と小さく返事があった。

確かに、顔色がまだ少しだけ青白い。

大丈夫かな?と、気に掛けていると、仮宥愛が隣に座り、結翔の額に手を当てると、心配そうに顔を覗き込んだ。


「少し当てられたみたいですね。何か薬はお持ちでしたか?」


仮宥愛の問いに結翔は首を振り、手持ちの薬は無いことを告げる。


「困りましたね………。このままでは生気を奪われかねません。しかし、現状身動きも取れない以上、雨が止むのを待つしかありませんね」


どうにもならない現状に、仮宥愛は他に解決方法がないかと、思考を巡らせている。

七海は火が消えないよう、力で火力を調整している。

何も出来ずにいる私は、ただ、結翔の背中を擦ってあげることくらい。

もどかしい気持ちでいると、目の前の草むらがガサガサと揺れて。

やがてその草わらの中から、獣が1匹姿を現した。

森に棲む狼犬だった。


雨の所為か気性が不安定なのか、グルグル唸ったと思えば、クーンと項垂れる仕草をして、まるで落ち着きがない。

狼犬はこちらに気づくと、またグルグルとうなり声を上げて、威嚇の態勢を見せるも、フラフラとした足取りでじりじりと距離を縮めてきた。


「この状況で、戦闘行為は極力避けたいのですが………仕方ありません。七海さん、力を貸してください」

「指図されなくても分かってるわよ。雨の御陰で多少は弱ってるとは言え、油断は出来ないから、ね!」


そう言うや否や、七海が先手を打ち、小さな火炎玉を狼犬に向けて放つ。

直後、仮宥愛がそこに熱風を当てて威力を増させると、まるで火柱のように燃え上がった。


火柱はまっすぐ狼犬へと向かっていく。

しかし、寸での所で水竜が火柱を掻き消す。

はっとして振り返ると、結翔が手を伸ばし、水竜を放ったのだと分かった。


「何してんのよ、バカ!」

「………ダメ。むやみに、攻撃しないで」

「この状況で何言ってるのよ!こっちから仕掛けなきゃやられるだけよ」

「………違う………、その子………助けを、求めてる………」

「え………?」


たどたどしく話す結翔の言葉に、七海は再び狼犬の様子を窺う。

少しずつ近づいてくる狼犬は、穴蔵の入り口にたどり着くや否や、クーンと弱く鳴くとその場に倒れ込んだ。


「雨の所為でかなり消耗してる。………今は、襲う事なんて考えてない。………だから、この子も一緒に、ここで休ませてあげて………」

「結翔………あなた………」


そう言うと、結翔はフラフラと狼犬に近づき、そっと体を撫でた。


「ごめんね………、もう大丈夫だよ………」


結翔に撫でられて、狼犬は再びクーンと弱く鳴いた。

その光景に、仮宥愛はやれやれといった感じに微笑み、そして寂しげに笑った。


「分かりました。結翔がそう言うのなら、この子に敵意はないのでしょう。こちらに入れて休ませてあげましょう」

「………まったく。お人好しも良いけど、いつか仇で返されるわよ?」

「………それでも、いい。苦しんでる姿を見るのは、人も、動物も、関係なく嫌だから」


そう言って、狼犬を抱き抱えるようにして、穴蔵の中へと連れてきた。

だいぶ弱っていたのだろう、結翔に撫でられ、やがて狼犬はウトウトとして、そしてそのまま眠りについたのだった。


そんな光景に、私は胸が熱くなるのを感じた。

やはり、結翔は優しい。

人も動物も関係なく、慈しみを持っていることが、どれ程のものか、今の私には計り知れないけれど。

それでも、相手を思いやる気持ちが誰よりも一番強くて。

自身自身も弱っているのに、それほど相手に気持ちをくみ取ってあげられることは、本当にすごいことだ。


でも、状況から言って、結翔もだいぶ弱ってきているのは確かで。

先ほどよりもだいぶ顔色が悪い。

早く館に戻って、休ませてあげたいけど………。

雨は一向に降り止む気配を感じない。


―――私に、何か出来ることはないのかな………?


ふと、そんな気持ちになって。

けれど、何も無いこの状況で、何が出来るわけでもなく。

結局何も出来ないまま、雨が止むのを待つしか無かった。


(無力だな、私って………)


火を焚いて暖を取ってくれる七海。

外の様子を窺い監視をしてくれてる仮宥愛。

自身と同じく弱った狼犬を介抱している結翔。

それぞれが皆、役割はきちんとしている中、私だけが何も出来ずにいることが、もどかしくて。


七海の焚いた火の側で膝を抱くようにして座っているだけで、何の役にも立たない私は、静かに溜息を吐いた。


(私、何やってるんだろう………?)


