第2話 入学前夜・前編

 とある世界、とある国、レ・グランス王国を収める貴族『クレトリア伯爵家』。その伯爵家の次女たる少女『イレーナ・クレトリア』。彼女は貴族令嬢らしからぬ、剣の道を歩もうと考える少し変わった女の子だった。しかしそんな彼女の将来を心配する両親たちの言葉もあり、彼女は王立の学園、『グランス学園』へ入学する事になったのだった。



 グランス学園に入学するとイレーナが決めてから、時間はあっという間に過ぎた。学園に入学する、となれば色々準備も必要なのだ。制服などの衣類もそうだが、入学した生徒たちは基本的に寮生活を行う事になる。その寮への入寮手続きや、貴族であればメイドを数人まで連れていく事が出来るため、誰を連れていくのかを決めたり、他にも学園でしっかりと学び、また他国の人々と接しても問題ないように基礎的な事の復習やら礼儀作法の勉強などを行わなければならなかった。


 そして、それ故に時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。季節は巡り、春。

いよいよグランス学園へ入学する季節となって来た。


「いよいよ、か」

 ある日の朝、イレーナは学園指定の紺色の、ブレザータイプの制服を纏った姿で屋敷の入り口に佇んでいた。そんな彼女の見つめる先では、使用人の男たちが馬車に荷物を運びこんでいた。そこへ。


