3 対話
満月の下──
ビルが両側に建ち並ぶ通りで、向かい合うエマとエドワード。
ようやく結婚相手に会えたというのにエマの胸には、ときめきや喜びなどといった感情はなく、怒りばかりがメラメラと込み上げてきた。
「私はエマ・プラント。結婚してからエマ・オーウェンという名前に変わった、あなたの、つ、妻だけど、私の名前を覚えてる!?」
驚きに見開かれた碧眼は、それを聞いて思案するかのようにエマを注視した。
「覚えてるに決まってるだろ」
当然といった様子だけど、この三つ年上の夫が何を考えているのか、エマにはまるで理解できなかった。
初めて妻に会ったのに、しかもこんな状況下なのに、動揺しているわけでも焦っているようでもなく、なんだか自分が不利にならないよう冷静に観察でもしているかのようだ。
「そっか、良かった。それじゃ妻として一言、言わせて──離婚しよう」
急な発言にエドワードは驚愕する事もなく、じっとエマの新緑色の瞳を見つめたままだ。
「何故だ?」
「何故って!? 結婚して五年も経ってるのに私には一度も会いに来てくれない、なのに他の人とは二人きりで会ってる! しかも、泣かせてたあの人以外とも会ってるみたいだね! それにデビュタントボールだって、私を断って別の人をエスコートしたがるし……こんな不誠実で最低な夫だって知ってからも、夫婦でい続けるなんて無理だよ、耐えられないっ」
エマが話している間、後ろめたそうな顔もせず聞いていたエドワードは何なのだろう。相当神経が図太いのだろうか。
「言いたい事はわかった。けどな、どう言われようと離婚はしない」
迷いのない表情で断言され、エマは困惑する。
「なんで!?」
「俺にする気がないからだ。それに色々と誤解しすぎだ。先程の彼女なら、単なる知人だぞ。生真面目なブランチ子爵の令嬢であるはずの彼女が、無礼な男に酔わされ、拒絶していながら宿屋に連れ込まれそうになっていたから見かねて止めに入っただけだ」
そうは言っても、あの場にそれらしき男なんていなかったはずだ。
「本当? 宿屋の前には、あなた達しかいなかったよ」
「追い払った後だからな」
「それが本当なら、どうして『もてあそばないで』って言ってたの?」
「ああ……実はネージュ嬢を助けたのは、これで三度目になる。偶然が重なっただけだが彼女はそう思わず、俺が未婚ではなく既婚だと後から知って、思い悩んでしまったようだ」
「結婚してるって、なんで言ってくれなかったの?」
ジト目になるエマから視線を逸らさず、あっさりと答えた。
「ネージュ嬢も知ってると思ってたんだ。社交界でも隠してなどいないからな」
それらが真実なのか嘘なのか、会ったばかりでは判断できない。しかし外見はどう見ても、派手に遊んでそうな美青年だ。
「今すぐには難しいかもしれないが信じてほしい、俺は決して彼女も他の誰も、もてあそんでなどいない。エマに会いに行かなかったのも事情があるんだ」
強い意思の宿るサファイアみたいな瞳に見つめられ、エマも真っ直ぐに見つめ返した。
「事情?」
「ああ、今はまだ教えられないが、時期が来たら必ず教える」
「それは、いつになるの?」
「もうすぐだ」
そう言ってエドワードが、ブーツの爪先を後方へと向けた。
「とりあえず、場所を変えるぞ。俺の家まで案内するから、迷子になるなよ。それと、今度は俺の質問に答えてもらう」
遠くにそびえる時計台の針が、十時を指し示す。
いまだに人が行き交っている通りを二人は歩き出した。
180cmのエドワードと156cmのエマの間に距離が開きかけると、それに気づいたエドワードが歩行速度を落とし、隣に並んだ。
「ここまで一人で来たのか?」
「うん、グラントからフォレスへ帰るおじさんの荷馬車に乗せてもらったんだ」
「荷馬車?」
まじまじとエマを見て、エドワードが堪らずといった様子で笑みを零した。
「貴族が箱馬車じゃなく、荷馬車に乗ってきたなんてな」
「そんなに面白い?」
「ああ……そうまでして俺に会いに?」
甘美に微笑みかけられ、エマは何となくそわそわして、目線を逸らした。
「エスコートを断った理由を聞いて、直接確かめにきたんだよ」
「それについては俺の方が聞きたい。一体誰が、そんな話を進めているんだ」
「エドワードじゃないの? だって手紙を送ってきたでしょ?」
「いや、送ってない」
「ええ!?」
混乱しながら、エマは思い返してみる。
オーウェン家から返事が届いたとベロニカに教えられた。けれど、封筒すら目にしていない。
しかし母も父も、そんな嘘などつかないはずだ。となると、エドワードが嘘をついているのだろうか?
「手紙の件は俺が解決しておく。だから──」
「ちょっと待って、私も一緒に解決したい」
「エマは、社交界に初めて参加する日のために準備が必要だろ。というか、踊れるのか?」
「うっ……」
胸を張って答えられずにいたらエドワードが、ふと目を細めた。
「楽しみだな、デビュタントボールでエマと踊るのが」
「えっ、それじゃあエドワードが……エスコートしてくれるの?」
「当たり前だろ」
断言するエドワードの曇りもなく鮮やかな瞳を、エマは迷いながらも見つめた。
「だから、もう何も心配するな」
(……信じていいの?)
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