case.16
ぼんやりと浮かぶ愛鈴の姿に、愛依をはじめメンバー全員が驚いた表情で、言葉を失う。
そんな中、二葉だけは至って冷静で、まっすぐに愛鈴に視線を向けていた。
先ほど、二葉が口ずさんだメロディと、最後の曲だったという言葉に、那音は在ることに気付いて。
ふと、引率に来ていた教員に視線を向けると、状況が未だに把握出来ていないのか、急に現れたコーラス部員と愛依達を交互に見やり混乱していた。
「先生、もしかして………見えてませんか?」
「え?何をだい?………というか君たち、一体何の話をしているんだい?」
「何って………あ、もしかして先生はこの学園に来て、まだそんなに経ってないですか?」
「ああ、まあそうだな。この学園に来てからまだ3,4年くらいかな。それがどうかしたのかい?」
「………それなら知らないのも無理ないです。この学園で過去に起きた事、聞いたことはないですよね」
「過去に起きた事?何かあったのかい?」
「いえ、その………あまり大きな声では言えないのですけど………。この学園で昔、生徒が自害して亡くなったことがあるんです。詳しくは言えませんが、その生徒はピアノが好きだったって言うことくらいで………」
その話で、教員は那音が何を言いたいのか大体把握したみたいで、「ああ、なるほど」と頷いていた。
「それで、君たちにはその亡くなったという生徒の亡霊か何かが、見えているということかい?」
「はい。厳密には幻影といった方が正しいと思います………」
そう言って、那音は愛鈴に視線を向けて、彼女が現れた真意を確かめようと、二葉に話しかけた。
「二葉ちゃん。彼女は何を伝えようとしているのか、わかる?」
「………」
「二葉ちゃん………?」
けれど二葉は返事をせず、ただ愛鈴に視線を向けたまま、黙り込んでいた。
そして何かを感じ取るかのように、そっと目を閉じて、集中している。
何をしているのだろうかと、皆が二葉の行動に視線を集め、様子を窺う。
そして二葉が再び目を開けると、ゆっくりと息を吐いて、こう呟いた。
「ごめんね。私じゃ、貴方の願いを叶えられない」
一体、何を言っているのか。
二葉の言葉に、一葉は愛鈴と二葉を交互に見やり、そして首を傾げる。
「願いって………?」
一葉がそう呟くと愛鈴はゆっくりと一葉の方へと向き直り、そして右腕をすっと上げて手を伸ばす。
すると二葉がその手を取るように重ね合わせた。
「お兄ちゃん………」
二葉は一葉を呼ぶと反対の手を差し出して。
理由はわからないが、何かを伝えようとしているのだと気付き、一葉は二葉のその手を掴んだ。
すると、一瞬目の前が暗転して、すぐに視界がクリアになってくると、目の前の光景に一瞬目を疑った。
そこは愛依達が飛ばされた異空間の劇場に似た場所で、ピアノのコンクールらしき催しが行われていた。
ステージにはピアノを弾く愛鈴の姿があり、その音色は誰もが魅了されるほどに美しいものだった。
課題曲を弾き終え、椅子から立ち上がりお辞儀をする愛鈴に、会場内全体から拍手が響く。
そして授賞式に場面は変わり、愛鈴は見事に金賞を取ったのだった。
たくさんの大人達に囲まれて、労いの言葉をかけられる愛鈴。
だがその一方で、同じコンクールに出場し、惜しくも賞を取れなかった子達からは恨み妬ましい視線が向けられていた。
そしてまた場面が変わり、今度は学校の音楽室。
放課後か窓の外は夕暮れに差し掛かっていて、ちょうど練習が終わったのだろう。
他の子達が帰り仕度をしている中、愛鈴だけはピアノに向き合い伴奏の練習を続けていた。
「またやってるよ………」
「本当、練習熱心なのは良いけど、たまには休めば良いのに」
「練習のしすぎで手を痛めても知らないから………」
周りの生徒達がそんな愛鈴のことを小言で愚痴っている。
もちろん、わざと聞こえるように言っていたので、愛鈴の耳にもそれは届いていて。
その声を掻き消すかのように、愛鈴はピアノの音に集中していた。
その姿は何処か寂しそうにも見えたが、愛鈴はそれを気にすることもなく、ただピアノの練習に没頭していた。
『昔からそう、ずっと独りだった。トモダチと呼べる人なんて、いなかった………』
どこからか愛鈴の声が響く。
これは、愛鈴の心の声なのだろうか?
