第4話 バイトする理由
「すいません」
まりを抱えたまま、春也はインフォメーションセンターの係員に声を掛ける。
係員は若い女性で、百点満点の営業スマイルで応対した。
「は~い。どうされましたか?」
「この子が親とはぐれちゃったみたいで、呼びだしのアナウンスをお願いします」
「かしこまりました。お名前、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ひがしの まりちゃんっていうそうです。年齢は四歳」
「ありがとうございます」
係員は名前と年齢をメモすると、スムーズな動きで館内放送用のマイクを手に取る。
そして先ほどワントーン高いよく通る声で、ショッピングモールのどこかにいるであろう母親に呼びかけた。
「ただいま、二階インフォメーションセンターにて、迷子の女の子をお預かりしております。ひがしの まりちゃん四歳のお連れ様がいらっしゃいましたら、インフォメーションセンターまでお越しください」
係員はマイクを置き、春也にバインダーに挟んだ紙を差し出す。
「こちらにお客様のお名前をご記入いただけますか?」
「分かりました。あー、えっと……」
あいにく、春也はまりを抱っこしていて両手が塞がっている。
挙句の果てに、まりは春也の腕の中でうとうとし始めた。
春也が優しく優しく抱えて運んできたことに加えて、母親とはぐれたことによる精神的な疲れもあり、眠たくなってしまったのだ。
「私が書くよ」
状況を見て、秋葉がすすっと前に出る。
係員からバインダーとペンを受け取り、迷うことなく“夏川 春也”と記入した。
少し丸っぽくてかわいらしい字だ。
「漢字、ちゃんと合ってるよね?」
「うん。簡単な字ばっかだけど、よくフルの漢字知ってたね」
「あ、うん、クラスみんなの漢字、覚えてるから」
「すごっ!?」
「あ、ごめん、嘘です……」
驚きの表情から一気にきょとんとする春也と、少し気まずそうに肩をすくめる秋葉。
まりはすっかり、春也に抱っこされて眠りに入っている。
「どういう嘘?」
笑いながら春也が尋ねると、秋葉もまた照れたように笑って言った。
「すごいたくさん関わってたわけじゃないから、フルネームの漢字知ってたりしたら変かなと思っちゃって」
「そんなことないよ。俺も秋葉の漢字フルで分かるし」
「そ、そうかな。でも知ってくれてるのは嬉しいかも」
「う、うん」
お互いに照れくさそうにドギマギする二人を、若いっていいわね~と乾いた眼で見つめる係員のお姉さんは二十七歳。
昨日彼氏にフラれたばかりで、行き遅れという言葉が頭にチラつきだしている。
キラキラした大学生たちに心を折られかけつつ、しかしそこはプロのインフォメーションセンター係員だ。
近くにあるソファーを指し示し、二人に声を掛けた。
「申し訳ありませんが、お連れ様がいらっしゃるまで、あちらでお待ちいただけませんか? その子もお客様から離れそうにありませんし」
「もちろんです」
春也はにこやかに応じると、まりを起こさないようにそっとソファーへ腰かける。
続いてその横に秋葉が座った。
ソファーのサイズがそこまで大きくないこともあり、今日の中で一番二人の距離が近くなっている。
ふんわり甘い香りが漂ってきて、秋葉が隣にいるのだと春也に絶えず意識させた。
「春也、小さい子の扱い慣れてるね」
すっかり安心しきった天使の寝顔を見つつ、秋葉が言った。
春也はひとつ頷いてから答える。
「妹がいるからね。小学校二年生なんだけど、歳が離れてるからさ。妹がこの子くらいの時は、よく世話してたから」
「へ~、春也に妹がいたんだ」
「
生意気だのなんだのと言いつつ、妹の話をする春也の顔は嬉しそうだ。
どこにも妹の存在を嫌がっている様子はなく、むしろ溺愛していることが見て取れる。
秋葉もそれを感じ取っていて、“良い兄妹だね”と相槌を打った。
「実はバイト始めたきっかけも、妹なんだよね」
「そうなの!?」
「うん。妹がめっちゃ欲しがってたゲーム機があって、次のテストで百点取ったら買ってあげるって言っちゃったんだよ」
「妹ちゃん、百点取ったんだ」
「苦手な算数だから百点はないと思ったんだけどねぇ。でも光なりに本気で頑張って勉強したみたいだし、約束は守ってあげないと」
「うわー、良いお兄ちゃん」
「なんか恥ずいからやめて」
春也は本当に照れくさそうに笑う。
その笑顔を、秋葉も穏やかな微笑みで見つめ返した。
そして秋葉なりに、ずっと気になっていたことを尋ねる。
「バイト始めた理由は分かったけど、それでどうしてレンタル彼氏なの?」
「やっぱり似合わないよね?」
「似合ってないっていうか、意外だなって」
微妙にフォローになっていないような返しに苦笑しつつ、春也は悪友に全責任を擦り付ける。
「竜馬に誘われてさ」
「ああ、野田くんと仲良いもんね」
「うん。あいつが良いバイトあるって誘ってきたのが、このレンタル彼氏だったんだよ。確かに指名が入れば他のバイトより稼げるけど、なんかもう向いてない気しかしないや」
「えー、でも楽しいよ?」
「なら……良かったけど」
“できれば他の女の子とバイトとはいえデートしてほしくないけど。”
そんな言葉を、秋葉は静かに飲み込んだ。
春也がバイトをしている理由が妹のためだと知ったし、ましてやまだそんなことを伝えられる関係性じゃないことはわかり切っているからだ。
でも秋葉は秋葉で、ひょんなことをきっかけにして、胸の内にとある想いを抱え続けているのである。
「いいなぁ……」
穏やかで甘い雰囲気、そして時に照れや恥じらいを交えながら、ゆったりと会話を繰り広げる春也と秋葉。
その様子をぼんやり見つめていた係員が、死にそうな目でぼやく。
「戻りたい……大学生……」
行き遅れかけのお姉さん、かろうじて涙をこぼすことだけは堪えたのだった。
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