vision:Ⅹ 予知夢~降り出した黒い雨~
突然の罪の刃に抉られた
過去の記憶とその痛み
繰り返される日常の中
あの日の光景だけが
今も忘れられずに
心の奥底まで突き刺さる
――――――――――――――――――――――
翌朝になり、目を覚ますと熱はすっかり下がり、だるさも消えていた。
結翔の薬のおかげもあってか、だいぶ楽に動けるようになった。
ゆっくりと身体を起こすと、ベッドのサイドに千羽鶴が飾られてるのに気付いた。
皆が作ってくれたのだろうと、折られたたくさんの鶴をひとつひとつそっと指で触れて。
その傍には、美彩が育てたであろう花もいくつか飾られていて、ダイヤモンドリリーやガーベラのブーケもあった。
カーテンを開け、外の空気を入れようと窓を開けると、今日は曇り空のせいか、少し空気が湿気を帯びていた。
熱がぶり返さないように、カーディガンを羽織り、仕度を調えていると、部屋の扉を叩く音が聞こえて、扉を開けると仮宥愛が立っていた。
「おはようございます。お加減はいかがですか?」
「おはようございます。おかげさまで、だいぶ楽になりました」
「それは良かった。結翔の薬が良く効いたのですね。念のため今日も部屋で食事して、明日からまた皆さんと一緒に食事としましょうか」
「…なんか、迷惑掛けてばかりで、本当にダメですね私…。結翔にもお礼を言わないと。朝早くに起こしちゃったみたいだし、皆にも心配させちゃったみたいで」
「そう自分を責めないでください。千紗都さんはここに来て間もないのに、いろいろと立て込んで、気苦労が絶えなかっただけですから。結翔もちゃんと分かってますよ、それに皆が千紗都さんを大好きだって証拠ですよ。愛されてますね」
そう言って、仮宥愛は優しく微笑んで。
その微笑みに、何度救われてきただろう。
でも今は、迷惑を掛けてしまったことに変わりはないので、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「今はゆっくり休んでください。焦っても何も進展はしません。自分のペースで良いので、ゆっくり一歩ずつ、進んで行きましょう」
「はい…」
そう返事をし、何とか笑顔を作れたが、無理に笑っているのはバレバレで。
仮宥愛は、やれやれといった表情で、ポンポンと軽く叩いてから、そっと撫ででくれた。
その後、朝食を用意してもらって、軽く口にすると、窓の外を眺めていた。
空は先ほどよりもどんよりとしてきて、いつ雨が降ってもおかしくないような感じだった。
降り出す前に閉めてしまおうかと、窓辺に立つと、丁度ピアノの音が聞こえてきた。
そして微かではあるが、未幸姫と奏音の歌声も聞こえて、暫くそのまま聞き入ってると、ぽつぽつと雨粒が当たってきて。
慌てて窓を閉めると同時に、降り出した雨が窓を叩いて、雨音が響いた。
「…雨か」
ふと、昨日見た夢を思い出し、また胸の奥がざわついてくる感じがした。
アレは本当に、ただの夢だったのだろうか?
