第14話 空騒ぎ

「はい! 西山紀恵です。西の山のノリの絵です!」


 完全に力の入れどころを間違えた、紀恵の自己紹介。

 今更、とも言い切れない微妙な関係性の二人ではあるので、全くの見当外れでないところが質が悪いところだ。


 なんと言っても紀恵は麻美のファンであるので、わざわざ自分を待ってくれていて、声までかけてくれたことに浮き上がってしまっている。

 変態の理解度の高さが、裏目に出たようなものだ。


 それに加えて、紀恵には「自分はモブでありたい」という願望がある。何しろ妄想の中に自分を混ぜることが無い紀恵だ。


 妄想の中心となる麻美のそばに、自分がいる状況は何としても避けたいところなのだ。だから距離を取るような言葉遣いを選択してしまう。

 一応、紀恵の中ではそういう理由になっている。


 ……結果として紀恵の望みの距離感になるだろうから、この場合は結果オーライと受け取るべきなのだろう。


 だが。


「どうしたの? クラスメイトでしょ? そんな言葉遣いおっかしい」


 麻美から距離を詰めてこられると、そんな作戦は全くの無意味になる。

 それに紀恵がおかしいのは妙な敬語だけの話ではないのだ。


 予鈴が鳴り響く寸前で、人の様子に構ってられない時間帯でなければ、ギョッとなって立ち止まる――紀恵はそれぐらいおかしな自己紹介をしたはずなのだ。


「わかるよ。ちょっと浮かれちゃうのは」


 しかし麻美は、紀恵を覗き込むようにしてクスクスと笑い続ける。

 普通の人間であるなら、ここで麻美を訝しげに思って然るべき。


 だが紀恵である。

 この時、紀恵は小悪魔のような笑みを浮かべる麻美に見蕩れるばかりで、まともな思考回路を投げ捨ててしまっていた。


 だが、何が幸いするのかわからないものである。

 紀恵の様子がおかしすぎるので、麻美の方が訝しげな表情を浮かべてしまったのだからだ。


 そして紀恵は「こういう表情も良いなぁ」などと、まったく話を先に進めようとはしない。遅刻寸前だというのに。

 だが、こうなっては麻美から切り出すしかなくなってしまう。どこかイライラしたように、麻美は紀恵に確認した。


「私、見たんだよ? 西山さん『森飯店』に行ったでしょ? 土曜に」


 「森飯店」という店名すら手放しそうになっていた紀恵であったが、麻美から尋ねられたことで「しっかり答えなければ」という義務感が発生した。

 それによって、何とか紀恵の脳が仕事を始めたようだ。


 紀恵は小首を傾げながら、何とか麻美に返事をする。


「えっと……あのラーメン屋のことか。うん、行ったよ」

「ね、どう思った!?」


 間髪入れずに、麻美から追加の質問。

 

「そうね……良かったわね。何というか爽やかで」


 「醤油そば」は確かに美味しかったが担々麺の普通さが引っかかる。しかし、別に美味しくなかったわけでは無い。

 それなら、澄んだスープの「醤油そば」を褒めた方がいいのだろう、と紀恵は瞬時に判断した。


 何より麻美の笑顔を守るために。

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