第10話 夏川光、登場

「ただいま~」

「お兄ちゃんお帰り~!!」


 春也が家に入るなり、小さな影が弾丸のごとく飛びついてきた。

 春也は素早く腰を曲げて衝撃を吸収すると、受け止めた影――妹に笑いかける。


「ただいま、ひかり

「ゲーム買ってきてくれた!?」

「まだだよ。もうちょっと待ってて」

「なーんだ……帰りちょっと遅いからゲーム買ってきてくれたと思ったのに……」


 残念そうに呟くと、ピッタリくっついていた春也から離れとぼとぼ歩いて行く光。


“え……お兄ちゃんじゃなくてゲームが帰ってきたと思って喜んだの……。”


 お兄ちゃん、すごく悲しくなった。


 ただ本来で言えば、あらかじめお金を用意しておいて、光が百点を取ったらすぐ買いに行くのがベストだ。

 光が百点を取ってようやくバイトを探し始めたのだから、春也に催促が来るのも無理はない。

 仕方ないかとあきらめると、春也は玄関に座って靴を脱いだ。

 そして振り返ってみると、そこにはリビングへ入っていったはずの光が立っている。

 それもニッコニコに笑って立っている。


「え、何、どうしたの?」

「冗談だよ、お兄ちゃん」

「冗談……?」

「うん。がっかりするフリしてみたくなっちゃったの。お兄ちゃんが光のためにバイトしてくれてるの知ってるもん。大好きだよ、お兄ちゃん」


 そう言うと光は、春也の首に手を回してぎゅっと抱きしめる。

 お兄ちゃん、すごく嬉しくなった。

 お兄ちゃん、妹には弱い。


「晩ごはん、ミートソースだって」

「おっ、俺も光も大好物だね」

「うん! 早く食べようよ」


 兄妹は仲良く手を繋ぐと、リビングへ入っていったのだった。




 ※ ※ ※ ※




 夕食や風呂が終わって、特にやることがないくつろぎの時間。

 春也が自分の部屋でスマホをいじっていると、パジャマ姿の妹が入ってきた。


「お兄ちゃん、入るよ~」

「もう入ってるだろ。って、またそのパジャマ着てるの」


 光が着ているパジャマのお腹のところには、でっかくにゃんこが描かれている。

 これがいわゆる光るパジャマ的なもので、暗いところで発光するのだが、にゃんこと言っても大きな顔だけなのでもう化け猫の類にしか見えない。

 暗い廊下ですれ違おうものなら、猫の生首が通り過ぎたのかと思ってしまう。

 春也としては「開発メーカーのセンス!」と叫びたくなるのだが、光自身はとても気に入っているようなので何も言わないでいた。


「これね、前のがボロッとしちゃったからママが新しいの買ってくれたの」

「2代目化け猫かぁ」

「化け猫?」

「いや、なんでもない。で、何の用?」

「マンガ借りようかなと思って」

「あねあね。好きなの取っていっていいよ」

「は~い」


 光はあれこれ春也の本棚を物色し始める。

 そこの棚にある漫画は、みんな全年齢対象の至って健全なものばかりだ。

 じゃあ春也は健全じゃない漫画を持っているのか、持っているとしてどこに隠しているのか、それは春也の名誉のためにもトップシークレットとさせていただく。


[新着メッセージがあります。]


 春也がそれとなくツウィッターのタイムラインをスクロールしていると、メッセージを知らせる通知が入ってきた。

 メッセージアプリのラウィンを開いてみると、送ってきたのはユーザーネーム<蘭>。

 木島蘭だ。

 春也と蘭は直接ラウィンを交換してはいないが、大学のクラスラインがある。

 だからいつでも追加しようとすれば追加できるのだ。

 ということは春也と秋葉の間にも同じことが言えるのだが、いまだに2人だけのラウィンは開通していない。


[勝手に追加してごめん! イソスタ死んでるっぽかったからこっちにした!]

[よろしくお願いします(スタンプ)]


[気にしないで~よろしく!]

[イソスタは死んでるんだよね]

[なんか海外の詐欺みたいなのに乗っ取られて永久BANされて復旧してない]


[え待って何それw]

[超面白いんだけどウケるw]

[変なサイトでもクリックしたんじゃないの?w]


[してないよ……]


「何のゲームしてるの~?」

「うわ!」


 急に耳元で声が聞こえてきて、春也は驚きスマホを落としそうになる。

 気が付けば、本棚の前にいたはずの光が真横へと移動してきていた。


「ゲームじゃないよ。ラウィン」

「ラウィンか。え~っと、毛利さんとラウィン?」

「コナンくんじゃないんだわ。木島ね。木島蘭さん」

「女の子?」

「そうだよ」


 光は小学2年生。

 お兄ちゃん大好き妹ながら、この頃はおませと生意気に磨きがかかっている。

 そんな妹が、兄と知らない女性がラウィンしているところを見たらどうするか。

 真実はいつも……ではなく、答えは1つ。


「ママああああ! お兄ちゃんに彼女ができちゃったああああ!」

「ちょおい光さんっ!!??」

「お兄ちゃんに彼女もぐっ……ぐももも……」


 春也はスマホを放り投げると、急いで妹の口をふさいだ。

 そして耳元で言い聞かせる。


「彼女じゃない彼女じゃないから……! ただの大学のクラスメイトだから……!」

「もぐぐぐぐぐ……ばはぁっ。彼女じゃないの?」

「違うってば」


 この時、春也には良いことと悪いことが同時に起こっていた。

 良いことは妹の誤解が解けかけていることと、蘭だけでなく秋葉からも[勝手に追加してごめんね!]から始まるメッセージが来たこと。

 そして悪いことは、さっき放り投げたスマホが妹の目の前に落ちていたことと、秋葉からラウィンが来たことを妹に知られてしまったこと。


「ママああああああ! お兄ちゃんが浮気してるうううううう!」

「光さぁんんんん!!!!」


 解けかけた誤解は変な方向にこじれ、夏川家に賑やかな声が響き渡るのだった。




 ※ ※ ※ ※




 一方その頃、冬月家では。


「蘭ちゃんに勧められるままに送っちゃった……! どんな返信来るかな……」


“また我が妹が締まりのない顔をしてる……”


 姉の前で、秋葉がスマホを握り締めニヨニヨしているのだった。

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