窓ガラスにそっと手を置き、雨脚の強くなった空を見上げていた。
夕刻。
だいぶ体調も落ち着いて、私は暇を持て余していた。
これといってすることもなく、ベッドに腰掛け、ぼんやりとしていた。
ふと、部屋の壁に掛けられた、あるものが目に入って。
それは、未幸姫が描いてくれた、一枚の絵。
皆が楽しそうに笑っている、そんな楽しそうな絵だった。
体調を崩していた私に、元気になって欲しいと、千羽鶴を折りつつ、一緒に描いてくれた絵だ。
その絵を額に入れ、飾っていた。
そっと、その絵を指でなぞって、気付いた時には、ぽたぽたと、涙がこぼれ落ちていた。
「………」
こらえきれずに、拭おうともせず、私はただ、溢れる涙を止めようもせずに、涙を流し続けた。
嬉しかった。
でも、その反面で、悔しさと羨ましさが募っていたのを知って。
私も昔は、絵を描いていたから。
でも、今はもう、描くことを辞めてしまった。
なのに。
今でもこんな気持ちになるということは、まだ未練があるということ。
だけど、私にはもう、描くことを赦されない。
そう、“あの日”のことが…赦しはしないと、思っていたから。
頭の中で、その時の出来事が、過ぎっていく。
幼い頃から何かを作ることが好きだった私と、3つ離れた姉、そして両親が、笑っている。
そんな、ごく普通の家庭。
それがある出来事をきっかけに、一瞬にして崩壊した。
そして最後には…。
その光景が過ぎった瞬間、私は無理矢理、頭を振って掻き消した。
―――まだ、受け入れることが出来ない。
でもそれは、確かに起きた現実の出来事。
目を逸らし続けたとしても、ふとした瞬間、こんなにも簡単に蘇ってくる。
だけど…。
此処には、いろんな事情で孤児となった子達が暮らしている。
事情は様々だが、皆がそれぞれその心に闇を抱えているのは確かで。
誰もが、目には見えない痛みを抱えて生きているのだ。
―――泣きたいのは、私だけじゃない。
そうわかっていても、溢れる涙を止めることが出来ずに、私は、未幸姫の絵を抱えたまま声を殺して泣き続けた。
窓の外はいまだに雨が降っている。
雨が激しく窓をなぞって、泣いていることを掻き消すかのように。
誰もが涙を隠して、健気に振舞っている。
それなのに私は、こんなにも弱くて、惨めで。
暫く泣いた後、落ち着きを取り戻した私は、顔を洗って涙の跡を消した。
夕食の時間までは、まだ少しある。
もう少しだけゆっくり休んでいようと、ベッドに横になると、泣き疲れたこともあって、すぐに眠りに落ちていった。
夢の中でも、雨が降り続いていた。
けれど、私が居た場所は、前に仮宥愛たちと一緒に訪れた村の一角だった。
大きな木の下で雨宿りをしていると、何人かの村人が足早に帰路を急いでいた。
しかし次第に雨が強くなっていく。
そして次の瞬間―――。
「ぎゃあぁぁぁぁ!」
雨に濡れた村人達の身体が、みるみるうちに溶けていく。
そして、黒く焼け焦げる匂いが漂い、一度息絶え屍と化した者達が死霊となり、再び蠢きだした。
雨に打たれなかった者達を見つけては襲いかかり、その者もまた死霊となっていく。
次第に雨は赤黒く染まっていく。
昨日見た夢と同じように。
これが一体何を意味するのか。
私はわけが分からぬまま、ただその光景から目をそらせずにいた。
「千紗都さん、千紗都さん!」
不意に、名前を呼びかける声が聞こえて、はっと目を覚ますと、仮宥愛が心配そうな顔で覗き込んでる姿があった。
また魘されていたのだろう。
寝汗でべったりした髪を、仮宥愛はそっと撫でて。
肩で息をしながら目を閉じて、呼吸を整えると、少し落ち着きを取り戻して。
「夕食をお持ちしようと、声をおかけしたのですが、返事がなかったので、勝手ながら入らせていただきました。また、夢でも見ていたのですか?」
「すみません…なんか昨夜から怖い夢を見ていて。もう大丈夫です」
ゆっくりと身体を起こし、仮宥愛が水を持ってきてくれて、それを口に含むと、ひんやりとした感覚が身体の中を通って。
大きく息を吐くと、だいぶ楽になった。
