第23話 月がきれいな夜、光の願い

「お邪魔しました。ありがとうございました」


 夕食、さらには二回戦となったキノコカート大会も終えて、秋葉が玄関で頭を下げる。


「また来てね! ゲームしようね!」

「いつでも遊びにきていいからね」

「はい!」


 すっかり光と夏川母に気に入られた秋葉は、笑顔で返事をした。

 それから春也の方に視線を向ける。

 春也はにっこり笑うと、片手を上げて言った。


「それじゃ、気を付けて帰って」

「何言ってんの、あんたは」


 夏川母が、呆れた様子で自分の息子をじとっと見る。

 光もまた、お兄ちゃんを呆れ気味に見つめた。


「もう夜なんだし、せめて駅までは送っていきなさいよ」

「わ、分かったって」


 春也は慌てて靴を履く。

 そして玄関ドアを開けて、外に出た。

 住宅街で街灯の灯りも明るく、夜空とはいえそこまで星は見えない。

 それでもいくつかの明るい星々と三日月の光は届いていた。


「気を遣わなくても大丈夫だよ?」

「いいよ。送ってく」

「ありがと。本当にお世話になりました」


 秋葉が最後にもう一度お礼を言って、2人は並んで歩き始める。

 春也の家から駅までは、歩いて10分ほどの距離だ。


“秋葉と一緒にいられる時間がちょっと伸びた……。”


“春也ともう少しだけ一緒にいられる……。”


 穏やかな幸福感を味わいながら、2人は夜道を進んで行く。

 一番初め、秋葉が花音の代打でデートに来た時から比べれば、2人の物理的な距離もだいぶ縮まった。


「月、きれいだな」

「そうだね」


“やべ……。昭和ロマンな告白みたいになっちゃった……。”


“今のは……さすがに違うよね。令和だもんね。ロマンチックではあるけど……。”


 月がきれいというありふれた状況ですら、今の2人にとっては、心の裏側をくすぐられるようなじれったさを感じさせる。

 春也はちらっと横に目を向けた。

 街灯がぼんやりと照らし出す秋葉の顔は、柔らかく、そして楽しそうに微笑んでいる。


“やっぱりかわいいな……。”


 最初、春也は秋葉の容姿のかわいさに惹かれて、彼女を意識するようになった。

 それでも今、彼女と一緒にいたいと思うのは見た目だけが理由じゃない。

 秋葉がかわいいのは顔立ちだけじゃない。

 その顔に浮かぶ様々な表情が、話す言葉が、些細な仕草が、もうすべてが魅力的に映る。

 だからこそ一緒にいて楽しい。

 だからこそ一緒にいたい。


“あーあ。ベタ惚れだよ、俺。”


「どうかしたの?」


 春也の視線に気づいた秋葉が、きょとんとした表情でこちらを見上げる。

 何か言わなきゃと思った春也の口を、咄嗟に言葉がついて出る。


「いや、その……かわいいなと思って」

「……っ!?」

「ご、ごめん。急に変なこと言って」

「ううん。……嬉しいよ」


 秋葉の頬がオレンジに染まって見えるのは、きっと暖色の街灯の灯りのせいだけではない。


“あーもう、たまに考えなしに何か言ったりやったりしちゃうのが悪い癖だよな……。”


 その“悪い癖”が、意中の最推しヒロインを射止めるきっかけになったことを、今の春也はもちろん知らない。


“かわいい……。かわいい……。ダメだよそんなこと言われちゃったら、もう今日は目が見れないよ……。”


 秋葉は火照る頬を抑えて、歩きながら春也に向けて呟く。


「あの……」

「う、うん?」

「春也もその……かっこいいと思うよ……」

「……っ!?」


 今日の2人では、ここまでが精いっぱい。

 本当の意味で「月がきれい」と言えるのは、もう少しだけ先になりそうだ。

 夏へのカウントダウンがこくこくと進むなかで、春也と秋葉は夜の道を歩いて行くのだった。




 ※ ※ ※ ※




 春也と秋葉がいなくなった家の中で、光は洗い物のお手伝いをしていた。

 母親が洗った食器を、丁寧に拭いて片付けるのが光の仕事だ。


「これって、パパとママの結婚式の写真だよね?」


 冷蔵庫に貼られた写真を見て、コップを拭きながら光が尋ねる。

 母親は娘が見ている写真に視線をやると、懐かしそうに優しく笑った。


「そうよ~。もう20年前の話だね~」

「20年……私、生まれてない!」

「当たり前じゃないの。お兄ちゃんも生まれてないのよ」

「この写真は誰が取ったの?」

「えーっと確か……」


 夏川母は、幸せに満たされていた結婚式の様子を思い返す。

 夫――春也と光の父親に寄り添う夏川母の前で、嬉しそうにカメラを構える女の子。


 ――はい、チーズ!


 写真を確認して、グーサインを出した彼女の黒髪ポニーテールが揺れる。


“あの時は中学2年生くらいだったかしらね。”


 懐かしい記憶をたどってから、夏川母は光に答えた。


「これはね、陽菜ひなちゃんが撮ってくれたのよ」

「陽菜お姉ちゃん!?」


 夏川陽菜。

 夏川父の妹で、光にとっては叔母に当たる。

 兄夫婦の結婚式でカメラマンをやらせてもらってから写真にドはまりして、今はプロの写真家として世界中を旅しているのだ。


「私も陽菜お姉ちゃんみたいに、お兄ちゃんと秋葉ちゃんの結婚式のカメラマンしたいな~」

「あらあら。まだ付き合ってもないのに?」

「カメラ欲しい!」

「次から次に欲しいものが出てくるわね……。でも、カメラは古いのがどこかにあったはずだよ。まずはそれで練習してみたら?」

「うん! 練習する!」


 元気よく答えた光は、最後のコップを拭いてお手伝いを終わらせる。

 この日を境に、光はことあるごとにカメラを持ち歩いて写真を撮るようになったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る