第3話 入学前夜・後編
グランス学園へ入学するため、侍女としてメイドのメイと共に屋敷を離れ王都へとやってきたイレーナ。まだ入学式まで日数こそあるものの、彼女はメイと共に王都での生活をスタートさせるのだった。
王都へとやってきた二日目。
「ん、ん~~~」
朝日が窓から差し込み、その光で目を覚ましたイレーナ。まだ眠そうに瞼を片手でこすりながらも上半身を起こした彼女だったが。
「ん?あれ、ここ、どこ?」
どうやらまだ寝ぼけているのだろう。彼女は部屋を見回しながら小首をかしげている。それからしばらく彼女は首を傾げていたが。
「あぁ、そうだ。昨日からこの寮で暮らすんだった」
寝ぼけていた頭が少しして覚醒したようで、昨日ここへとやってきたことを思い出したようだ。
「ふあぁ~~~」
彼女は欠伸を一つすると、ベッドから離れてその場で軽く目覚ましも兼ねてストレッチをした。
「ふぅ」
少し体を動かした事で、彼女の目も覚めたようだ。その後、彼女はクローゼットの中の引き出しからタオルを手に取ると、部屋を出て一度、廊下の突き当りへ。そこには洗面所があり、そこでは『魔石』と呼ばれる特殊な鉱石を使って作られた道具、『魔道具』が置かれていた。
魔道具とは魔石に内包されている力、『魔力』を使って火をおこしたり水を出したりする事が出来る道具だ。そしてイレーナは蛇口のような魔道具の魔石部分に触れた。すると魔石が仄かに青い光を放ち始め、蛇口から水が流れてきた。
その水で顔を洗ってタオルで拭き、傍にあった歯ブラシで歯を磨いてから、一度部屋に戻って、寝間着から私服に着替えると1階のキッチンへと向かった。
イレーナがキッチンに近づいていくと、何やら音が漏れ聞こえてくる。微かに開いていた扉を開け、中を覗き込むイレーナ。そして中にメイが居る事を確認するイレーナ。
「おはようメイ」
「あっ!おはようございますお嬢様っ!」
イレーナが声を掛けると、朝食の準備中だったメイは手を止めて振り返った。
「今朝食の用意をしていますので、もう少しお待ちくださいっ!」
「あぁ。なら私は家の裏にある庭で素振りでもしているよ。準備が出来たら呼びに来てくれ」
「分かりましたっ!」
メイの返事を聞くと、イレーナは一度部屋に戻り、そして昨日荷物に紛れていた祖父からのプレゼントである剣を手に家の裏手にある庭へと移動した。
「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ」
彼女は一度深呼吸をしてから、鞘を左手で。柄を右手でそれぞれ握り、ゆっくりと剣を抜いた。抜き放たれた刀身が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
「おぉっ」
その輝きに彼女は思わず驚嘆の声を漏らした。
「美しい剣だ。おじい様には感謝しなければな」
祖父の姿を思い浮かべながら彼女は笑みを浮かべる。
その後、彼女はその剣を手にトレーニングを始めた。
「やぁっ!はぁっ!」
いつもと同じイメージトレーニングで、脳裏に浮かべた仮想敵を相手に剣を振るい、攻撃を防ぎ、ステップで避ける。
『軽いっ!何度か真剣を手にした事があったが、そのどれよりも軽く、扱いやすいっ!』
剣の感触が、思っていた以上になじむ事からイレーナは満面の笑みを浮かべながらも剣を振るっていた。
「ふぅっ」
ある程度剣の感触に慣れ、少し汗もかいて来た所でイレーナは息をつき剣を鞘に納めた。
「お嬢様~」
と、ちょうどそこにメイがやってきた。
「朝食の用意が出来ました~」
「あぁっ、今行く」
メイの言葉にイレーナは頷くと家の方へと戻って行った。その後タオルで軽く汗を拭うと、メイが食事の用意をしていたリビングへと向かった。
「さぁお嬢様っ、ご用意できていますよ?」
「あぁ。ん?」
頷いたのも束の間、イレーナは料理が自分の分しか用意されていない事に気づいた。
「お嬢様?」
少し真剣な表情の彼女に気づいて、メイが恐る恐ると言った様子で問いかけた。どうやら自分が何かやってしまったのでは?と考えているようだ。
「ふむ。メイ」
「はい、何でしょうか?」
「メイの分の食事はどこだ?」