「熱の方はもう大丈夫みたいですね。でも、怖い夢を見るのは体調が悪い時に良くあることです。明日になれば、自由に動いても構わないと思いますよ。念のため、結翔に診てもらいますか?」
「いえ、そこまでしてもらわなくても大丈夫です。ただ、最近ずっと夢見が悪いので、これくらい平気ですから」
「そうですか?でも、夢にもいろいろとありますからね。何かの警告として見る場合もあるらしいですから」
「警告…ですか?」
「ええ、何か良くないことが起きる、予知夢みたいなモノがあるらしいです。詳しくは知りませんが、希にそういうことがあるみたいですね」
予知夢というのは聞いたことがある。
私も詳しくは知らないが、たまにそう言った能力的なモノを持って、預言的なものを意味することがあるらしい。
「でも、夢見が悪いのは良くないですね。心配事でもありますか?何か相談に乗れるのであれば、いつでも話を聞きますから」
「ありがとうございます。でも、たぶんただの夢だと思うし、大丈夫です」
そう、ただの夢。
繰り返し見ていることは気になるけれど、それも何かの意味があるのだとしても。
先ほどの夢も、何かが起きる前触れに予知夢だとは、思えない。
私にそんな力は持ってないと思っていたし、ただの悪夢だと信じたい。
そう思って、夕食を準備してもらう間に、シャワーを浴びて汗を流した。
けれど、その時はまだ知る由もなかった。
その悪夢が、本当にこれから起きることを予知していただなんて―――。
翌朝。
今日も雨は降り続いている。
外に出て遊ぶことは出来ないが、またいつものように奏音の部屋に行き、未幸姫たちと歌を歌って、一緒に遊んでいた。
今日の歌は、白の精霊が持つ『生の白鍵』と、黒の精霊が持つ『死の黑鍵』の物語。
それぞれの鍵を、鏡合わせのように重ね合わせた時、終わりの先が見えるようで、その二つの螺旋は、まるで白と黒の回帰線。
やがて二つの螺旋から生まれた歪みは、空へと至る。
要約すると、こんな感じだろうか。
その歌声に、また懐かしさを感じて。
でも、やはり何故そう感じるのかは分からないままで。
果たして、奏音が以前言っていた、『異界世界の物語の歌』とは、一体何なのか?
考えても答えは見出せず、今はただ、奏音たちが奏でる歌の物語に、耳を傾けていた。
すると、どこからからガシャーンと物音が聞こえてきて。
直後、廊下をバタバタと走って行く音も聞こえて。
(どうしたんだろう…?)
何かあったのか、と、様子を伺いに行こうとすると、なぜか奏音に止められた。
どうしたのかと問うと、奏音は静かに説明した。
「美彩さんの発作だよ。ここのところずっと雨だったから、また起きちゃったみたい。最近は落ち着いてたから、大丈夫かなって思ってはいたけど…」
「発作…美彩さん、大丈夫かな?」
「心配なのは分かるけど、下手に近付くと、巻き込まれちゃうから、今は行かない方が良いよ。いつも仮宥愛さんが対応してくれてるから、任せて大丈夫だと思うし」
「そう、なの?…でも…」
やっぱり心配だから、と様子を見に行く事にした。
奏音は、「気をつけて」と声を掛けて、未幸姫たちと部屋に居る事にした。
そして美彩の部屋へと急いだ。
そっと部屋の中を覗くと、既に仮宥愛が来ていて、対処していた。
大丈夫かなと、ゆっくり部屋に入ろうとした時、足元にあった植物の蔦が絡んできて。
「え?」っと思った瞬間には、足元を掬われて、思いっきり尻餅をついてしまった。
「千紗都さん、大丈夫ですか?」
美彩を介抱したまま、仮宥愛が声を掛けた。
「すみません、大丈夫です。それより美彩さんは?」
「もう落ち着きましたよ。心配してきてくれたのですね」
「そうですか、良かった」
ほっとして肩をなで下ろし、絡まった蔦を引き離そうとしたが、意外にも強く絡んでいて解けそうに無い。
どうにか解こうとしても、深く食い込んでいき、どうしようかと悩んでいると、仮宥愛が美彩に何かを話しかけていた。
「美彩さん、制御は戻せますか?」
「今、やってます。…すみません千紗都さん、もう少し待ってもらえますか」
「え…あ、はい。大丈夫です」
美彩の力が関係しているという事だろうか?