一葉は目の前の光景と愛鈴の言葉を静かに見聞きし、愛鈴が何かを伝えようとしているのを感じて。
ただ映し出される光景を、見守っていた。
そして次に映し出された場面は、再び音楽室。
合唱部の生徒が集められ、何かの話をしていた。
「創立記念式典で、合唱の演目が入ることになりました。みなさん、悔いのないように頑張りましょう」
担当の教員からそう告げられると、部員の生徒達は歓喜し、そしてそれぞれ「はい、頑張ります!」と返事をしていた。
愛鈴ももちろんピアノの伴奏者として指名されて、快くその役を引き受けた。
そして始まる練習風景に、『必ず成功させる』と、この時は誰もがそう思っていただろう。
それが、一瞬にして崩れ去るまでは。
その日も、いつものように合唱の練習で遅くなり、帰宅することには日が沈みかけている頃だった。
生徒達は足早に帰路につき、愛鈴もまた家路へと足と進めていた。
その途中のことだった。
近くの公園の前を通りかかったとき、子供が遊んでいたボールが道路に飛び出し、子供もそれに続いて飛び出ていった。
そこへ、1台のトラックが走っていてキューブレーキを踏む。
よくある飛び出し事故の光景だ。
飛び出した子供は驚いて恐怖のあまり足が竦み、その場に立ち竦んだままだった。
トラックの運転手は何とか躱そうとハンドルを目一杯回した。
運転手がハンドルを回したその方角に、愛鈴がいたことに気付いたのは、ハンドルを回しきった後だった。
その後は、一瞬だった。
ドォン………と塀にトラックが突っ込み、フロントガラスとサイドミラーが割れる。
砂埃が上がり、トラックが停止したあと、暫くして悲鳴と子供の泣く声が辺りに響いた。
飛び出してきた我が子を抱え叫ぶ母親、その母親に抱きしめられて大泣きする子供。
トラックに駆け寄り運転手に声を掛ける男性達。
その中に、愛鈴は呆然とした意識の中、倒れ込んでいた。
辛うじて咄嗟に身体が動いたのか、トラックと塀の間に挟まれることは無かったのだった。
しかし感覚が麻痺しているのか、痛みをまったく感じない。
そして、起き上がろうと腕を動かそうとして、なぜか腕が動かないことにようやく気がついた。
「………?」
この時になって、ようやく愛鈴は自身の状況をはっきりと認識した。
右腕が瓦礫に圧迫されたのか、あり得ない方向を向いていることに。
ーーー何、これ………。
愛鈴は思考が止まり、歪んだ右腕を見つめていた。
「誰か、救急車を呼んで!早く!!」
「運転手はまだ生きてます!」
「おい、女の子も倒れているぞ!!無事か?!」
「あなた、意識はある?あるなら返事をして………!」
周りの大人達が慌てて叫ぶ声が遠くに感じて。
愛鈴は意識があることを伝えようと声を出そうとするが、「あ、う………」と声にならない声しか出なかった。
それでも、周りの大人には伝わったのか「大丈夫よ、今救急車が来るから!」と声を掛けられながら、応急処置をしてもらっていた。
その後、救急車が到着し、トラックの運転手と愛鈴は病院へ搬送され、すぐに治療を受け、何とか一命はとりとめることができた。
運転手は両足とあばらを骨折しそのまま入院することになり、愛鈴は即座に手術が施された。
何とか右腕は本来の向きに戻されたが、運が悪かったのか神経にまで損傷があり、最悪動かせることができないかもしれないと告げられた。
その話を聞いて、愛鈴は言葉を失う。
右腕が動かなければ、物をつかむことができない。
つまりは、ピアノを弾くことすらできないということだ。
愛鈴は病室のベッドで声もなく涙を流した。
そして記念式典当日。
予定通り式典は開かれ、合唱が披露される。
ピアノの伴奏には、愛鈴の代わりに急遽選任された生徒が担当し、そのピアノの音と歌声が会場全体に響き渡り、演奏が終わると会場内から一斉の拍手が送られた。
その様子を、会場の端で愛鈴は無言のまま見つめていた。