「いよいよだね、イレーナ」

 声を掛けられ振り返るイレーナ。そこに居たのは父ハインリヒを始め、エレオノーラやユーシアら家族たちだった。

「はい。五日後には入学式。そうなればいよいよ学園の生徒としての生活が始まります」

「そうだね。……どうたいイレーナ?緊張はしているかい?」

「正直に言えば、緊張しています。学園で出会う人々は面識もない初対面の人々ばかりですから。学園になじめるのか、という不安もあります」

 彼女は緊張した様子で自らの内なる不安をこぼした。


「そうか。だがイレーナ、お前ならきっと大丈夫だ。イレーナはそれくらいで弱音を上げるような娘でないと、私たちは知っているぞ」

「お父様。ありがとうございます」

 ハインリヒの笑みと励ましの言葉を聞き、彼女も幾分か安心したようで、緊張で固くなっていた表情が和らぐ。

「イレーナ。どうか元気でね。もし辛い事があったら、いつでも戻ってきて良いのよ」

「はい。お母様。行ってきます」

 少し心配そうな母と抱擁を交わすイレーナ。


 そこから更に、セオドア、マクシミリアン、ユーシアとも抱擁を交わす。

「家の事なら気にするなよ、イレーナ」

「もし困った時は僕を訪ねていいよ。職場は王都だから、皆の中では僕が一番近くにいるし」

「無茶だけはしちゃだめだからね?」

「はい、兄さんたちも、姉さんも。行ってきます」


 こうして家族全員とは挨拶を済ませたイレーナ。馬車への荷物の積み込みも終わったのだが……。

「ところでメイはどうした?姿が見えないが?」

 と、首を傾げるハインリヒ。 学園に向かうのはイレーナと、寮で彼女の生活の世話をするメイドが一人の合計2人なのだが、そのメイドの姿が見えないのだ。


 イレーナもハインリヒらも周囲をキョロキョロと見回していると。

「ご、ごめんなさ~~いっ!」

 大き目のカバンを持ったメイド服姿に茶髪のロングヘアが特徴的な少女、『メイ』が慌てた様子で駆けてきた。


「お、遅くなりまし、はわぁっ!」

 慌てた様子で走っていたメイだったが、小石に躓いたのかその場で盛大に倒れてしまった。

「め、メイッ!?大丈夫かっ!?」

 ぎょっと慌てた表情で駆け寄るイレーナ。彼女は盛大にこけたメイを抱き起す。

「うぅっ、申し訳ありませんお嬢様ぁ」

「全く。相変わらずメイはそそっかしいなぁ」

 涙目で恥ずかしそうに声を漏らすメイと、そんな彼女にやれやれと言わんばかりに苦笑を浮かべるイレーナ。


「立てるか?」

「は、はいぃ」

 イレーナの手を借りて立ち上がるメイ。しかしこけたせいか、頬に少し土がついてしまっている。

『あっ、顔に少し土が』

 それに気づいたイレーナはポケットからハンカチを取り出した。

「メイ、動くなよ」

「はえ?」

 主の言葉の意味が分からず首を傾げるメイ。イレーナは右手を彼女の頬に手を添える。

「ふぇっ!?お、お嬢様ッ!?」

「動くな。じっとしていろ」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 主の言葉と真剣な表情でメイは固まる。イレーナは汚れている場所をよく見ようと、彼女の顔に自分の顔を近づけ、ハンカチで優しく汚れている頬を拭く。

「うぅっ」

 イレーナの顔立ちはとても整っていた。更に言えば同性でも見惚れてしまう程、彼女の顔立ちは少し中性的でもあった。つまり、イケメン顔負けの整った顔立ちをしていたのである。そんな同性でもドキドキする顔が目の前にあって、メイは顔を真っ赤にしていたのだ。