良く見ると、部屋の中におかれた植物たちの半分ほどが、以上に成長していたり、枯れてしまったりして、あちこちに葉が落ちてしまっている。
確かに美彩は地の精霊の力の持ち主。
ゆえに植物を扱えるとは思ってはいたが、これほどとは思ってなかったので、奏音の言った「気をつけて」という意味が、やっと分かった。
今も肩で息をしながらも、美彩は力を制御しようと集中している。
その様子を静かに見守っている時だった。
―――キーン…と耳鳴りがして。
同時に、強い眩暈のような感覚に襲われた。
(なんだろう…この感じ。なにか、胸がざわつく………)
耳鳴りが止むと、眩暈も無くなって。
でも、その感覚に襲われたのは、私だけでは無かったようだった。
仮宥愛と美彩も、同じように顔をしかめて、耳を押さえていたからだ。
「まさか…!?」
仮宥愛が何かに気付いたように声を上げた。
すると、先ほどまで落ち着いていた美彩が、震え出して。
何かに怯えるかのように、大きく目を見開き、頭を振って叫んだ。
「いや…いや…っ!来る!!“影”が、また来る!!」
美彩が取り乱すと、同調するように、植物たちも蠢きだして。
「マズイですね…」と言いながらも、自身も風の精霊の力を使って防御壁を作る仮宥愛。
そして指で十字を切り、その手を美彩に掲げると、美彩はそのまま意識を失った。
仮宥愛は美彩を抱きかかえ、ベッドに寝かせると、風の力を解き、防御壁を消した。
「今のは…?」
「…すみません、巻き込んでしまって。でも、先ほどの感覚、千紗都さんも分かりましたか?」
「それって、あの、耳鳴りみたいなやつですか?」
「そうです。千紗都さんも感じましたね。ということは、やはり…」
仮宥愛は口元に手を当て、何かを考え込む。
一体、何があったというのか?
先ほどの感覚が、何か関係しているのは確かで。
すると、廊下からバタバタと駆け付ける足音がして。
開いていた扉の前に、使用人がやってくると、慌てた様子で呼びかけた。。
「失礼します!仮宥愛様、いらっしゃいますか?」
「どうかしましたか?」
「大変です。先ほど通達に来た者に寄ると、また“影”が暴走しているとのことです。その者もかなり衰弱しきっておりまして、今、結翔様が診ていただいてます。仮宥愛様にいち早く連絡をと、駆け付けて参りました」
「“影”が?!結翔は今、治療室ですか?すぐに行きます!」
「はい、よろしくお願いいたします」
使用人は連絡を伝えると、また足早に廊下を駆けていった。
仮宥愛は、美彩が落ち着いて眠っているのを確認すると、私に向き直って言った。
「すみません、千紗都さん。緊急事態です。美彩さんの事、任せてもらって大丈夫ですか?」
「私は構わないですけど…。あの、何があったんですか?」
「“影”の襲撃です。簡単に言うと、魔女の瘴気によるモノです。詳しい説明は後でしますので、申し訳ないです」
「いえ。大丈夫です。急いでるみたいだし、先に行ってください」
「では、すみませんが、よろしくお願いします」
そう言って、仮宥愛も足早に部屋を出て、治療室に駆けていった。
それから少しして、美彩が目を覚ました。
調子はどうかと尋ねると、もう大丈夫だと返事をし、ゆっくりと身体を起こした。
「ごめんなさい。ビックリしたでしょう?時々、こんな風に発作を起こしてしまうの」
「あまり無理しないで下さいね。でも、驚きました。植物がこんなに成るなんて、思わなかったから…」
「使用人たちには、迷惑かけてばかりだけど、皆優しくしてくれているの。この館に雇われてなかったら、何処にも行く宛てなんて無い子達ばかりだから…。私たちも、此処に連れてきてもらえなかったら、行き場も無く、のたれ死にしてたかもしれないから。仮宥愛さんには、感謝の気持ちしか無いわ」
