第17話 秋葉の夢(後編)

 高校時代の秋葉の友達に、同じ大学へ進学した人はひとりもいない。

 だから秋葉は友達ができるかという一抹の不安を覚えつつも、もちろん大学生活への期待も胸に抱いて、大学へ入学したのだった。


 散り始めた桜並木を眺めつつ構内に入り、受付を済ませて入学式の会場へと進む。

 少し空気の冷えた朝の道は、多くの新入生でそれなりにざわめいているものの、秋葉が思っていたよりは静かだった。

 みんな、新たな生活が始まることに緊張しているのだ。


「ここだ」


 入学式の会場となる大きなホールに入ると、外寄りはざわめきが大きくなった。

 ホールだから声が反響しやすいのだ。

 秋葉は適当な空席を見つけると、座って入学式の開始を待った。

 隣は右左ともに大人しそうな女子生徒で、特に何か話しかけてくるでもない。

 ただ淡々と、ホール内の喧騒が耳に響くなかで時間が流れていくのみ。


「えー、みなさん。晴れてこの大学にご入学され、誠におめでとうございます。職員、また先輩たち一同、心から歓迎いたします」


 大学の偉い先生が何人か話し、また上級生たちも何名か登壇して、粛々と入学式は進んで行く。

 そして2時間が経った頃、全ての内容が無事に終わって解散となった。

 会場を後にする在校生の波にのまれるようにして外に出た秋葉は、先ほどとは打って変わった光景に目を見開く。


“すごい……! 賑やか……!”


「男子バスケ部です! 『バスケがしたいです……!』って人を大募集中!」

「軽音部です! 私たちと一緒にのんびりふわふわ時間過ごしませんかー!」

「紳士の社交場、光画部です!」

「奉仕部です……って、この部活で勧誘とかする必要あんのかよ」

「いいから続けてください先輩! 予算やばいんですから!」

「続けなさい、ヒキタニくん」

「●色は部員じゃねえだろ……」

「私の飲み代がかかってるんです!」


 入学式が終わったことで、各部活やサークルの勧誘に熱が入っている。

 秋葉も差し出された勧誘のビラを何枚か受け取りながら、人ごみの中を進んで行った。

 すると不意に、右肩をトントンと叩かれる。

 パッと振り返ると、そこには1人の男子生徒が立っていた。


“あの時の……!”


 秋葉はすぐに、ナンパから自分を助けてくれたヒーローだと気付く。

 それでも春也の方はまるで気付いていないようで、秋葉にハンカチを差し出した。


「これ、落としましたよ」

「あっ、すいません。ありがとうございます」


 春也の手の中にあるのは、間違いなく秋葉のハンカチだった。

 秋葉はそれを丁寧に受け取ると、改めて春也の顔を見つめる。

 春也はやはり、秋葉との関係性に気づいていない。

 助けられた時の秋葉はお団子で髪をまとめていたが、今はストレートに下ろしている。

 その印象の違いも、春也が気が付かなかった原因かもしれない。


“あの時助けてもらったのが私だって、言った方がいいのかな。でも、もし人違いだったら……ううん、絶対にあの時の人だと思うんだけど……”


 秋葉が迷っているうちに、春也は「それじゃ」と言ってすっと横を通り抜けてしまう。

 秋葉はただぽつんと、その場に立ち尽くした。


“またちゃんと話せなかった……名前を聞けなかった……。”


 がっかりする秋葉は、この時に春也が一目惚れに近い状態になっていたことを知るはずもない。

 この日を境に、互いに話しかけたいのに話しかけられない、相手が話したがっていることに気が付けないもどかしい日々が始まったのだった。




 ※ ※ ※ ※




「ん……」


 秋葉はソファーの上で、ゆっくりと目を覚ました。

 まだ誰も帰ってきていないようで、家の中はひっそりしている。


“春也の夢……それもあんなリアルな……。思い出しちゃったじゃん、助けられた日のことを鮮明に。”


 秋葉はスマホを手に取ると、ラウィンを開いた。

 そして春也とのトーク画面を開く。

 しかし、何を送るでもなく手が止まった。

 時刻は午後6時。

 今ごろ春也は、デートをしている。

 レンタル彼氏として、知らない誰かと。


“あくまでバイト。あくまでバイト。それは分かってる。だけど……”


「ねえ、私以外の女の子とデートしちゃ嫌だよ……」


 秋葉はそう呟いてハッとする。


“もうこれ、気になるなんてレベルじゃないじゃん……”


 ナンパされていた恐怖から優しく助け出されて。

 大学で奇跡的に再会して。

 迷子の少女を優しく安心させる春也を見て。

 スイーツバイキングで甘い時間を共有して。

 崩れる海の家からぎゅっと抱き締めて守ってもらって。

 一緒にきれいな海を眺めて。


 秋葉ははっきりと認める。

 もう春也がただの気になる人ではないことを。

 はるかに大きな存在であることを。

 ついこの間までは、仲の良い友達という関係にもそこそこ満足していた。

 でも今は、それじゃ足りない。


“もしかしたらこの夏は……じゃない。絶対にこの夏は。”


 秋葉がぎゅっと握りしめたスマホに、お客さんがトイレに行った隙に、バイト中の春也からメッセージが来る。


[明後日、放課後に出かけられる?]


 秋葉はもちろん、即答でOKしたのだった。

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