上手く立ち回れないのは、昔からそうだった。

自分で何かを考えて行動するのは、あまり得意な方ではない。

だから尚更、こういう時に何をしたら良いのか、考えても考えても、答えは見つからなかった。


「大丈夫ですか?千紗都さん。もしどこか具合が悪いのなら、言ってくださいね」

「………大丈夫です。ちょっと、考え事してただけなので。………雨、まだ止みそうにないですね」

「ええ、でも、少し弱まってきたので、もうすぐ止みそうな感じはしますね。………千紗都さん、無理してないですか?」

「………すみません。ちょっとだけ、気負ってました………。なんか、仮宥愛さんには隠し事は出来ないですね。何でも見抜かれてくるんだもの………」

「そんなことはないですが………。でも、何を気負っているのかまでは分からないですし、相手のことを全て分かる事なんて、誰にでもできることではありません。結翔のように感情を共有出来る力を持っているのならまだしも、ごく普通の人には100パーセント、相手の想いを知ることは出来ませんからね」

「そう、ですよね………。また考え過ぎちゃって、私の悪いクセだ」


私は苦笑いしながら、顔を膝に埋めた。

仮宥愛はそっと私の側に寄り添って、ポンポンと頭を撫でている。

その手が、いつも温かくて、優しくて。

だから、甘えてしまうんだ。


「大丈夫ですよ。千紗都さんも、少し雨に当たっていたのかもしれませんね」


そう言って、仮宥愛は私が落ち込んでいるのを雨の所為にしてくれて。

私はまた苦笑いを浮かべながら、「そうかもしれません………」と答えた。


そんなことをしている間に、いつしか雨が止んでいて。

立ちこめていた雲の隙間から、太陽の日差しが降り注いだ。


「さあ、では館へ戻りましょう。結翔とその子にも休息させてあげないと」

「悪いけど、私はもう館に戻る気はないから」

「分かりました。ありがとうございます、七海さん。貴方がいてくれたから、何とか嘆きの雨を凌げました。感謝いたしますね」

「やめてよ。そう言うの私が嫌いなの、知ってるくせに………」

「ふふ、でも本当に助かりました。あのまま雨に当たっていたら、皆無事に帰れませんからね」

「分かったから、さっさと行きなさいよ。そのお人形さんもその子も、早く休ませなきゃ何でしょう」

「はい。では失礼します。行きましょうか、千紗都さん」

「………はい」


そして穴蔵から出て、館へと向けて森の中を歩き出した。

雨粒に日光が反射して、木の葉がキラキラと輝いている。

その煌めきが、眩しく思えて。

私はそっと、目を細めた。


館へ戻ると、すぐに結翔と狼犬を共に医務室へと連れて行き、解毒剤を飲ませた。

それからベッドに休ませて、仮宥愛は医療係の従者に後を頼み、ホールへと戻ってきた。


「結翔の様子は………?」

「心配ありません。少しダメージはありますが、いずれ回復するでしょう。それより、千紗都さんの方は大丈夫ですか?まだ、気分は優れませんか?」

「………もう大丈夫です。本当に、ちょっと気負ってしまっただけなので。………すみません、迷惑かけてばかりで………」

「迷惑だなんて、思ってないと言いましたよね。千紗都さんも、そんなに自分を責めないで下さい。誰にだって臨機応変に動けるわけではありませんから、ね」

「………本当に、すみません………」

「………」


「謝るのは、もうやめましょう」とまた頭をポンポンと撫でると、仮宥愛は静かに微笑んだ。


「それに、今回は私が千紗都さんを危険に曝すようなことをしてしまっただけです。悪いのは私の方ですから、千紗都さんは何も悪くは無いです」

「でも………私が変に二人の関係に首を突っ込まなければ、こんな事にはならなかったのかもしれないのに」

「そう、かもしれません。でも、誰が悪いとか、そんなこと結局はどう考えても答えなんて出ません。犯人探しをしたいわけでもないでしょう。だから、この話はこれでもうやめましょう」

「………」

「まだ、腑に落ちませんか?」

「そう言うわけじゃないけど………。でも………」

「過去のことはどうしたって、変えることは出来ません。でも、その過去を無下にしないためにも、私たちは生きて行かなければいけません。亡くなった方達の分も、生きて、生きて、生き抜いて。その先に何があるかは、誰にも分かりませんが、私たちが前を向いて生きることが、彼らへの餞になるのですから」