その言葉に、私は胸が痛くなった。
そう、此処は行き場が無い子達の唯一の居場所。
使用人たちも、元は保護された子達と聞いていた。
この教会は、孤児院としての役割もあって、多くの人が出入りしている。
だからこそ、仮宥愛が皆から慕われて、頼られて、信頼されているのも分かる。
今思えば、私もあの時に仮宥愛たちに出逢わなかったら、どうなっていたか分からない。
突然この世界に来て、化け物たちに襲われて。
七海と出逢って、その後、結翔と仮宥愛に此処へ連れてきてもらって。
私も、二人には感謝の想いでいっぱいだった。
でも、私は何も返せずに、迷惑かけてばかりで。
このまま此処にいて良いのだろうか?と、不安になる事だってある。
それでも、仮宥愛はそんな私の気持ちも汲んでくれていて、焦らなくて良いと言ってくれた。
本当に、仮宥愛には言葉には出来ないくらいの想いが、いっぱいだった。
ふと、美彩に仮宥愛はどうしたのかと尋ねられて。
急ぎの連絡が入って、そちらに行ったことを伝えると、美彩は思い出したように言った。
「それって、もしかして“影”のことですか?まさか“また”起きてしまうなんて…」
「あの…“影”って何なんですか?それに、“また”って…?」
「…“影”は瘴気が集まって人に危害を加える呪いです。『闇の影』とも言われてるのですが、きいた事ありますか?」
そう言われて、以前、仮宥愛と一緒に本で読んだことを思い出した。
たしか、忘却された感情や想いが集まって形を成し、servantの仮面と成って、その仮面を付けられた者は、魔女の呪いに掛けられ、無差別に人を襲うだっただろうか。
ただ、そんな事より、もう一つ引っかかる事もあって、何気なく聞いてみた。
「ねぇ、さっきも言ってたけど“また”って…、もしかして、前にもあったの?」
「………」
そのことを聞くと、美彩はなぜか黙り込んでしまった。
どうかしたのだろうか?
そう思っていると、美彩は遠い目をしながら、少しずつ話してくれた。
「私がここに来る、少し前の話ですが。以前にも“影”の襲撃はありました。その時は、この教会にも被害が出たとかで、唯一生き残ったのが、仮宥愛さんたち数人だけだって聞いてます。私の両親も、同じように“影”の襲撃に遭って、亡くなりましたから…」
「そう、だったんですね。ごめんなさい、辛い事を思い出させてしまって…」
「いえ、もう大丈夫です。今は皆さんがいてくれますから。それより、襲撃された村の方たちが心配です。皆さん、無事でいてくれると良いのですが…」
そう言って、美彩は祈るように、両手を胸の前で組み、村人たちの安否を気遣った。
私も話を聞いて心配になり、何かできる事はないかと考えてみたものの、なんの力もなく、いつも頼ってばかりで、何も返せてない自分が情けなくて。
そんな私の想いを汲んで、美彩は優しく言ってくれた。
「今私たちに出来るコトはないけれど、一緒に祈りましょう。皆が無事にいてくれるようにと…」
「そう、ですね」
そう言って、私たちは皆が無事でいてくれることを、祈り続けていた。
その頃、治療室へと来た仮宥愛は、結翔に手当を施してもらっている村人に話を聞き、事態は急変している事を知る。
話によると、“黒い雨”が多数の地区で発生していて、ほとんどの集落が全滅正体にあるという。
これほどまでに、魔女の瘴気が強くなってきた事に、仮宥愛は危機感を覚えて。
「申し訳ありません、もう少し早く連絡できれば良かったのですが。“影”があちこちに発生していて、足止めを喰らってしまいました」
「いえ、ここまで辿り着けただけ、感謝です。よく頑張りました。それで、貴方が見た段階での被害状況は?」
「…私が確認した村は、ほぼ全てが全滅状態です。仮宥愛様、このままでは、この場所もまた危険になります」
