2 最悪な出会い

 エントランスホールは絶えず使用人が見張っている。

 それ以外の出入口も同様だ。ならばとエマは、窓から緑溢れる裏庭へと出た。

 そして屋敷を取り囲んでいる強固な鉄柵を見上げた。絶対に突破してやると心に決め、物置小屋のドアをヘアピンで苦戦しつつも解錠する。

「やったー!」

 不在に気づいた誰かが駆けつけないうちにはしごを持ち出し、急いで鉄柵を飛び越える。



 その足で中心街まで向かうと、多くの商業施設が軒を連ねる大通りに行き着いた。

 そこではたくさんの人が露店の店主におすすめを聞いたり、山積みのカラフルな果物を手に取ったりしていて、活気に溢れていた。

 早速エマも、野菜を売りさばく快活な店主に尋ねようと近づく。

 ここ、グラントより西に位置する隣町フォレスで夫が暮らしている事は知っているが、詳しい道順を知らないため聞かずには目的地へ進めない。


「フォレス伯爵の家まで行く方法を知ってたら教えてほしいの」

「この忙しい時に何を聞くかと思えば! うちの野菜を買う気がないなら退いた退いたっ」

 色とりどりの野菜を見回すお客に熱心に接客し始める店主を諦め、近くを通りかかった三十代らしき女性に尋ねる。

 そうして返ってきた答えは、知らないという簡潔なものだった。


 ──その後も道行く人に尋ね続けていたら、四十代くらいの無愛想な男性が知っていると答え、髭の伸びた顎を後方へとしゃくってみせた。

「フォレスへ行きたいなら連れてってやるよ、ついてこい」

「本当!? 助かるよ、おじさん、ありがとう!」


 感謝しついていった道の先には荷馬車が停まっており、木製の荷台には農作物──主に藁が積みこまれている。

 そのためどこにも座れるスペースはなかったが、無愛想なおじさんは、早く乗れとばかりにしゃくってくる。

「運賃は三万ルドーでいいぜ」

 エマがポシェットから金貨を取り出し手渡すと、おじさんがギョッと目を剥いた。

「まさかお前、貴族か? ……いや、そんなはずないか」

「貴族だよ?」

「へっ、笑えないぜ、貴族の娘がお供もつけずに遊び歩くわけないだろうが。軽口叩いてないでさっさと乗れ」

 どんな身分に思われてもさほど頓着なく荷台に乗り込めば、のんびりしていた馬が走り出し、心地よい風と共に景色が流れていった。


「おじさんはフォレスへ何しに行くの?」

「家があるから帰るんだよ」

「おお、住んでるの? 住んでるおじさんから見たらフォレスってどんな所? 暮らしやすい? ここから近い? 伯爵の家まであとどれくらい?」

 つい質問攻めにしてしまうと、おじさんが御者台からうるさそうに振り返った。


「観光のつもりかなんなのか知らないが、領主の家に行った所で長剣を構える門番に追い返されるだけだぜ。それにあそこの跡取りは女泣かせって話だからな、気軽に近づくつもりならやめておけ」

「女泣かせ!?」

「結婚してるのに嫁さんの話は一切聞こえてこないしな、きっと無関心同士、好き放題してるんだろ」

「誤解だよっ、私は無関心じゃないし夫だって、たぶん……」

「なんだ? お前が領主の跡取りの嫁さんだってのか? それは軽口にしても笑えなさすぎるぜ」

「軽口じゃないのにっ」




 グラントの中心街から遠く離れ、のどかな草原や豊かな麦畑が、遥か地平線まで広がっていく。

 どこを見渡しても民家や外灯が見当たらない。陽が落ちれば真っ暗闇になってしまいそうだったが、夜空に満月が現れたおかげで地上は明るく照らされた。

 月とランタンの灯りを頼りに進み続けるうち、建造物が増えてきて、随分遠くの方まで建物が密集している区域が見えてきた。

 そちらへと架かるアーチ橋まで来た所で、不意に蹄の音が止まる。


「到着したんだからとっとと降りろ」

「ここがフォレス?」

 石畳の道に沿って華やかな七階建てのビルが建ち並び、多くの窓はもう夜中だというのに光が灯っている。

 一階にあるレストランのテラスで、和気あいあい食事を楽しんでいる人達がいれば、店頭のショーウィンドウをおしゃべりしながら覗いている人達もいて、どの通りもとてもにぎわっていた。

 そんな中心街に立ち寄らず家族が待っている自宅へ向かうおじさんと別れて、エマはあちこち見回しながら歩を進める。

 とにかく地図を入手しようと探し歩いているうちに、カップルしかいない通りに迷いこむ。けれどエマは気づかず、地図を探し続けた。


「悪魔!」

 涙混じりの大声に驚き、前方を見れば宿屋の看板が吊るされている軒先で男女が何やら言い争っていた。

 どちらも上質な生地でサイズもぴったり仕立て上げられたドレスとフロックコートを身に付けており、貴族らしき雰囲気が漂っている。

 男性は後ろ姿しか見えないが、その引き締まった背中越しに見える女性は、清純で可愛らしい顔貌を今は涙で濡らしていた。


「やめて、もう、もてあそばないでっ」

「俺がいつ君をもてあそんだって言うんだ? 君が一人で勝手に舞い上がっていただけだろ」

 凛とした声の持ち主に女性が思い切り平手打ちを喰らわせる。

 こちらまで痛くなりそうな激しい音にエマは仰天し、硬直すると──


「この前見かけた時とは違う女だよ」

「本当。フォレス伯爵の跡取りって随分遊んでるのね」

 通りすぎていくカップルの潜められた話し声が耳に入ってきて、エマは強い衝撃を受ける。

(まさか……)

 立ち去る女性を追わずフロックコートを翻す男性の見事な金髪が、月明かりを浴びて一層輝く。その顔立ちは目が覚めるほど華やかで、力強く鮮やかなサファイアのような瞳は少しでも油断すると魅入られそうだった。

「あなたがエドワード・オーウェンなの!?」

 対面するエマを映す青い目が見開かれた。

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