1日目

移住

「じいじー」

「ちょっと待ってね――はい。おじいちゃんに挨拶して」

「じいじ、久しぶりー!」



両側に生い茂る緑を楽しみながら、桃也一行は目的地の村へと車を走らせていた。地面はほとんど整備されていない。土を踏む細かい音が絶え間なくしている。


助手席には美結がおり、後ろの席に座っている凛にタブレットを渡していた。画面の奥には初老の男性が楽しそうな笑顔を浮かべている。


『凛ちゃん久しぶりー!田舎生活にはもう慣れた?』

「まだ新しいお家ついてないよー」


軽い冗談。車内は明るい雰囲気に包まれていた。



『凛ちゃん、パパに電話変わってくれる?』

「えー、わかった!」


運転席の後ろから「ハイ!」とタブレットを渡された。片手で受け取り、器用に太ももへと持っていく。


「ん、ありがと――もしもし」

『桃也か。久しぶりだな』

「……うん」


今回は突拍子もなく引っ越しを決断している。なので桃也の両親には引っ越しの報告が遅れていた。


そのことについて父は怒っている。子供や妻の前で怒られるのは気が引ける桃也。少し憂鬱な気持ちであった。


「あー……ごめん」

『この件はまた会った時にだ。それよりも話すことがある』


……怒られない。そのことが分かり、ホッとする。だがなんだか父の雰囲気がおかしい。


『引っ越しする場所。八月村なんだろ?』

「え?まぁそうだけど」

『――あそこには気おつけろ』


父が出した言葉は――忠告。そういえば父はこの山のふもとの町の出身だった。桃也は運転しながらそのことを思い出していた。


『アソコの村に近づいた人間は死体になって帰ってくる、なんてことを昔親父に聞かされてた。山の奥に入ることも禁止されてたくらいに八月村は危険視されていたんだ』

「昔の話だろ。そんな子供騙し――」

『――子供騙しじゃない』




八月村がある山では、よく人が神隠しにでもあったかのようにいなくなる。その近辺では八月村の住人の目撃情報があったらしい。


周りの住人は怪しみ、八月村へと抗議しに行った。しかし知らぬ存ぜぬの門前払い。仕方なく町の人たちは帰っていった。


――問題はその後。抗議へと向かった人たちは、帰りの道で全員していたのだ。


警察は熊の仕業と断定して深い調査はしなかった。だけど町の人達はわかっていた。――全て八月村の仕業だということに。




『それから八月村に近づく者はいなくなった。一時期は箝口令かんこうれいが敷かれるくらいに恐れられていたんだ』

「……」


にわかには信じ難い内容だ。しかしこれを大の大人が言っている。しかも真面目なトーンで。無視することはできない。


「必要以上に怯えることもないだろ。別に移住者は……まぁ最近はいないけど、昔は結構いたみたいだし」

『だけど……』

「ただの噂だ。気にしすぎだって」


ただの噂。あくまでも噂。気にするほどでもない。そんな噂がある所は日本中にある。


『……いざって時は2人を守ってやるんだぞ』

「分かってるよ」






――古き良き木造建築。縁側から家の中身まで見ることができる。柱も立派だ。桃也の肩幅くらいにはある。


庭の方には草が生い茂っていた。手入れはされていない。一踏みすればバッタが津波のようにジャンプしていた。



「――わぁぁ!!」

「あ、こら待ちなさい!」


美結が靴を脱ぎ捨てて、縁側から家へと飛び入る。子供はこういう場所ではしゃぐのが好きだ。もちろん凛も例外ではない。


畳はミシミシ。柱はギシギシ。掃除がされていなかったのだろうか。凛が走った後にはホコリが舞っていた。


しかしホコリもお構い無し。凛は雪のように舞い散るホコリの中をイノシシのように突っ込んでいく。


「あぁもう。引っ越しの前に掃除しないとね」


困った顔で凛を追いかける美結。5歳で体力が有り余っている凛に苦戦している様子。


「……歳とったなぁ」

「うるさいなぁ!外にあんまり出ないから体力落ちたの!ちょっとランニングしたら若い頃くらいには体力戻るし!」

「ほんとかー?」


怒りつつ凛を追いかける。でもやっぱり追いつけていない。桃也はそんな2人の様子を見て――静かに微笑んでいた。




「――来たみたいだねぇ」


ヨタヨタと腰の曲がった婆さんがやってきた。年齢は80歳ほどか。桃也は会釈をする。


「あ、時斜ときはすさん。こんにちは」

「こんにちは」


桃也は顔見知りのようだ。時斜と同じぐらいに深々とお辞儀をする。捕まえた凛の頬をムギュムギュと揉んでいた美結も時斜に会釈をした。


「えっと……どなた?」

「隣の家の人だよ。ここの家の下見に来た時にちょっとお話したんだ」

「話は桃也君から聞いてるよぉ。美結ちゃんだっけ?美人さんだねぇ」

「美人……やだもう!お世辞がお上手!」

「お世辞じゃないよぉ」

「もうすぐで三十路とは思えないな」


美結は桃也の脛を蹴っ飛ばした。

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