「分かりました、すぐに対処します。貴方はもう少し休んでいてください。かなり疲労が激しい」
「申し訳ありません…ありがとうございます」
そう告げると、結翔が支えながら、奥のベッドへと通し、村人を休ませた。
仮宥愛は、使用人たちに緊急事態を告げ、教会にいる者達を外へ出さないようにと告げる。
そして、戻ってきた結翔と急いで仕度をし、状況確認のため被害に遭った集落へと急いだ。
集落から少し離れた場所で、結翔の水の精霊の力を利用し、水鏡を作り、そこから内部の様子を窺っていた。
集落では、既に生存者はなく、“黒い雨”に当てられ、豹変した亡者たちが蠢いているだけだった。
「これは、ひどい…」
言葉にならないほどに、現状は最悪だった。
亡者の中にはまだ年端もいかぬ幼子も混じっていて。
その子供もまた、他の亡者同様に、蠢き、徘徊していた。
「………みんなもう、還れない」
静かに結翔が呟く。
その言葉の意味は、そのままに。
子の集落の人々は、もう、助けられないという意味だった。
「そうですか…仕方ありません」
苦渋の決断をし、仮宥愛は結翔に告げる。
「殲滅を」
その言葉に応えるように、結翔の周りに水が湧き上がり、覆っていく。
そして、以前見せたあの大鎌をまた出現させて。
しっかりと大鎌を持ち、亡者たちの中へと駆け出していった。
『ぐぁあああっ!』
まるで舞でも舞っているかのように、結翔は軽い足取りで宙を舞いながら、集落を駆け抜けて行く。
一瞬にして、亡者たちは血しぶきを上げて倒れていき、やがてその場にいた者達は全員、倒れ伏していた。
屍だけになった集落の中、微かに物音が聞こえて。
音のした方へ視線を向けると、まだ幼い子供の亡者が、地面を這いながら近付いてきていた。
『う゛…ぁ……』
瀕死の状態に成りながらも、まだ動けるだけの力が残っていたのだろう。
最後の力を振り絞ってまで、結翔の方へと這っていく。
その姿に、結翔は言葉もなく、ただ様子を窺っていた。
やがて、結翔の足元まで這いずって来ると、力尽きたのか、その動きを止めた。
「………」
俯く結翔の表情は見えない。
けれど、その子の目は明らかに生者のモノでは無くなっていて。
白目は充血し、瞳孔は既に開かれたまま。
けれど、僅かにでも意識が残っていたのか。
結翔の元に辿り着くと、その子は小さな声で、こう言った。
『おね、が…い………死…なせ、て…… 』
「!?」
結翔は驚き、その子を見つめた。
まだ幼い亡者は、未幸姫と同じくらいの女の子だった。
涙を流しながら、懇願する姿に、結翔は頷いて。
「………お休み」
持っていた大鎌を強く握り直し、その子の首を撥ねた。
『あ…り…が…と…う………』
幼き亡者の少女の、最後の言葉が結翔の耳に焼き付いた。
やがて、その子供の亡者は、涙を流しながら、息絶えた。
「………」
返り血に染まった結翔に、仮宥愛がそっと声を掛ける。
「お疲れ様です。では、浄化を」
「…はい」
結翔は俯いたまま返事をし、静かに言霊を唱える。
『嘆きの雨よ。この者たちに、浄化の光を』
そう唱えると、集落全体が光に包まれ、やがて亡者の亡骸は光の粒に包まれて、消えていく。
光が消えると、先ほどまで立ちこめていた瘴気も消え、赤黒く染まっていた雨も、冷たい透明な雨に戻っていた。
「では、次の場所へ急ぎましょう」
「………」
「結翔、どうかしましたか?」
「…いえ、何でもありません」
「…あとで、お墓を作ってあげましょう。今は先を急ぎますよ」
「…はい」
先ほどの子供の亡者が気がかりだったのか、と、仮宥愛は結翔にそう声をかけ、今は他の集落へと急ぐようにと促した。
きっと今頃、両親の元へと逝けただろうか。