 イレーナに頬を優しく拭かれている間、メイは顔を赤くしながら固く目を閉じ直立不動の姿勢を取っていた。

「ほら、綺麗になったぞ」

「あ、ありがとうございますっ!お嬢様っ!」

 メイは恥ずかしさとドキドキで顔を真っ赤にしたまま礼を述べるが……。


「良いさ。汚れなど付けていたら、お前の綺麗な顔立ちが台無しだからな」

「ふぇっ!?」

 イレーナの微笑みと共に告げられた綺麗、という言葉に彼女は再び顔を真っ赤にした。

「うぅ~~~」

 顔を真っ赤にしながらメイが呻いていると、イレーナが彼女の持ってきたカバンを馬車に積み込んでしまう。

「ふえっ!?お、お嬢様っ!そのような事は私が自分でっ!」

「良いさ、気にするな。これくらいどうという事は無い」


 慌てて声を掛けるメイにイレーナは笑みを浮かべながら荷物を載せてしまう。

「さて、これで準備は出来たな」


 荷物を積み込み終えたので、後はイレーナとメイが馬車に乗ればいつでも出発できる。

「それではお父様、お母様。兄様たちも。行ってまいります」

 彼女は笑顔で家族たちの方へと向き直り、挨拶をし会釈をした。のだが……。


「あ、あぁっ。気をつけてね、イレーナ」

『ん?』

「はい、行ってきます」

 一瞬彼女は、少し言いよどんだ父ハインリヒの姿を訝しんだ。更によく見れば母エレオノーラやユーシアらも苦笑しているような、呆れているような表情を浮かべている。


『はて?私は何か変な事をしただろうか?』

 と、彼女は内心首を傾げつつもメイを連れて馬車に乗りこんだ。二人が乗り込んだのを確認すると、御者の男が手綱を引き、馬車は走り出した。


 ハインリヒらは、それを見送ったのだが……。

「あぁ、私、不安ですわ」

「大丈夫さエレオノーラ。あの子は強い。滅多なことではへこたれないさ」

 娘を心配する彼女を安心させようとハインリヒは優しく声をかけた。


「い、いえ。そうではないんですあなた」

「ん?何か違うのかい?」

「はい。私が心配しているのは、あの子が学園で何か問題を起こさないか、という事でして」

「あ、あぁ。そういうことか。で、でもイレーナに限ってそんなことは……」

「いえ」

 ハインリヒの言葉をユーシアが遮る。


「あの子の事ですから、絶対、何かをやらかすと思います。だってあの子は、あんなふうに天然でジゴロな所があるのですから」

「………そう、か」

 ユーシアは不安そうにつぶやき、ハインリヒもまたそれを否定しきれず項垂れるのだった。


『『『『『何もなければ良いけど』』』』』

 家族の旅立ちの日であるはずが、イレーナを見送る5人の胸の内では不安が燻っているのだった。



 一方、クレトリア伯爵家を出発した馬車は街道を進んでいた。そんな馬車の中で。

「あの、お嬢様?」

「ん?どうしたメイ」

「いえ。ちょっと気になったのですが、学園の入学式は五日も先ですよね?何も今日から向かう必要はないのではないですか?」

「ふむ。まぁメイの言い分も分かるが、私としては早いうちから王都に慣れておきたいし、可能なら入学前に学園を見ておきたい。確か今はまだ春休みの時期で生徒たちもほとんどいないと聞いていたしな」

「成程~」

「それに、メイだって早いうちから王都や寮の周囲に慣れておかないといけないからな。道に迷ってしまうと事だろう?」

「うっ、た、確かに」


 イレーナの言葉に、不安そうに唸るメイ。 

 

 彼女らは馬車の中で雑談をしながら揺られていた。

 

 クレトリア伯爵領は、比較的王都に近い場所ではあった。とはいえ、王都までは馬車であろうと数時間の道のりだ。時折馬を休ませるための小休止などを挟みつつ、移動を続ける。


 そしてイレーナとメイを乗せた馬車が王都にたどり着いたのは、もう日も暮れ始めていた夕方の頃だった。 


 イレーナたちを乗せた馬車は、夕方ごろに王都を囲う城壁に設置された関所前に到着。簡単な検査を受けた後、王都内部へと通された。


「うわぁっ!ここが王都ですかぁっ!」

 馬車の中から、メイは王都の景色に見とれ、驚嘆の声を上げていた。

「そうか。メイは王都に来るのは初めてだったな?」

「はいっ!それにしても、王都は賑やかですね~っ。人もたくさんいて、見たことも無いような物がたくさんありますっ!」

「そうだな。我がレ・グランス王国はもともと交通の要衝として存在した都市を中心に興った国だ。そしてその都市、というのがこの王都だ。だからこそ、王都には世界各地から人と物が集まる。なので人は、王都をこう呼ぶ。『出会いと物流の街』、とな」

