衝撃

「いい子だな」

「ありがとうございます」


幹を折った時のような音が龍三の背中から鳴る。


「都会のやつがここの村で暮らすのは大変だと思うが、頑張れよ」

「お世話になります。後で何か持って行きますので」


龍三はフッと笑った。


「別にいいさ。引っ越しは終わったのか?」

「はい。隣の時斜さんに手伝ってもらって……」

「言ってくれれば手伝ったのに」

「いえいえ、お構いなく」

「遠慮しなくても、俺はまだまだ若いぞ?」

「はは。もっと若い私が頑張っていかないと」






凛の両手を掴んで持ち上げる。「キャハハ」と楽しげに笑いながら、脚をバタバタとさせていた。


軽い。まだ小さいからできる。今だからできる。大きくなったら……。そう考えると桃也は少し悲しくなった。


「――お父さん!私ここ好きー!」

「……そうか」


いずれは反抗期を迎える。父親に対してどうなるかは考えたくもない。そうして次は結婚する。桃也と美結から離れていく。


そうなってしまう。悲しいことでもあるが、嬉しいことでもある。仕方の無いことだ。そう考えるしかない。


凛はニコニコと楽しそうに笑っている。今はそれでいい。桃也はそんなことを考えていた。




遠方――。こっちに向かって歩いてくる男を桃也は見つけた。


年齢は30~40代。酒樽を詰めているかのようなビール腹で麻布の服に身を包んでいる。言い方が悪いが、見るからに汚らしい人だ。


他の住民とは違う。まるで焼き鳥の中に人参がまるまる1本入っているかのような違和感を感じた。


地面を揺らしながら歩いてくる姿はまさに石像。動く銅像とも表せられる。


「凛。後ろにいなさい」

「うん」


素直に桃也の言うことを聞いてくれた。小さい凛も本能的にヤバい人、というのを感じたのだろう。桃也のズボンをキュッと握りしめていた。


思い違いの可能性もある。人は見かけにも寄らないと言う。もしかしたらただ歩いているだけかもしれない。むしろそれであってほしい。



どんどんと近づくにつれて悪臭が漂ってくる。遠くからでは見えなかったが、男の体毛は鎧のように体にまとわりついていた。


「……」


警戒は解かない。むしろ強くする。


「……こ、こんにちは」


相手の反応を伺うようにして言葉を出した。どう返してくるのか。



「――こんにちは」


低い声。その感想よりも、思ってたより普通の反応だった、という思いが先に来た。ほんの少しだけ――気が緩んだ。






――男は桃也の顔面をぶん殴った。


「害人が村を歩くんじゃねぇよ!!嫌な匂いを撒き散らしやがって汚らわしい!!」


歯が折れた。口の中を切り裂いた。鉄の味が舌に広がる。


「村から出ていけ!!子供もろともほっぽり出してやるからな!!」


頬骨が痛い。口の中はもっと痛い。波紋のように痛みが広がっていく。


舌も切れているようだ。神経の詰まっている所を傷付けたので、とんでもなく痛い。ズキズキと引き締まるような痛みに襲われる。



――――――。



桃也は血走った目で男を見つめていた。殴られている間も、まばたき1つせずにだ。


その理由はなんだ。殴られたことに腹が立ったからか。それとも娘にまで手を出そうとしていたからか。それは分からない。


「ひっ……」


ともかく男は怯んだ。鬼のような眼光に殺意を感じたからか。これも理由は分からない。






「お、おい、何やってんだ!!」


立ち尽くしていた男に龍三とその他の住人が押さえにかかった。現役の農家数人が相手では力負けするのも必然だ。


男のふくよかな腹が地面に倒されて震えた。抵抗はしていない。



桃也の目は元に戻る。すぐさま凛の方へと体を向けた。


殴られた衝撃が凛の方にまで届いていたのか。腰の方から地面に倒れていた。目立った外傷は特にない。


「大丈夫か!?」

「うぁぁぁん!!痛いぃぃ!!」


転んだ時に手をついたようだ。手のひらから血がポツポツと流れている。見た目はそんなに痛くなさそうだ。


だけど子供からしたら痛い。そんなの当たり前だ。ましてや5歳。更には怖いおじさんに父親が殴られた。怖くて泣いてしまうのはしょうがない。


「あーあー。水で洗わないと……」


自分の傷は無視。凛の手に付いていた土をフッと息で吹き飛ばした。



龍三がこちらへ走ってくる。男はもう動いていない。必要ないと感じたからか、桃也の方へと来たようだ。


「お、おい。大丈夫か?」

「大丈夫です」

「いや大丈夫じゃないだろ……」

「こんなのかすり傷ですよ」


口の中に溜まった血を地面に吐き出す。顔は平然としていた。痛みは感じているはず。なのに顔には苦痛の欠片すら感じ取れない。


狼狽えるし痛がるはず。ほとんど無反応の桃也に龍三はちょっとだけ恐怖を覚えた。



泣いている凛を立たせる。龍三は凛の手のひらを見た。


「こりゃ……水で洗いに行こうか」

「お願いします」

「アンタはどうする?」

「一応行きます。口の中を洗いたいですし」


唇に垂れてきた血を拭いながら答えた。


「あぁでも……もうすぐでが来るか」

「執行教徒――?」


突然に出てきた執行教徒という言葉。頭に疑問が生まれる。『執行教徒とはなにか』と龍三に聞こうとした時――。

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