そんな事を想いながらも、結翔は顔をあげ、先を行く仮宥愛の後を追った。
そしてまた、次の集落でも同じように亡者たちを殲滅し、浄化していく。
やがて教会に通達に来た村人が住む集落へと辿り着いた。
その集落は唯一、まだ犠牲者はなく、瘴気も、まだそれほど濃くはなかった。
とはいえ、このままではいずれこの集落も襲撃されるのは時間の問題で。
仮宥愛は、なんとかこの残された村人たちだけでも救えないかと、考えを巡らせていた。
しかし、これだけの人数、どうすれば全員を救えるのか。
以前、千紗都を教会へ連れて行ったとき同様、霧の中を通れば安全だが、あの時とは状況が違う。
これだけの人数だ、全員が迷わずに辿り着けるか、心配な面がある。
霧の道は、少人数では安全だが、大人数では困難な面もアリ、使うかどうか悩んだ。
そしてある事を思い出し、集落の長老に尋ねた。
「村長様、“あれ”はまだ残ってますか?」
「はい、こちらに…」
「案内します」と長老は仮宥愛たちを或る場所へと案内した。
そこは、村の一番奥に聳え立つ、高い崖の下にある洞穴の中。
その奥に、それは大切に奉られていた。
それは、小さな鏡だった。
「これで、道を作ります。今暫し、お待ちください」
そう言って、仮宥愛は連絡用の鳥を出し、教会の館にいる奏音たちに伝言を告げた。
それからまもなく、鳥が戻ってきて、「準備ができた」との伝言を受け取った。
「では皆さん、今から教会へ移動します。付いて来てください」
そうして、霧の道を辿り、その集落の村人全員を教会へと移動させることになった。
「わぁ、すごい。まるで森のトンネルにいるみたい!」
子供たちが無邪気に叫んだ。
それもそのはず。
本来ならば、ただ霧に囲まれただけの空間に、道標として、皆がはぐれないようにと、蔦が壁を作り、トンネルのようになっていたのだった。
これは館にいる美彩の力。
教会への連絡の鳥に、奉られていた小さな鏡を一緒に持たせていたのだった。
それを使い、教会と、結翔の持つ水鏡で道を繋ぎ、そこに美彩の力を伝えてもらっているのだった。
「仮宥愛様、ありがとうございます。我々のために、ここまでしてもらって…」
「いえ、そんなに恐縮しないでください。皆さんが無事にいてくれるのが、私たちの願いですから」
「本当に、ありがとうございます」
集落の大人達は、皆仮宥愛たちに感謝の言葉を述べ、そしてまた二人を気遣った。
やがて皆が無事に教会まで辿り着くと、待っていた奏音と数人の従者たちは、村人たちを教会内の広場へと案内した。
これだけの人数を連れて移動した事は始めてで、さすがの結翔も力の消耗が激しく、教会へ辿り着くや否や、まともに立っていられないほどになっていて。
「お疲れ様です、結翔。ゆっくり休んでください」
「…結翔兄ちゃん、大丈夫?」
「うー…大丈夫?」
「………」
未遊夢と未幸姫が心配そうに問い掛けるが、返事もままならないほどに衰弱した結翔は、仮宥愛に支えられながら、医務室へと運ばれた。
「大丈夫だよ、きっと。今は、ゆっくり休ませてあげよう?」
私は未遊夢たちを宥めて、それでも心配そうな二人を連れて、部屋へと戻る事にした。
広場へと案内された村人たちもまた、安堵の表情を浮かべてはいるが、これからの事を考えると、不安でいっぱいだった。
それでも、子供たちは教会の内部を見て、楽しそうにはしゃいでいる。
一気に慌ただしくなった教会に、一人離れた場所で見つめている七海の姿があった。
無言のまま、教会の内部の様子を窺い、そして或る場所を見つめていた。
「………」
そしてそのままその場を去り、また一人森の中へと消えていった。
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