第5話 甘い香り

「すいません!」


 迷子を知らせる館内放送から数分後、ひとりの女性がインフォメーションセンターへやってきた。

 慌てた様子でカウンターに近づき、係員に声を掛ける。


「さっき放送があった東野ひがしの茉莉まりの母親です……!」

「お母さまですね。見つかって良かったです」

「茉莉はどこにいますか……?」

「あちらです。保護してくださった方と一緒ですよ」


 係員はゆったりとソファーに腰掛ける春也たちを指し示す。

 春也の腕の中で眠る娘を見て、母親はほっと胸をなでおろした。


「この子の母親です。見つけてくださって、ありがとうございました」

「あ、お母さんですか。良かったです」


 春也はそっと茉莉の身体を母親に預ける。

 できるだけ慎重にやったつもりだったが、茉莉は振動で目を覚ましてしまった。

 

「んっ……。ママ……」

「ごめんね、茉莉。怖かったでしょ?」

「ううん。優しいお兄ちゃんとお姉ちゃんといたから大丈夫だよ」


 母親はそっと愛娘の頭を撫でると、春也と秋葉の方に向き直った。

 そして深々と頭を下げる。


「本当にありがとうございました……」

「いえいえ。どういたしまして」


 茉莉の母親は、秋葉と同じような服装で黒髪ロングだ。

 体格もすらっとしていてよく似ている。

 茉莉が後ろ姿で自分の母親と間違えたわけだと、春也は心の中で納得した。

 

「これ、少しばかりのお礼です」


 母親はカバンの中から、2枚のチケットを取り出して差し出した。

 券面には『スイーツバイキングご招待券』と書かれている。

 このショッピングモール内の一階にあるスイーツ店の無料招待券だ。


「いやいや、そんなお礼なんていいですよ」

「いえ、ぜひ受け取ってください。デートのお供にしてもらえれば」


 ためらう春也に、母親は強引にチケットを渡す。


“そっか。この人には俺たちがカップルに見えてるんだ。”

“そっか。この人には私たちがカップルに見えてるんだ。”


 同時に全く同じことを考えて、春也と秋葉は胸をドキリとさせる。

 正式にはカップルじゃない。

 でも今はビジネスとはいえカップルだ。

 否定しようにもできない複雑な状況の2人を、何も知らない母親と係員は“初々しいな~”と眺める。

 そして唯一、色恋沙汰にまるで気付かない純粋な少女が声を上げた。


「ママ、トイレ」

「え? トイレ? 漏れちゃいそう?」

「まあまあピンチだよ」

「それじゃあこの辺で失礼しよっか。本当にありがとうございました」

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、バイバーイ」


 改めてお礼を述べた母親と、元気に手を振る茉莉を見送り、春也と秋葉はまた二人きりになる。

 春也は手元に残った招待券をひらひらと振りながら言った。


「スイーツバイキング、行ってみる? 二時間で食べ放題だって」

「行ってみたい!」


 秋葉はパッと顔を輝かせた。

 さすがに華の現役女子大生。

 スイーツバイキングと言われて、胸が高鳴らないわけがない。


「二時間なら時間もちょうど良さそうだしね」

「うん。行ってみよ」


 傷心の係員お姉さんに別れを告げて、二人は一階へと歩き始めるのだった。


 


※ ※ ※ ※




 スイーツ店は女性客や家族連れでにぎわっていた。

 とはいえ平日の午後5時前という時間もあり、新たに入ってくる客は少ない。

 3時のおやつくらいの時間に入った客が、自分の腹の限界と食べ残し追加料金の狭間で格闘しているのだ。


「席、空いててよかったね」

「うん。私、お昼がだいぶ軽めだったから、お腹空いちゃった」

「いっぱい食べれて良いことじゃん」

「そうなんだけど、夜ご飯が食べれなくなっちゃう」

「あー、そっか」


 春也と秋葉がとりとめのない会話を交わしていると、メイド服にテイストが近い制服を着た店員がやってきた。


「いらっしゃいませ。こちら、メニューでございます」

「こんな券があるんですけど……」


 春也がもらった招待券を差し出すと、店員は確認して笑顔で頷いた。


「スイーツバイキングのご招待券ですね。2時間の食べ放題で、ドリンク、スイーツ共にあちらからセルフでのご提供となります」


 店員が指し示す先には、多種多様でカラフルなスイーツが並んでいる。

 ショートケーキにガトーショコラ、マカロン、プリン、シュークリームなどなど。

 ドリンクもかなり種類が多く備えられていた。

 夢のような光景に、秋葉が一段と目を輝かせる。


「食べ放題ですので制限はございませんが、それぞれが食べきれる分だけお取りください。限度を超えてお残しになりますと、追加料金が発生いたします。追加料金に関しては、このご招待券の対象外となりますのでご注意ください」

「分かりました」

「では、ごゆっくりどうぞ」


 店員が去っていくなり、秋葉が素早く立ち上がる。

 もう待ちきれないといった様子で、春也にきらきらした視線を送った。

 

「早く行こっ!」


 今日一番楽しそうな秋葉につられて、春也も笑顔でスイーツコーナーへ向かう。

 トレーに皿を乗せたら、あとは自分の好きなものを好きなように取っていくだけだ。

 どのスイーツも比較的小さめのサイズになっていて、たくさんの味を楽しめるようになっている。


「これも美味しそうだし……これも美味しそう!」


 上機嫌でスイーツを取っていく秋葉の横顔を、春也は一瞬だけそっと見つめた。

 美しい横顔がかわいさを纏って、はっと息を呑むような姿だ。


“ていうかなんで俺、秋葉とスイーツバイキング来てんだよ……?”


 事情が事情とはいえ、改めて考えると信じられないような状況だ。

 不思議な感覚を味わいながら、スイーツを取り終えて席に戻る。

 向かい合った春也と秋葉は、同時にプチシューを口に運んだ。


「美味しい〜!」

「美味しいな」


 店内は甘い香りで満ちている。

 そんな中でスイーツに舌鼓を打つ2人もまた、甘い雰囲気に包まれていくのだった。


「春也、これ美味しいよ」

「ほんと? 次、取ってこようかな」

「ぜひ! ねえ、春也……」

「ん?」

「その……楽しいね」

「……っ!」


 秋葉は幸せそうに目を細めて笑う。

 あまりのかわいさに直視できなかった春也は、少し視線を逸らして呟いた。


「楽しいな」


 そう言って口に運んだプチシューは、最初のより甘く感じたのだった。

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