「へ~~~!」


 イレーナの話を聞き、驚嘆した様子のまま笑みを浮かべているメイ。その初々しい反応に、思わずイレーナは笑みを浮かべた。

「あっ!ひ、酷いですよお嬢様っ!今私の事、笑いましたねっ!?」

「ん?あぁいや、違うよ。王都を見て、初めての景色に子供の用にはしゃぐメイの姿が可愛かっただけさ」

「かわっ!?えぇっ!?」


 メイに思っていた事、笑みを浮かべた理由を話すと彼女は顔を真っ赤にしてしまう。

「うぅ、可愛いなんてそんなぁ。冗談でも嬉しいですぅ」

 赤い頬に両手を当て、ニヤニヤと笑みを浮かべながら浮かれた様子のメイ。しかし、イレーナは冗談、という言葉を聞くとどこか真剣な表情を浮かべた。そして……。


「メイッ」

「はわっ!?」


 イレーナは真剣な表情を浮かべながら席を立ち、メイの前に歩み寄ると、片手を彼女の後ろの壁に着いた。

「はわっ!?わ、わた、私お嬢様に壁ドンされてるっ!?」

 少なからず思っているイレーナからの壁ドンに、メイは顔を真っ赤にしてしまう。

『なぜメイは顔を赤くしているんだ?まぁ良い』

 肝心のイレーナは、メイが赤面している理由は分からなかったが、それでも言葉を続けた。

「メイ、私だって言って良い冗談と悪い冗談の区別くらい出来るぞ?」

「ふぇ?そ、それは、どういう?」


 メイは分かっていないのか、キョトンとした表情で小首をかしげている。その様子にイレーナも少し考えを巡らせ、更に言葉を続けた。


「女性なら誰しも可愛い、と言われれば喜ぶだろう。だがそれが冗談だとしたら?それはつまり相手に『可愛くない』と言っているのと同義ではないのか?」

「そ、それはまぁ、確かにそうかもしれませんが」

「だからこそ言っておく。今、私はお前を可愛いと言っただろう?あれは冗談などではないぞ、メイ」


「ふぇっ!?」

「私は人を傷つける嘘など好まない。口にしたいとも思わない。だからこそ、さっきの言葉は嘘偽りのない言葉だ。それを理解してほしい」

「そ、そそ、そんなっ!わ、私なんてそそっかしいだけのダメなメイドですよっ!」

 彼女は顔を赤くしながら自虐の言葉を並べている。それを前にしたイレーナは……。


「何を言う。メイは今まで、何年も私や私の家族のために一生懸命働いて来たじゃないか。そんなお前が、ダメなメイドなものか」

「うっ。で、でも私、おっちょこちょいで、失敗だっていつも。それに今朝だってっ」

「確かに、メイにはそういうところがあるかもしれない。……でも、何度失敗してもへこたれず、努力を続けるメイの姿を私は知ってるぞ?」

「えっ?」


「失敗しても、学ぼうとして。怒られて泣いても、それでもいじけず頑張っている姿を、私は何度も見てきた。メイのそう言う一生懸命な姿、私は好きだぞ?」

「ふぇっ!?ふぇぇぇぇっ!?」


 イレーナの言葉を聞いてメイは絶叫した。好き、という言葉に驚いたのだ。


「すすすす、好きってそんなっ!?い、いえ私もお嬢様の事はすすす、好きですしっ!でもでもいきなりは心の準備ががががっ!」

 テンパった様子のメイ。が、肝心のイレーナはなぜ彼女がそこまでテンパっているのか、理解できなかった。

「どうしたメイッ?大丈夫か?」

「はわぁっ!?かかか、お顔が近いですお嬢様っ!」


 顔全体がまるで茹でたトマトのように赤いメイ。その様子を見たイレーナは、ある考えに至った。

『もしかして熱でもあるのか?風邪だとすると不味いな。これから新しい生活も始まる。慣れない環境でこじらせても大変だ』


「メイッ、ちょっと額を借りるぞ?」

「ふぇっ!?」

 戸惑うメイを気にしつつ、イレーナは自らの額を彼女の額へとくっ付けた。

「はわぁっ!?はわわわわわっ!?」

『ふぅむ。メイは何やら訳の分からない言葉を繰り返しているが、体温自体はそこまで高くは無いようだな?』

 問題ないな、と結論づけるイレーナだが、メイはそれどころでは無かった。

『お、おじょ、お嬢様のお顔がぁっ!近いぃっ!近すぎですぅっ!』

顔は赤く染まり、心臓が早鐘を打っている。


「ふむ。熱は無いようだが。メイ、顔が赤いが疲れが溜まっているのか?」

「………」

 イレーナは問いかけたが、俯いているメイは答えない。

「メイ?メイ?」


 その様子を訝しみ、彼女はメイの前に屈みこんで様子を伺った。のだが……。

「きゅぅ~~」

 メイは顔を真っ赤にしながら思考がオーバーヒートして、目を回していた。


「め、メイッ!?どうしたメイッ!?だ、大丈夫かっ!?」

 状況が分からずイレーナは困惑し声を掛けた。……自分が原因だとは、つゆにも思わず。


「お、お嬢様の、せい、ですぅ」

「えっ!?私のせいなのかっ!?」

「はいぃ、あ、あんな風にいきなり壁ドンとかするからぁ」

『わ、私のせいってどういうことだろう?全く見当が付かないっ!って言うかメイの言っている言葉の意味が一切分からないのだがっ!?』

 メイの言葉の意味が分からず混乱するイレーナ。

 