「え?そ、それでしたらまだキッチンの方ですが?それが何か?」
「そうか。ならば持ってきてくれ。一緒に食べるぞ」
「えっ!?よ、よろしいのですかっ!?従者が主と一緒に食事などっ」
イレーナの提案は、普通ならそうそうある事ではない。が……。
「気にするな。どうせこの家は私とメイしかいないのだ。そして実質的な家長は私だ。その私が良いというのだ。気にすることはない。それに、せっかくメイの作った料理も冷めてしまっては美味しくなかろう?なので、メイも自分の分を用意してしまえ。一緒に、朝食を楽しもうではないか」
「わ、分かりましたっ。すぐにっ!」
彼女の言葉に、嬉しそうに笑みを浮かべたメイは、パタパタと足音を響かせながら足早にキッチンへ戻った。少しして彼女は料理を乗せたワゴンと共に戻って来ると、その上に載っていた皿をイレーナと向かい合う席の前に手早く並べ、そして席に着いた。
「さて、では朝食しようか」
「はいっ!」
その後、2人は雑談を交えながら食事を楽しんだ。
それから少しして、2人は本格的な荷ほどきを始めた。
「お嬢様。この荷物はどちらへ?」
「あぁそれはそこのクローゼットの脇にでもおいておいてくれ。後で私が片付けるから」
「分かりましたっ」
午前中と午後のひとっきりを使って荷ほどきを行い、その日は2人とも疲れたとあって、後の時間はのんびりする事に。
「ふぅ。流石に疲れましたねお嬢様」
「まぁ私たち2人しかいないからなぁ。それも仕方あるまい」
荷ほどきを終え、リビングでメイの用意したお茶を飲みつつくつろぐ2人。
「それでお嬢様。明日からのご予定はどうされますか?まだ入学式まで時間もありますし」
「そうだな。とりあえず、明日は学園の方に行ってみようと思う。入学式当日になって迷っても事だからな。学園の下見だ。明日以外は、とりあえず、辺りを歩いてどんな店があるか見ておかないとな。衣類や生活に必要な物、食材など。貴族寮の生徒たちはこんな一軒家で生活できる事やメイドを連れてくる事が出来る反面、そう言った事は自分たちか雇っているメイドで買うなりしてどうにかしろ、という事だからな」
「じゃあお料理の材料とかも私が買ってくるほかない、という事ですね?」
「あぁ。その通りだ」
と、今後の予定を話し合っていた2人。しばらく談笑していると、日も暮れて辺りが暗くなってきた。
「あっ、もうこんな時間ですね。では、先にお風呂の用意をしてきますね。お嬢様はどうされますか?」
「なら、ここで適当に休ませてもらうよ」
「かしこまりました。失礼します」
メイは座っていたソファから立ち上がって一例をすると風呂場の方へと向かった。イレーナの方は、まだ残っていたお茶を飲みながら、ただ静かにソファに横たわっていた。
しばらくして。
「お嬢様、お風呂の用意が出来ましたよ」
「あぁ。ありがとうメイ」
イレーナは自分を呼びに来たメイに返事をしながら彼女に目を向ける。
「っと、そうだ。メイ、お前も昼間の荷ほどきで疲れたし、汗もかいただろう?良かったら今のうちに私と一緒に風呂に入るか?」
「えっ!?」
イレーナの提案に驚き顔を赤くするメイ。
「そ、それは流石に不味いのではないですかっ!?いくら私とお嬢様が同性とは言え、従者と主が一緒に風呂などっ!」
「私が良いと言うのだから気にする必要はない。メイだって昼間の作業で多少なりとも汗は掻いただろう?」
「そ、それはそうですが……」
「ならば早く風呂に入って汗を流してしまった方が良いだろう。ほら、行くぞ」
「ちょっ!?お嬢様背中を押さないでくださいっ!わ、分かりましたっ!一緒に入らせていただきますからぁっ!」
戸惑いながらも、イレーナが主である以上断れないと悟ったメイは諦め、半ば自暴自棄のような返事を返すのだった。
その後、2人は脱衣所で服を脱ぐと風呂の中へと。幸い、貴族用の寮として使われている一軒家だけあって浴槽も大の女性2人が並んで湯船に浸かれるくらいには広かった。
2人はまず桶でお湯を汲み体を洗ってから、湯船に体を浸けた。
「ふぅ」
「ん~~~。良いお湯です~~」
温かいお湯に身を浸し、2人とも盛大に息をついた。それから2人はしばし談笑したりしていたのだが。
「しかし。メイの胸、以前より大きくなってないか?」
