第22話 夏川さんちの今日のごはん
「ご飯できたわよ~!」
下の階から、夏川母の声が響く。
3人がそろって立ち上がったところで、秋葉はふとスマホを取り出して言った。
「家にご飯いらないって言わなきゃ。ちょっと電話するね」
「分かった。先、行ってるよ」
「うん」
春也の部屋から出た廊下で、秋葉は電話を掛ける。
コール音が数回なった後、花音のちょっと眠そうな声が響いた。
「ん~、秋葉? どうしたの?」
「もしもしお姉ちゃん? あれ? 寝起き?」
「うん~。徹夜で原稿やってたから、寝たの夕方でさぁ~」
実は花音、女子大学生であると同時に作家でもある。
そこそこ売れっ子の作家で、締切が近い大学が休みの日はひたすら原稿と向き合っているのだ。
「それって、この前に言ってた企画が通ったってやつ?」
「そそそ~」
「どんなタイトルなの?」
「あれ、言ってなかったっけ~。『レンタル彼氏の相手が推しの王子様だった件について』ってやつなんだけど~」
「ちょぉ!?」
明らかにどこかで聞いたような話のタイトルに、秋葉の声が思わず上ずる。
しかしそんなことは気にもせず、徐々に目が覚めてきた花音はいつもの調子に戻って尋ねた。
「それで、何の用件?」
「あ、そうそう。今日は夜ご飯いらないから、それだけ伝えとこうと思って」
「りょーかい。春也くんと食べてくるの?」
「う、うん」
「良いね。そのまま家に上がり込んじゃえば?」
「あー……」
“もう上がり込んじゃってるんだよなぁ……。”
「冗談冗談。それじゃ、お母さんには伝えとくね」
「お、お願い。じゃあね」
姉との電話を終えて、秋葉はふうっと息を吐く。
開けっ放しになったドアから、さっきまでゲームを楽しんだ春也の部屋が見えた。
“いつの間にか、こんなところまで来ちゃった……。”
秋葉はこの状況に感動すら覚える。
ただし、もちろんこれで満足するはずもない。
“最高のタイミングを見つける……そしてその時は……!”
秋葉はひとつ頷くと、ドアを閉めて階段を降りた。
すでに食卓には夕食が並んでいて、夏川家の3人は席に着いている。
2つずつ椅子が向かい合ってテーブルを挟む座席にあって、夏川母と光が隣同士で座っている以上、秋葉は自然と春也の隣に座ることになった。
「いただきます!」
「「「いただきます」」」
光の元気な声の後に続いて、3人がそろって手を合わせる。
今日が始まった時には、誰も想像していなかったメンバーでの夕食が始まった。
これに関しては、秋葉を家に呼びつけた光のファインプレーというしかない。
「すごい美味しそう……!」
食卓に並んだメニューを見て、秋葉は目を輝かせた。
まずはメインのビーフシチュー。
深みのある色合いのソースに染まって、ほろほろの牛肉が姿をのぞかせている。
上には春也が買ってきた生クリームがかけられ、お洒落なコントラストを生み出している。
さらにはオムレツにサラダ、トーストしたフランスパンにカプレーゼなどなど、色鮮やかで目にも美味しいメニューが提供されていた。
「なんか、いつもより豪華じゃない?」
「ふふっ。秋葉ちゃんがいるって分かったから、ちょっと頑張っちゃった」
光の疑問に笑って答える夏川母。
夏川母は母で、この状況を楽しんでいるのだ。
「美味っ……」
ビーフシチューを一口食べた春也が、思わず感動の声を漏らす。
濃厚な香りとほろほろ崩れていく牛肉、そして生クリームのコクと甘味がプラスされて、口の中が贅沢な味でいっぱいになった。
「私も……!」
秋葉はビーフシチューの肉をスプーンですくうと、カットされたフランスパンの上に乗せた。
さらにルーを上からかけて、ぱくりと口に運ぶ。
「美味しい……!」
あまりの美味しさに、秋葉は思わず目を見開いた。
フランスパンのサクサクした食感がアクセントになり、ビーフシチューのほろほろトロトロを際立たせる。
「喜んでもらえて良かったわ」
パクパク食べ進める秋葉を見て、ほっとしたように夏川母が笑う。
「ねーねー秋葉ちゃん」
「なーに?」
「ご飯終わったら、もっかいキノコカートしよ!」
「いいよ〜」
「やった! 夜通しゲーム大会!」
「こら、光?」
夏川母は、年相応に来客でテンションが上がっている光を優しくなだめる。
「秋葉ちゃんもお兄ちゃんも、明日は大学なんだから。それにパジャマもないし、お泊まりはできないでしょ?」
“逆にパジャマがあったらいいのかよ……?”
“逆にパジャマがあったらいいの……?”
同じことを考えて、春也と秋葉は顔を見合せた。
そして2人は、ほんのり赤らんだ顔を互いにばっと逸らす。
どうやら春也と秋葉か夜を一緒に過ごすのは、もう少し先のことになりそうだ。
「じゃあしょうがないかぁ……。でもゲームはしようね!」
「う、うん。そうだね!」
まだ少し動揺したまま、秋葉はビーフシチューを口に運ぶ。
「美味しいね」
隣の春也に語りかけると、春也もまたビーフシチューを味わって言った。
「美味しいね」
2人の口の中に、幸せの味が広がったのだった。
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