第40話 揺るがない

 あまりにも紀恵がそのままであったので、それが麗玖紗の気付け薬のような役目を果たしたのだろう。周囲から槍のような視線を浴びていることに麗玖紗は気付いた。


 周囲の女性客が協定破り――紀恵達は批准していないのに――を非難しているのだ。

 抜け駆けしてイケメンに声をかけたように思われたに違いない。


 互いが牽制し合って、生じた空白。

 そこに紀恵の声がするりと入り込んだような形だ。


 紀恵にしてみれば手すきの店員に声をかけた事になるので、一般的には何ら非難されるようなことはしていない。


 イケメン店員もそれを弁えているはず……なのだが。


「すいません。そのジェノベーゼの冷製麺はまだやってないんです。季節限定なので……」


 そんな紀恵の注文に、イケメンは申し訳なさそうに応じる。


 確かに丁寧な応対だ。

 だがしかし、この時麗玖紗は感じた。


 イケメンの対応がほんの少しだが「慇懃無礼」とも言えるような、過剰さがあったことを。

 そして。眼光にわずかながら嘲りの冷たさがあったことを。


「あれ? ああ、本当だ。ちゃんと書いてある……」


 紀恵はすぐに自分の間違いを受け入れた。

 そうなると麗玖紗がイケメンからわずかに感じた嘲りは、そんなミスをした紀恵を見下したことが原因か。


 あるいは、そんな見え見えの嘘をついてまでイケメンに絡もうとするさもしさを、鬱陶しく思っただけなのか。


「すいません、すぐ他のメニュー選びますから。ちなみにジェノベーゼの奴ってシソ使ってます?」


 麗玖紗にとっては緊迫する一方の空気であるが、紀恵は全く気付かない。

 そして、この店員が問題のイケメンだとはまるで気付いてないようだ。


 重ねて質問するあたりはイケメンに絡みたいという欲求があるようにも見えるのだが、その視線は完全にメニューに落ちている。


 麗玖紗にとっては思わず「おいおい、本気マジか……」と胸の中で呟く程の異常事態に思えたが、紀恵は全く気にとめない。


 そういった驚きはイケメン店員からも伝わってくる。

 麗玖紗は、そんなイケメンの変化に思わず苦笑浮かべた。


「あ、えっと、ちょっと僕にはわからないので店長に聞いてみます」

「お手間かけます」


 そしてイケメンは頭を下げて、二人が座るテーブル席から離れていった。

 当然と言うべきなのか、紀恵はやっぱり視線を上げない。じっとメニューを見つめ続けていた。


「……ようし。このトマト風味のラーメンにしよう」


 ようやくのことでメニューを決めたらしい紀恵が顔を上げる。

 その時にはさすがに、紀恵も周囲の視線に気付いたわけだが、


「え? これも季節限定だった?」


 と、見当外れの心配をする。

 そんな紀恵を見つめる麗玖紗の視線には驚愕、そして尊敬に似た潤いがあった。


「……アンタ……すげぇな」


 思わず、ため息をつくように漏らす麗玖紗。

 もちろんそんな反応は紀恵を焦らせるだけだ。


「な、何が? ジェノベーゼは盛本くんが気にしてたから、よく確認しないで注文しただけで……それじゃ全然凄くはないでしょ?」


 どうしてもピントがずれ続ける紀恵に店内の空気が変化していった。

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