「………本当に、それで良いのかな………。私………生きてて、良いのかな?」

「………千紗都さん………」


俯く私に、仮宥愛は困ったように肩を落として。

そっと目を閉じて、そっと言葉を続けた。


「そう思うのは、自分を責めてることだって、気付いてて言ってますか?もし、無意識にそう思うのであれば、仕方のないことですが、自分で気付いてて言っているのであれば、それは傲慢になります」

「………」

「誰にだって過去はあります。その過去に大切なものを失うことがあるかと思います。そのような発言は、そのものに対し悲しい思いをさせていると、分かっていますか?ましてや、それが人であるなら尚更です。いなくなってしまった方に、悲しい思いをさせても良いのですか?」

「それは………。分かってるんです。………でも。なんで私なんかが生き残ってしまったのだろうって、思いたくも成ります。相手が生きていれば、私なんかより、もっと幸せに生きて入れたかもしれないのに………」

「………“私なんか”という言葉は、良くないですね。あなたが今ここにいるのは、その方が貴方を守ってくれたから、今という時間を過ごせるでしょう。それを“わたしなんか”と言ってしまったら、その方に失礼だし、何よりもっと悲しませると思いませんか?」

「でも………、やっぱり私が生きてたって、何の役にも立てないし………。それに、私が居るから、みんなに迷惑かけてばかりで………。私が居なかったら、みんな、まだ幸せに暮らせていたはずなのに………。私が居たから………私が、“あんなこと”をしたから………だからみんなが………!!」

「千紗都さん、落ち着いてください。貴方も少し嘆きの雨の影響を受けてしまっていますね。一応、念のためと思って薬を持ってきたのは正解でしたね………。さぁ、コレを呑んでください。少しは気分も落ち着くはずですから」

「………はい。………すみません、取り乱して………」

「いいえ、構いません。さぁ、薬を呑んでください」


私は頷き、仮宥愛から解毒薬の小瓶を受け取ると、栓を開け、口に含んだ。


「………甘い」

「やはり、少し弱ってたみたいですね。その薬は、体調によって味覚が変わるとのことです。何も無ければ無味ですが、少しでも体調が悪い時には甘く感じるそうです。千紗都さんも、少し疲れが溜まっていたのかもしれませんね………」

「………」


やっぱり仮宥愛にはかなわない。

いつだって優しくしてくれて、周りに気を配っている。

その点、私はいつだってみんなに迷惑を掛けてばかりいて。


(情けない………)


そう思い俯いていると、不意に仮宥愛が顔に手を当てて。

パチンと軽く頬を叩いた。


「そんなに俯いてばかりいても、気分が滅入るだけです。さあ、顔を上げてください。大丈夫、誰も千紗都さんを悪く言うものなんて、いませんから」


そう言って優しく微笑み、今度は私の口角を持ち上げるようにして「はい、笑って」と笑顔を作らせた。

やっぱり仮宥愛にはかなわない。

私は、何とか笑って返すも、上手く笑えてる自信が無かった。


元々、そんなに笑う方でも無い。

感情をあまり表に出さないようにしているから。

感情のままに表情を出すことをやめたのは、いつからだろう。

たぶん、“あの日”からだと思う。

“あの日”が、私の全てを変えたんだ。


そう、全ては“あの日”に私の運命は変わってしまった。


「千紗都さん?どうかしましたか?」


ぼんやりと考え事をしていた私に、仮宥愛が心配そうに声を掛ける。


「ごめんなさい。ちょっと、考えごとしてて………」

「………」

「ホント、ダメですね。私、迷惑かけてばかりで………。………本当に、ごめんなさい………」

「何を謝るのです。千紗都さんは、何も悪いことをはしていないでしょう。そんなに自分を責めてばかりいては、心にも体にも毒ですよ」

「………分かってる、分かってるよ………。でも………、どうしたら良いのか、もう解らない………」

「千紗都さん………」


気付けば、いつの間にか私は涙を流していて。

止めようとしても、溢れてくる涙に、込み上げて来る感情に、私はどうしたら良いのか分からないまま、涙を流し続けた。


仮宥愛は何も言わず、そっと寄り添い、私の頭を優しく撫でてくれた。

その光景を、薬を飲んで回復した結翔が、壁越しで見聞きしていたことを知らないまま。


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