「はい。実はそうなんですよぉ。何だか最近、服の胸周りがキツクなってきたような気がして。やっぱり大きくなってるんでしょうか?」
「キツイのならまぁ、成長しているのだろうなぁ。しかし実際、どうなのだ?胸が大きいというのは?」
イレーナは興味本位から問いかけた。イレーナの胸は、別段大きいという訳ではない。絶壁、という訳ではないが周囲と比較して驚くべき程大きい、というわけでもない。つまり平均的な大きさだ。
対してメイは、そんな平均的な大きさのイレーナからしても『大きい』と感じる程の存在感を持っていた。
「良い事なんてありませんよ。重いから肩は凝るし、足元が見えない事もありますし、男性からは嫌らしい目で見られる事もありますし。ホント、良い事なんてありません」
「ふむ。そういう物か」
イレーナはメイの話を聞くと、真剣な表情で頷いた。理由は、メイが嫌らしい目で見られている、という事を耳にしたからだ。
「メイ、一つだけ言っておこう」
「え?はいっ、何でしょうお嬢様?」
「もし町中で変な男などに絡まれたら、我が家の名を出しても良いからとにかく逃げろ。もし、買い物帰りだというのなら買ったものを相手にぶつけてでも逃げろ。良いな?」
「え、えっと。そ、それは分かりますが、いきなりなぜそんな話を?」
唐突な話題にメイの方は付いて行けず、戸惑っていた。イレーナは、そんな彼女と向かい合うように、メイの前へと移動し真正面から向かい合う。
「私が学生として学園で授業を受けている間、メイは一人だ。その間、私がお前を守ってやる事は出来ない。だからこそ、心配なのだ」
イレーナは憂いに満ちた瞳でメイを見つめ、彼女の手がメイの頬を撫でる。
「んっ、お、お嬢様」
頬を撫でられ、メイはピクンッと体を震わせながら頬を赤く染めている。
「メイ、私はお前を家族だと思っている。平民と貴族の違いなど関係ない。ここは私たちの家で、私たちは家族だ。だからこそ、心配なんだよ。まだまだ慣れない町でお前にもしもがあったとしたら、私はお前に酷い事をした相手を血眼になって探し出し、八つ裂きにするだろう。それほどまでに、メイは私にとって大切な家族だ」
真剣みを帯びながらも、イレーナの表情は不安の色が見て取れた。その証拠に、メイの頬を撫でる手が僅かに震えている。
「メイは、私の家族だ。だからこそ、何かあってはと思うと、怖い。だからメイ。もしもの時は、自分の命を優先しろ。家の名を出して脅しても良い。金や物など欲しいならくれてやれ。……その程度の事で、お前の命を、心を、体を守れるのなら安いものだ。良いな、メイ」
「はい、お嬢様」
優しく、願うように声を掛けるイレーナの言葉にメイも優しく答えた。
「ふふ、私は幸せ者です。主であるお嬢様にこれほど心配していただけるなんて」
メイは少し潤んだ瞳と、赤く染まった頬と共に嬉しそうに笑みを浮かべている。
「そうか?だが、当たり前だろう」
イレーナはメイの言葉に少し首を傾げると、そう言ってメイの右手を取った。
「愛する家族の事を心配しない者など居ないさ」
イレーナは笑みを浮かべながらつぶやくと、メイの右手の甲に軽く口づけをした。
「んっ。お嬢様、私がご指摘していいのか分かりませんが、お嬢様は友愛の証としてこう、キスを多用されますがよろしいのですか?その、あまりみだりに口づけをしては、色々勘違いをされる方が現れるかもしれません」
手の甲とはいえ、口づけをされたメイは恥ずかしそうに、しかしどこか嬉しそうにしつつも主たるイレーナに進言をしている。
「ふふっ、何をいまさら。こんな事、私の本当に大切な相手にしかしないさ。この行為は、私の相手に対する信頼の証と言った所さ。メイ」
「んっ!」
再びメイの手の甲に軽く口づけをするイレーナ。肌に触る柔らかな唇の感触に驚いてメイはもう一度体をピクンッと反応させてしまう。
「ふふっ、赤い顔も可愛いよ、メイ」
イレーナはメイの反応を見て楽しそうに笑みを浮かべている。
「うぅ、お嬢様はなんていうか、天然の『タラシ』ですね」
赤面しているところを見られて恥ずかしいのか、若干ジト目でイレーナの事を見つつメイはそう口にした。
「そうか?私としては思っている事をそのまま口にしているだけなのだがな。例えば……」