式典が終わってから、皆が解散し、何人かが口々に「素晴らしい合唱だった」と言っているのを聞いて、その中に「ピアノの伴奏も素敵だった」という声も聞こえた。
「………」
愛鈴は言いようのない感情が渦のように心の中を取り巻いて。
ふと視線を感じて顔を上げると、愛鈴の代わりに選ばれた伴走者の生徒が、愛鈴を見つけて見つめていた。
そして、「ふ………」と鼻で笑うようなしぐさをするのをみて、愛鈴は一瞬で頭の中が真っ白になった。
気づけばふらふらと何処か彷徨うように歩いていて、気が付けば音楽室に来ていた。
ピアノの前に立ち、そっと鍵盤に触れる。
ポーン………と、鍵盤が弾かれ音が響く。
けれど、それだけだった。
「………」
愛鈴は右腕に力を入れて、必死に指を動かそうとする。
けれど、自身の思いとは裏腹に、指は動いてくれず、指が乗った鍵盤だけがポンポンと音を弾いている。
―――これじゃただ、音を出しているだけじゃない………。
バンッ!っと滅茶苦茶に鍵盤を叩くと、その手にぽたぽたと透明なしずくが零れ落ちる。
無意識に泣いていたのか、愛鈴はその涙をぬぐうこともせず、ただ涙を流し続けていた。
「………っ!」
声にならない叫びで、涙を流し続ける愛鈴。
その姿を、扉の外で様子をうかがっていた音楽担当の教師が、声を掛けるべきか悩み、結局そのまま何もせずにその場を去っていった。
『頭では理解していた。実際に弾けないと思い知らされて、それがすごく悲しかった………。でも、周りはもっと残酷だった………』
今まで愛鈴についていたサポーターや指導係の者は、愛鈴がピアノを弾けなくなったことを知るや否や、あっさりと愛鈴を切り捨てて、別の伴奏者のサポーターに成った。
『現実は弱肉強食。使えるときに使って、使えなくなれば捨てる。まるで使い捨ての駒ね。でも、それが事実。実力はあっても使えないのなら、用済みって簡単に捨て去る………。バカみたいでしょう?』
そういう愛鈴の言葉はどこか悲しそうで。
ピアノしか無かった愛鈴には、それだけが全てだった。
それでも、残酷なほどに現実はそれを突きつけるかのように、愛鈴に孤独を突きつけていた。
元々友人と呼べる者もいない愛鈴に、声を掛けてくれる人は居らず、誰もがいい気味だと言わんばかりに冷やかし嘲笑うような視線を向けた。
さらに思うように動かせない右腕でものを掴もうとした瞬間を狙って、わざとぶつかるような素振りを見せて、ものが落ちたらさらに冷やかし、まるで玩具で遊ぶかのような扱いを受けるようになっていった。
『みんなそう、自分より劣る部分があるとそれを指摘して自身の優越感を得る。まさに弱肉強食、格差社会。誰だって一度は思ったことがあるでしょう。自分より弱いものは、格下だって………。そうやって優越感に浸って、下になった者の気持ちなんて考えようともしない。それが当たり前のように、誰もそれを止めようともしない………本当、バカみたいでしょう?』
まるで悲観するかのような愛鈴のその声は、少しだけ涙混じりで。
何も言えない一葉は、ただ耳を傾けることしか出来なかった。
『本当は知っていたの。どうにもならないことを嘆くより、違うことに目を向ければよかったって………。でも、どうしても捨て去ることが出来なかった。自分の中から消し去ることが、どうしても出来なくて………』
その先の言葉が、詰まる。
それでも、一葉には感じることが出来た。
ーーー大切なものを失うくらいなら………。
その先に待つ結末すら想像することも出来た。
だけど、一つだけ腑に落ちない点がある。
それは………。
「………呪い歌の存在を知ったのは、その頃?」
どう切り出せば良いのか分からずにいた一葉の代わりに、二葉が問い掛ける。
その問いに、愛鈴はゆっくりと首を縦に振った。
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