「あ~~、お嬢様?目的地に着きましたよ?」

「はっ!?そ、そうかっ!ご苦労っ!」


 馬車の外と中を繋ぐ小窓が開かれ、そこから騎手の声が聞こえる。窓の外を見ると、確かに目的地についていて馬車も止まっていた。


「お、おいメイ大丈夫か?目的地に着いたぞ?」

「う、うぅ。何とかぁ」

 メイは今も顔を赤くした状態ながらも立ち上がった。まだ少し顔を赤くしながらも、イレーナに続く。


「ついたぞメイ。ここが今日から私たちが暮らす場所だ」

「はいっ。って、ん?」


 メイは気持ちを切り替えているのか、頬を軽く叩くと俯いていた視線を上げ、直後に何かを訝しむように首を傾げた。


「あの、お嬢様?ここが私たち二人が暮らす『寮』なのですか?」

「ん?あぁそうだぞ」

「え、え~っとこれ、どう見ても『一軒家』なんですが?」


 メイは目の前にそそり立つ寮を目にして一軒家だと言っている。と、その時イレーナは『あ、そういえば』とある事を思い出した。


「済まないメイ。これは私の説明不足だったかもしれないな」

「え?どういうことですか?」

「まぁ、簡単な話だ。貴族連中の中には、平民と同じ寮で暮らすのを嫌がる連中が多い。そんな連中は昔からいて、更に悪い事に今の貴族連中の中にもそう考えている者は存在している。だからこそ貴族の寮は平民のそれと分けられ、こういった形の一軒家、という訳だ」

「成程。そういう理由だったんですね」

 と、話していた矢先、冷たい風が吹き2人は少しばかり体を震わせた。

「うぅ寒いっ」

 体を震わせるメイ。更にイレーナはそれを見て、『外で話すと今度こそ風邪を引きかねないな』と、判断した。


「と、とりあえず荷物をさっさと中に運び込んでしまおう。良いなメイ?」

「は、はいっ」


 その後、イレーナとメイ、それに御者をしていた使用人に手伝ってもらい、荷物を家の中に運び込み、適当な場所に集めておく。そして運び込みが終わると、2人は去っていく馬車を見送った。


 彼の仕事は2人と荷物を運びこめば終わりだ。『最後に両親への言伝を頼む』と、イレーナは彼に言伝を頼んでから見送った。もちろん今日の夜に王都を出る訳ではない。既に外は暗く、王都で適当な宿を見つけて一泊してから明日の朝屋敷に戻る、と彼は2人に話していた。


 とはいえ、2人が居るのは学園から近い学生寮区なので関係者以外は基本的に滞在する事を許されていない。


「ふぅ。とりあえず荷物は運びこみましたけど、これからどうします?お嬢様?」

「そうだな。入学式まで余裕があるし、本格的な荷ほどきは明日で良い。それより、今日は食事を取ったらもう休もう。ずっと馬車に揺られていたし、もう遅い。確か、数日分の食材は事前にキッチンへ置かれていると聞いてる。それで軽く食事を作ってほしいのだが、頼めるか?メイ」

「かしこまりました。キッチンの方を見てまいります。お嬢様はその間どちらに?」


「とりあえず自室の様子を見て、後は可能なだけ荷物を開けて整理をしておく。食事の用意が出来たら、まぁある程度声を上げてくれれば聞こえるはずだから呼んでくれ」

「かしこまりました」

 メイは甲斐甲斐しく礼をすると、キッチンの方へ。


 残ったイレーナは、とりあえず適当な荷物を自室へと運んだ。


 イレーナ用に宛がわれた部屋には、既にベッドや机、クローゼットなどの大型の家具が運び込まれていた。

『事前に運び込まれていたのは、ありがたいな。重い家具などは私とメイだけで運び込むのは無理だからなぁ』

 などと考えつつ、彼女は部屋の中を見回す。


『さて、食事ができるまでに可能な限り片付けないとな』

 イレーナは気持ちを切り替えると手早く荷物を取り出し、着替えなどはクローゼットへ。事前に受け取ってあった学園で使う教本やカバンなどはテーブルの引き出し等へ。そして更に箱を開けた時だった。