イレーナは楽しそうに笑みを浮かべながらメイの耳元に顔を近づけると……。
「愛しているよ、メイ」
そう、静かな声でしかし確かに愛を囁いた。
「ふぇっ!?」
耳元で囁かれる声のくすぐったさと、衝撃の言葉にメイは顔を茹でたタコのように真っ赤にしながら素っ頓狂な声を上げて驚いた。
「おおおお嬢様っ!?何をっ!?いいいきなり何を言い出すのですかぁっ!?」
顔を真っ赤にして慌てるメイ。彼女は咄嗟にイレーナと距離を取ったのだが。
「ふふっ、すまないなメイ。だが私は嘘が嫌いだし、ならば本当の事を言うしかあるまい?」
イレーナはゆっくりとメイの方へと歩み寄り、再び彼女の頬を優しくなでる。
「う、うぅっ」
「ふふっ。顔を赤く染めるメイも、可愛いぞ?」
「うぅっ、お嬢様はやっぱり天然のタラシですぅっ」
主たるイレーナの言葉に、動きに、何度も赤面させられ驚かされ、メイは顔を赤くしながらも、ジト目でイレーナを見上げながら負け惜しみの如く、ただそう口にする事しか出来ないのだった。
その後、ひとしきりイレーナがメイの反応を見て楽しんだ後。2人は風呂を出て寝間着に着替えるとそれぞれの部屋へ。そしてイレーナは、明日用事があるために早めにベッドで休むのだった。
翌朝。イレーナは起床し、顔を洗ったりした後、朝食を食べて部屋に戻ると少し休憩をしてから、学園の制服に着替えると、裏庭で洗濯物を洗っていたメイの所へと向かった。
「メイ、私はこれから学園の下見に行ってくるぞ」
「あ、はいっ、お嬢様っ。お戻りは何時頃になりますでしょうか?」
「そうだな。昼頃までには戻って来る予定だ。昼食も家で取る予定だ」
「分かりましたっ」
メイは頷くと洗濯物を洗っていた手を止めて立ち上がり、イレーナの方へと向き直る。
「どうかお気をつけて。いってらっしゃいませ」
「あぁ。行ってくる」
メイの言葉とお辞儀に答えたイレーナは、家を出て学園へと向かった。
イレーナたちが暮らしている学生寮の区画は学園のすぐそばに作られている。まず、学園があるその近くに貴族の学生寮区画があり、そこから更に少し外側に平民の寮区画がある。貴族寮の区画から学園までは、歩いて20分とはかからなかった。
とはいえ、今は春休みの期間中だ。在校生の者たちは新学期が始まるまでの間に実家などに帰省している者も多い。なのでイレーナが貴族寮の区画を歩いても出会う人などほとんどいない。極稀に、新入生だろうか。使用人たちに指示を出して寮である一軒家に荷物を運びこませている者の姿を見かけるくらいだ。
「ここが、グランス学園か」
そしてしばらく歩いていると、イレーナはグランス学園の正門前までやってきた。正門の前からでも見える大きな建物が、それも複数。門の外から見ているだけでも、敷地の大きさや建物の多さが分かるという物だった。
と、そこへ。
「あ~失礼、制服を着ているという事は、学生かな?」
正門の傍にあった衛兵の待機所らしき所から衛兵らしき男性が1人現れた。
「はい。と言っても、まだ入学前の新入生ですが」
そう言ってイレーナは、スカートのポケットの中から事前に配られていた学生証を取り出した。
その学生証もまた、魔道具の一種であり、中には別の魔道具で転写したイレーナの顔写真と、名前、性別、年齢、寮の住所などの欄に記載があり、逆に学年やクラスに関しての欄は今はまだ空白状態だった。
「あぁ、成程新入生の方でしたか。本日はどのようなご用件で?生憎まだ春休み期間中なので、中には殆ど人が居ませんが?」
「大した用ではないのですが、事前に学園の中を見ておきたくて。入学式の当日に迷ってしまっても大変ですので。中に入る事は可能ですか?」
「えぇ。学生であれば大丈夫ですよ」
衛兵は快く頷くと、一度待機所の中へと入った。どうやら待機所は外と中を繋げているようで、正門の裏へと回った衛兵が大きな閂を動かし、ロックを外すと正門を開いた。
「さぁどうぞ」
「ありがとうございます」
お礼を言って、いよいよ学園の中へと足を踏み入れるイレーナ。それを確認すると、衛兵は再び正門を戻しロックを掛けた。
