第18話 きゅんノーガード

「今日はありがとうございました!」

「ありがとうございました」


 レンタル彼氏としてのデートを終え、春也は指名してくれたお客さんと最後のあいさつを交わす。

 時刻は午後7時を回ったところ。

 辺りは暗くなってきている。


「あの、また指名してもいい?」


 お客さんの質問に、春也は申し訳なさそうに答えた。


「実はもうレンタル彼氏をやめることに決めてて……だから、ごめんなさい」

「そうなんだ……楽しかったので残念です」

「楽しんでもらえたなら良かったです」

「それじゃあ、さようなら」

「さようなら。ありがとうございました」


 お客さんと別れて、春也は休憩がてら近くのベンチに座った。

 スマホを取り出してみれば、秋葉からのメッセージが来ている。

 今日のデート相手がトイレに行っている間に送った誘いへの、OKの返事だった。


 今日のバイトもそこそこは楽しかった。

 昨日もバイトがあったが、それもそこそこは楽しかった。

 でも秋葉とのデートと比べたら、そこには圧倒的な差があった。


“秋葉と一緒にいるのが、一番楽しい。”


 素直にそう思えたのだ。

 そしてまた秋葉と出かけたいとも感じた。

 ちょうど明日、レンタル彼氏としてバイトした分の給料が振り込まれる。

 そして明後日、妹のためにゲームを買いに行くのに、秋葉を誘ったのだった。


「帰るか……」


 春也はベンチから立ち上がると、駅の方へ歩き始める。

 秋葉に[よろしく! 楽しみにしてる!]とラウィンを送りながら。




 ※ ※ ※ ※




 翌々日、約束の日。

 春也と秋葉は、再び2人でショッピングモールに来ていた。

 春也がいろいろ調べた結果、このショッピングモール内にある店が買うのが一番安かったのだ。


「それで……さ」

「うん?」


 秋葉は少し口ごもってから、隣を歩く春也の顔を見上げて言う。


「他の子とのバイトはどうだったの?」


“本当は春也が他の女の子とデートした話なんて聞きたくないけど……。”


 聞きたくないけど、でも聞いてしまう。

 気になってしまう。

 春也が他の子とバイトとはいえデートした事実は、もう起きてしまった過去の話だ。

 だからそれがすごく楽しくてもつまらなくても、秋葉にはどうすることもできない。

 だけど秋葉は、つい尋ねずにはいられなかった。


「楽しかったよ」

「ふーん……そっか」

「でも……こう言ったらあれだけど、何だか物足りないっていうか」

「物足りない?」

「うん。その……」


 春也は自分にまっすぐ視線を向ける秋葉を、こちらもまっすぐ見つめ返してふふっと笑った。


「秋葉といるのが、一番楽しいと思った」

「……っ!」


 秋葉は顔が熱くなるのを感じて、バッと目を逸らす。

 自分が春也を好きだとはっきり自覚したこともあって、今まで以上に鼓動が速まっていくのを感じた。


“落ち着け、落ち着け、私。”


 秋葉は春也にバレない程度に深呼吸すると、再び春也と目を合わせた。

 そして小さく首を傾げて、ふふっと笑い返す。


「でしょ?」

「……っ!」


 今度は春也がカウンターパンチを食らう。

 決してお互いをドキドキさせてやろうとしてやっているわけではなく、何気ない動作にただ春也と秋葉が食らいまくっているだけなのだが、ともかく2人の間ではノーガードできゅんの殴り合いが始まっていた。


「うん。秋葉といるとすごく居心地が良くてさ」

「……っ!」


“居心地が良いってずっとそばにいたいってことだよね……! 嬉しい……!”


「私も春也といると、すごく楽しいんだよ?」

「……っ!」


“身長差があるから仕方ないけど、必然的に上目遣いになるのずるくないですか……!”


「良かった。でも今考えてみると、初めてのバイトの相手が秋葉で本当に良かったよ」

「……っ!」


“それってつまり、私のことを多少なりとも特別な存在って思ってくれてるってことだよね……!”


「私も……あそこから春也とこうして仲良くなれたから、すごく嬉しいな……」


“そのちょっと恥ずかしそうに伏し目がちになるのも! かわいすぎるし! あと仲良くなれて嬉しいのはこちらこそです!”


 そんな2人の様子を、死んだ魚の目で見つめる女性がいる。

 例のインフォメーションセンターの行き遅れチラつきお姉さんだ。


「あーあ。今日もやってるわ……若干、バカップルみが増してるけど」


 そう呟くと、お姉さんは書類整理のために手元に視線を落とす。

 これ以上2人を見続けると、目と心が破壊されかねないからだ。

 そんなお姉さんの苦悩など露しらず、2人はインフォメーションセンターの横を通り過ぎていく。

 すると不意に、秋葉の足に衝撃が走った。

 振り返って見れば、彼女の右足に小さな女の子が抱き着いている。

 女の子は春也と秋葉の顔を見ると、満面の笑みを浮かべた。


「やっぱりあの時のお兄ちゃんとお姉ちゃんだ!」

「まりちゃん!」

「まりちゃんだ!」

「まりちゃん! 急に走り出さないでって……」


 後から追いかけてきたお母さんも、春也と秋葉に気付くとほっとしたように笑顔を浮かべる。

 そして軽く会釈した。


「どうも。先日はお世話になりました」

「いえいえ。こちらこそ、素敵なチケットを頂いてありがとうございました」

「すごく美味しかったです。ありがとうございました」

「とんでもないです。あれはお礼ですから」


 3人が大人の会話を交わすなかで、茉莉は秋葉の足から離れると、春也の服をちょいちょいっと引っ張る。

 何か話したいことがあるのかと春也が屈むと、茉莉は春也の耳に顔を近づけた。


「あのね、お兄ちゃん。茉莉からもこの間助けてもらったお礼に良いこと教えてあげる」


 茉莉は春也だけに聞こえるように囁いているつもりなのだが、声量の調整が上手くいっていない。

 お母さんにも、秋葉にも、バッチリ聞こえている。

 そうとは知らずに、茉莉はさらっと言い放った。


「あのね、昨日の夜のテレビでやってたんだけど、男の子は大好きな女の子に“ぷろぽーず”っていうのするといいんだって。そしたら結婚できるんだよ」

「プ、プロポーズ……」

「け、結婚……」


 無自覚というのは、時に下手な悪意より質が悪いものである。

 蘭や光ならともかく、まさか茉莉から爆撃を食らうと思っていなかった春也と秋葉は、顔を真っ赤にして固まった。


「茉莉ちゃん! 変なこと言わないの!」

「でもテレビでやってたもん。それにお礼だもん」

「もう……本当にすいません……!」


 慌てて謝る母親の前で、春也と秋葉は、やはりしばらく赤面して固まっていたのだった。

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