「ん?」

 小物やなんかを入れていた箱の中に、身に覚えのない布に包まれた『何か』があった。

「なんだこれは?」

 少なくとも、イレーナの物ではなかった。こんなものを入れた覚えは、彼女には無かったからだ。『誰かが何かを間違って入れたのか?』、とイレーナは訝しんだ。


 訝しみながらも、彼女がそれを取り出そうと手に持った時。

「ッ」

 彼女は『それ』の重さに息を飲んだ。その重さを、彼女は知っていたからだ。

『これは、武器の重さ、剣の重さだっ。という事は、これは剣、なのか?』


 重さから、それが剣である可能性を考えた彼女は、少し警戒するような表情のまま、ゆっくりと布を外した。


「ッ、これは……っ!」

 布の下から現れたのは、『剣』だった。イレーナの髪色に似た朱色一色の鞘に納められた剣。驚きながらも彼女はその剣の柄を持ち、僅かに引いた。


 鞘から現れた鏡のようにロウソクの火を反射し光り輝く刃。まごう事無き本物の剣、真剣だった。

「なぜこんなものが?」


 イレーナはこんな剣を持っていなかった。『それがなぜこの中にあったのだ?』、そんな疑問に困惑しつつも彼女は剣を鞘に戻した。その時。

「ん?」

 

 ふと剣を包んでいた布の中に手紙が挟まれていた事に彼女が気づいた。イレーナはその手紙を手に取り裏返し記名が無いか探す。

「ッ、これは……」


 そこにあったのは、『愛しの孫娘であり我が弟子へ』と書かれていた。それを見てイレーナはすぐに察した。

『私をこう呼ぶのはおじい様しかいないっ!という事はおじい様からの物かっ!』

 

 差出人が誰であるかを察した彼女はすぐさま手紙を開いた。


『イレーナ。まずはお前に黙ってその剣を荷物に忍ばせた事を謝ろう。すまない。だがお前の学園行きが決定した時、なぜイレーナが学園に行くのか理由を娘たちから聞いた時、お前に剣を贈ろうと決めていたのだ。本当なら私の手から直接渡したかったのだが、生憎今は忙しく、代わりと言っては何だが、こんな形を取らせてもらった。驚いてくれていれば、幸いだ』

「ははっ、まったくおじい様は」

 イレーナは、やれやれと言わんばかりに息をつきながらも、嬉しそうに笑みを浮かべていた。


『お前は自らの伴侶を探すため。更に自らの剣の腕を鍛えるために学園へ行くのだと話は聞いている。ならばこそその剣を、お前の相棒としてやってほしい。友人の刀鍛冶に頼み作り上げてもらった1本の業物だ。きっとお前の力になってくれるだろう。入学おめでとう、イレーナ。お前に良い出会いが在る事を祈っているよ』


「おじい様、ありがとうございます」

 お礼の言葉と共に、イレーナは笑みを浮かべていた。


 彼女は手紙をしまうと、もう一度剣を手に取り、片手で鞘を抑え、片手で柄を握り、剣を抜き放った。鏡のように美しい刀身が窓から差し込む月明かりを受けて光り輝く。


 『おじい様からの入学祝だ』、そう考えた彼女の口元が自然と緩む。しばし剣を眺めた後、イレーナはそれを鞘に納め一つ息をつく。


 そして、窓から見える夜の王都の景色を静かに見つめる。

『今日という日から、私の王都での生活が始まるのだな』


 まだ入学式前、しかしイレーナとメイの王都での生活が、今日という日から始まった。


     第2話 END

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