「では、お戻りの際にはまたこちらへいらして下さい。我々衛兵に言っていただければロックを外しますので。あぁ、ご自分でロックを外して出ていくようなことはなさらないで下さいね?この門の管理も我々の仕事ですので」
「分かりました」
説明を受け、頷いたイレーナは会釈をすると踵を返して正面に見える大きな建物
へと向かって歩き出した。
正面にある建物まで続く1本道を歩くイレーナ。とはいえ敷地も広いため正門から建物にたどり着くだけでも数分は掛かってしまう。
「おぉっ」
数分掛けて建物の前にたどり着いたイレーナだが、たどり着いたは良い物の、見上げる程の大きさに思わず驚嘆の声が漏れてしまった。
「大きいな。近くで見るとこれほどか」
イレーナは驚嘆の声を上げつつ、更に建物の傍へ。
「ん?」
そして建物の入り口に続く階段を上り切った時だった。
「え~っとえ~っと、あそこがここで、ここがこっちだから~。え~っとえ~っと?」
イレーナの前方、入り口の柱の一つに掲げられた、案内板、つまり学園全体の地図を前にして誰かがあたふたと慌てた様子で立ち往生していた。
『あの格好、平民か?しかし、案内板の前で何やら慌てた様子だが、迷ったのか?』
イレーナは相手の様子を見て、平民だと考えた。実際、服装の類はこの世界にあって平民の者がよく着ている質素な物だった。更にイレーナは、その人物の慌てようから迷っているのでは?と推察した。
『このまま見守っていても仕方ないし、声をかけてみるか』
「君、大丈夫か?」
「えっ!?」
イレーナは平民らしい人物へと歩み寄り声を掛けた。すると、その人物はいきなりの事で驚いたのか体を震わせ、声を上げながら振り返った。
振り返ったその人物は、表情こそ驚きに満ちていたが、長く綺麗な金色のストレートの髪と、海の色を落としこんだような青い瞳が特徴的な、少女だった。
『見た目と服装からして、私と同い年の、平民の新入生、か?』
「こんにちは。君はもしかして、新入生、かな?」
そう、イレーナは推察しつつ彼女に声をかけた。
「えっ!?そ、そうですけど。……あっ!も、もしかして在校生の方ですかっ!?」
少女は、頷きつつもイレーナの服装、制服に気づいて、助かったっ!と言わんばかりに嬉しそうに笑みを浮かべている。
「いいや。残念ながら在校生ではないんだ。制服こそ着ているのだが、新入生だ」
「あっ、そ、そうだったんですねっ!すみません、制服姿だったのでっ」
「気にしていないよ。それより、どうかしたのか?何やら案内板の前で困り果てていたようだが?」
「あ、え、え~っと実は、私地図が全然読めなくて。文字は読めるのですが、その、地理感覚が全然と言いますか……」
少女は恥ずかしがるように照れ隠しの微笑を浮かべながら話す。
「そうだったのか。目的地はどこなのだ?」
「えと、管理棟の備品管理部、という所です。私、まだ制服を持ってなくて。昨日何とか寮まで来たのですが、日を遅かったりで昨日のうちに取りに来られなくて」
「そうだったのか。少し地図を見ても構わないか?」
「え?は、はいっ」
唐突なイレーナの言葉に少女は少し戸惑いながらも地図の前から数歩ズレる。
「ふむふむ」
イレーナは地図の前に立つと、まず自分の位置を確認する。
「ここが今いる第1校舎の前だから、管理棟は……。あっちか」
管理棟の大よその位置を把握したイレーナは少女の方へと向き直った。
「管理棟の位置は大体わかったのだが、良ければ案内しようか?」
「えっ!?良いんですかっ!?」
「あぁ。迷っている子を放ってはおけないしな。私も別に目的があって来た訳ではないんだ。数日後に控えた入学式の時迷わないようにと思って下見で来ているだけでな。どうする?」
「よ、よろしくお願いしますっ!」
イレーナの言葉に少女はすぐさま頭を下げて頼み込んだ。
「分かった。……と、そうだ。案内の前に名乗っておこう。私はイレーナ・クレトリアだ。君は?」
「あ、え、えと、私はこの度グランス学園に入学する事になりました『リシリー』と言いますっ!はじめましてっ!」
それが、イレーナと、のちに彼女のハーレムのメンバーとなる一人の少女、リシリーとの最初の出会いであった。
第3話 END
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