第9話 破壊者と呼ばれた少年

 一方、逃げ延びたカルシムとケオシは隣のビルへと避難していた。

 エレベーターも使わずに二人がどうやってビルを移ったのかというと、ノヴァク達が用意したルートのお陰だった。

 カルシム達を救う為に、馬鹿正直にビルの下から追いかけても先に気付かれれば終わりだ。その為、隣のビルとの間隔を確認し両ビルの窓を破壊し、そこから隣のビルへ飛び込んだのだ。体の大きなオーク族でも隣のビルに飛び降りるぐらいの身体能力は持ち合わせている。

 人間達がゆっくりと移動していたことも幸いして、例の奇襲作戦は成功したのだった。


 「これから、どうするんだ……」


 腰に提げていた水筒を取り外して水を流し込むカルシムにケオシは訊ねた。


 「人間はもっと大勢居るんだ。このまま続けても死んじまうのはこっちだ」


 「隠れてやり過ごすてことか」


 ケオシの言葉にカルシムは手にした木製の水筒を握り潰した。


 「もう逃げねえ。だが、俺達じゃ勝てないことも思い知らされた。……だから今度はノヴァクさん達が来るのを待ってから標的を狙う。それでいいか」


 カルシムの発言にケオシは瞬きを二、三度した後に平静を取り戻して頷いた。


 「そうだな、俺にもオーク族の誇りがある。賛成だ、きっとそれが一番生存率が高い」


 ここで勇み足で外に出たり、ノヴァクの加勢をしようとしない慎重な性格のケオシに感謝した。いや、単に臆病なだけかもしれないとカルシムは考えたが、同じく暴走する勇気は残っていなかったのも事実だ。


 「そんじゃまあ、どこかで身を隠して――」


 退避する場所を探すために、窓に背中を預けていたケオシが歩き出す。そして、その背後の窓の外には――人間の少年がこちらを覗き込んでいた。


 「――ケオシ!」


 名前を呼んだが、全て遅かった。

 ケオシの背後が眩い閃光に包まれると、一瞬にしてカルシムの視界全てが覆われた。異常を察知するというよりも、強い力に押されてこちらへと向かって来るケオシから逃げるようにしてカルシムは横へ飛んだ。

 ただし閃光と呼ぶにはあまりにも長く強すぎる光に照らされ続けたカルシムの耳にはケオシの絶叫がずっと聞こえていた。

 子供の頃から付き合いの長いケオシを助けに行きたい気持ちはもちろんあったが、今のカルシムは恐怖でその場に顔を伏せたままで身動きができなくなっていた。


 耳を塞ぎたくなるようなケオシの声が聞こえなくなると光も元のこの世界の日中の明るさを取り戻していた。


 「ううぅ……」


 火傷を負ったことでカルシムは呻いた。

 肩から背中、足に掛けて光を浴びたところは火傷していた。まるで焚火の中に体を放り込まれたようだとカルシムは思った。

 待て、今はそれよりケオシだ。

 痛む体に耐えながら、友人を探す。

 ずっと叫び声が聞こえていたので居場所は把握していた。だが、問題はその状態である。


 「そんな」


 壁にめり込んだ背中はケオシそのものだが、背中の肉は焼け焦げ、強烈な熱風を受けたこで四肢はすぐにでも崩れ落ちそうになっていた。

 体を引きずるようなゆっくりとした歩行をしつつカルシムは呼びかけた。


 「ケオシ……。おい、俺の声が聞こえるか」


 ようやくケオシの元まで辿り着いたカルシムは辛うじて息をしていることに気付いた。

 まだ血が通っていることにこんな状態になってまで生かされているのかという絶望と死なずに済んで良かったという安堵を同時に覚えた。


 「――なあ、お前らがモンスターか」


 声がして振り返ると、崩壊した壁の瓦礫の上に学生服姿の少年が立っていた。しかし、カルシムは少年の言語が一切理解できなかった。年齢は十五、六歳、黒い短髪に茶色の瞳、程よく日に焼けた肌はとても健康的な印象を他者に与えた。

 謎が多い状況ではあるものの、カルシムはその少年の正体を知っていた。


 「分かるぞ、俺はお前を知っている……。お前は、”カンバヤシハルト”」


 カンバヤシハルト、という言葉を聞いた少年は眉をひそめた。


 「俺の名前を知っているらしいな。どうやら、お前達の存在が、あの人から聞いたいつか俺が戦うべき運命だったんだな」


 この世界の兵隊達からは感じられなかった魔力をカンバヤシハルトからカルシムは感じた。

 紛れもない、コイツが破壊者だ。

 先ほどの魔法がカンバヤシハルトが発動したものだとしたら、手負いのカルシムがどれだけ足掻いても勝てないことは目に見えていた。

 それならここが命の使いどころというものではないのだろうか、思考する時間も僅かなままで思い至ったのは、先ほどのノヴァクの戦士としての風格を目にしたからかもしれない。


 「お前を殺すことは俺にはできないだろうが、手足ぐらいは奪ってみせる」


 腰に手を回して引き抜いたのは斧だ。

 伐採する為に普段手にしていた斧よりもずっと鋭利で凶悪な刃の形状をしていた。

 自滅覚悟なら一矢報いることぐらいは可能かもしれない、淡い期待にも似た気持ちでカルシムは地面を蹴った。


 手負いとはいえ、戦闘能力の高いオーク族の中でも戦士と呼ばれるほどの男だった。

 研ぎ澄まされた集中力で、生涯ここまで見事な一振りを放った覚えがない完ぺきな一撃だった。

 刃がカンバヤシハルトに届く――。


 「――まさか、そんな物で僕を殺そうとしているのか」


 心の底から不憫そうにカンバヤシハルトは言った。

 直後、カルシムの斧はおろか指先から腕の付け根の辺りに小規模な爆発が起こった。

 悲鳴を発する間もなく、カンバヤシハルトは崩れ落ちるカルシムの頭に触れた。

 カルシムの頭上からクラッカーの音のようにポンッと軽い音が響いた。その直後、カルシムの胸から上は跡形もなく消え去り、血潮が下腹部にかけて高温を浴びた氷のように血肉がどろりと溶解していた。


 「酷い臭いだ」


 手に付着した肉体の一部をズボンで拭ったカンバヤシハルトは、ノヴァク達の居るビルへ向けて一歩踏み出した。

 

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