第8話 2度目のデート

「出発しま~す」


 気の抜けた車掌の声と共に、ゆっくりと電車が動き出す。

 帰宅ラッシュよりも少し早い時間帯の車内には、春也と秋葉以外に数人が乗っている程度だ。

 今日の分の授業は終わり、2人はすでにレンタル彼氏の契約時間に入っている。

 さすがに2日連続のショッピングモールということはなく、今日は秋葉の希望で別の場所に向かっていた。


「もう一駅で着くね」

「そうだね。その、秋葉……ここまで来て言うのも何だけど、レンタル彼氏って意外と高いものでしてね……」


 隣に座る秋葉に、なぜかお金をもらう側の春也が気まずそうに言う。

 当の秋葉は何も気にしていないようで、グーサインを作って答えた。


「うん? でも、お姉ちゃんから昨日のバイト代もらったから大丈夫だよ?」

「いや、そういうことじゃなくて。別にレンタル彼氏としてお金を払わなくても、普通に誘ってくれれば遊べるからさ」

「うーんでも、もしかしたら春也を他の子が予約しちゃうかもしれないでしょ? 逆にバイトをキャンセルしたりしたら、妹ちゃんのためのお金が貯まらないし」

「もしかして俺がバイト代稼ぐために予約してくれたの……? それなら本当に気にしないで。来週、何件か予約が入ったおかげでゲーム機は買ってあげられそうだから」

「そういうことじゃな……へ? 今……なんて……?」


 秋葉は春也の顔を見つめて固まった。

 春也の方も急にまじまじと見つめられて、驚き固まる。


“そうだよね……。別に春也のことを予約できるのは私だけじゃないもんね……。”


 秋葉はすっと目を伏せると、そのまま春也から視線を外した。

 そして、ちょっと寂しそうに真向いの空席を見つめる。

 一方の春也は春也で、明らかに秋葉がトーンダウンしたことに焦っていた。


“何かやばいこと言っちゃった……!? ……そうだよな。せっかく予約してくれたのに、気にしなくていいなんて言われたらショックだよな……。”


「あの、秋葉」


 まだしょんぼりした秋葉の横顔に、春也はそっと語りかけた。


「変なこと言ってごめん。秋葉と出かけられるのは、本当にすごく嬉しいし楽しいからさ」

「ほんと……?」

「本当だって! だから、ちゃんと秋葉を楽しませられるように頑張るよ」

「……ありがとう」


 再び春也と視線を合わせた秋葉の顔に、穏やかな笑みが広がる。

 それを見て、春也はほっと胸をなでおろした。

 まあ、細かいところを言えば、微妙にお互いの引っかかりポイントはずれているのだが。

 ともかくこの場が明るくなったので、結果オーライである。


「え~、間もなく到着でございます。お出口、左側です」


 車掌の声が響き、電車が長いトンネルを抜ける。

 一気に車内に光が差し込み、2人は眩しさを感じながらも、背後の窓を振り返った。

 5月にしてはかなり気温が高い今日、抜けるような青空に太陽が照っている。

 そして視線を少し下にやれば、その太陽の光を浴びてキラキラ輝く水面。

 海だ。

 今日の秋葉の希望は、海デートである。


「到着で~す」


 ホームに降り立ち、そのまま改札を抜ければ、一気に視界が開ける。

 ザザーンと波の音が響く海岸に、2人は降り立った。

 もしここにたくさんの海水浴客がいたら、それこそ夏だと勘違いしてしまう程の青だ。

 空も海もとにかく気持ちが良い。

 といっても海が全くの無人ということはなく、サーフィンを楽しんでいる人たちが見受けられた。


「う~ん、気持ちいいね」

「だね」

「ほら、春也も伸びしよ? 気持ち良いよ? せ~の」

「「う~んっとぉ」」


 2人は並んで伸びをすると、砂浜を歩き始めた。

 踏みしめる度に、サクッサクッと小気味良い音が響く。


「大丈夫? 秋葉、歩きづらくはない?」

「今日はスニーカーだから平気だよ」


 朝の時点から、というより昨夜の時点から、秋葉は春也を海へ誘うことに決めていたのだ。

 そこの準備は抜かりない。


「春也は大丈夫?」

「うん。俺もスニーカーだし」


 駅からは米粒のように見えたサーファーたちも、海に近づくにつれてよく見えるようになってくる。

 今日ここにいるのはみんな熟練者のようで、華麗に波を乗りこなしていた。


「こう暑いと泳ぎたくなるけど、まだ水は冷たそうだよね」

「まあ、言ってもまだ5月だもんな」

「夏は海に来るのもいいね」

「おっ、いいね」

「……」

「……」


“待って! ナチュラルにすごい先の話しちゃった!”

“夏になってもこうやって遊んでくれるってことだよな……?”


「あ、あっちに、海の家があるよ~」


 沈黙のせいで自分の心音だけが聞こえる状況に耐え切れず、秋葉が右方向を指差す。

 そして春也もまた、良い機会とこれに乗っかった。


「そ、そうなんだ~。でもこの時期やってるのかな?」

「う~ん、わかんないけど行ってみようよ」

「そうだね」


 2人は再びサクッサクッと歩き始める。

 しかし海の家の前までやって来てみれば、春也の予想通り営業はしていなかった。

 それどころか、今にも崩れ落ちそうなほどにボロボロになっている。


「何か……夏も営業してなさそうじゃない?」

「でも、去年はやってたよ?」

「秋葉、去年の夏もここの海に来たの?」

「うん。お姉ちゃんと」


 春也は辛うじて、秋葉の水着を想像しようとする脳の暴走を理性で押しとどめる。

 そんな春也の葛藤に気付かない秋葉は、海の家へと足を踏み出す。

 その瞬間、潮風にさらされ続けて古びた柱がミシッと音を立てた。


“嫌な予感がする……!”


 春也がそう思った途端、一際大きな音を立てて柱が折れる。

 次いでガラガラと建物全体が崩れ始めた。


「秋葉……!」


 春也は前に出ていた秋葉の身体を抱きかかえると、そっと右手で彼女の頭をガードする。

 そのまま海の家から遠ざかり、砂浜を転がった。

 さっきまで2人がいたところに、大きな看板が落下する。

 間一髪。


「怪我、ない?」

「う、うん」


“また守られちゃった……。ていうか待って待って抱きしめられちゃってるどうしよ……!”


 意外と助けられた秋葉の方が落ち着いていて、そんなことを考える余裕があった。

 そんな砂浜でもつれ合う2人の元に、人影がひとつ走り寄ってくる。

 海の家が崩落するのを見て、サーファーのひとりが慌てて駆け寄ってきたのだ。


「そこの人~! 大丈夫ですか~!」


 駆け寄ってきた“彼女”は、春也と秋葉を見てピタッと足を止める。

 そして水に濡れた髪をかき上げながら言った。


「あーっと、もしかして私ってお邪魔虫……?」

「木島さん……」

「木島ちゃん……」


 2人で海、砂浜でハグ。

 サーファーの彼女――木島蘭の中で、推測が確信に変わったのだった。

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