第10話 ターゲット開戦

 少年とカルシム達の戦闘時に発生した爆音はノヴァク達まで届いていた。


 「今の音は何だ。こちらを不安にさせる、火の魔術を壁にぶつけたような不吉な音だな」


 焦りが声に出ているトルカの言う通り、確かに火の魔術が岩を砕いたような強い爆音だとノヴァクは思った。

 またこの世界の武器だろうかとノヴァクは内心気が滅入る思いだった。。


 「おい、見ろ」


 ザガドの指差した先、それはノヴァク達が侵入経路に使用したビル。現在ノヴァク達が居る階層よりも少し上で煙が上がっていた。


 「まずい、あそこはカルシム達が居る。急ぐぞ――」


 「――待て、誰か出てくる」


 煙の間から姿を見た瞬間、その場に居た魔族達全員の脳裏に王から刷り込まれた記憶が蘇る。


 カンバヤシハルトだ。


 口にしなくても、全員同じことを、同じ名前を思い浮かべたことだろう。それが王に刻まれた魔術の作用だ。


 「ま、まずい! 奴がこっちの建物に来るぞっ」


 誰がそんなことを言ったか分からなかったが、空中の見えない地面を歩くようにしてこちらへと移動してきている。

 全員に動揺が広がり、ザガドならどうにかしてくれるかもしれないとそんな淡い希望を抱きつつ視線はリザードマン族の戦士長に集中した。


 「おい、下にあの兵士達は居るか!」


 仲間のリザードマン族がザガドの声に反応して、窓の外から下を確認すると、「いません!」と叫んだ。


 「それなら、ここから出て行くことにしよう。訳の分からん相手を前にして、こんな狭い場所は危険だ。それに、アレは火の魔術の類だろ。密集していれば、一発でこんがり焼かれちまうぞ」


 言い終わるのが早いか、それとも同時だったかザガドは階段を下りる。

 この状況で仲間達の命を預かり判断を下せる心強い背中を追いかけるように、ノヴァクやトルカ、他のリザードマン族も続いた。


 「ザガドさん! 俺、復讐したいよ! 弟の仇を討ちたいんだ!」


 泣きつくような声でラアダが言うが、しっかりとザガドの後ろに続いているのは彼を信頼しているからこそなのだ。だが、平静さを取り戻す前に活動を再開したことで、気持ちの整理がままならないのも事実なのだろう。 


 「自滅することが仇を取るなんて言えるのか。グリオは、仲間と弟を生かす為に戦って死んだ。だったら、奴の分まで生きて戦え。それでも死にたいなら、きちんと死に場所を考えろ。お前のやろうとしていることは、お前を慕っていた弟に笑われちまうぐらい愚かな行為だ」


 包み込むようなザガドの言葉が嬉しかったのか、ラアダは静かに涙を流しながら走り続けた。

 先頭を進むザガドの名前をノヴァクは呼んだ。


 「ザガド、お前は強い男だ」


 「あぁ? こんな時に何だよ」


 逃げ出している最中に、自分でもあまりに呑気な発言をしていることにノヴァクも気付いていたが、彼を賞賛せずにはいられなかった。


 「勇者との大戦で大勢のオーク族を失った我らには、仲間達を導く戦士はいない。しかしお前は、あの大戦を経てなお模範的な戦士として存在している。どうしたら、そこまで立派な在り方ができるんだ」


 階段を下りつつ、しばらくザガドはそれに応じることはなかった。

 悩んだ末、ザガドは歯切れが悪そうに言った。


 「さあな、全てが終わったら話してやるよ」


 ビルの下はもうすぐだった。

 外に出れば戦いは避けられない、戦闘になれば死ぬかもしれない。

 死を覚悟した時に尊敬できる存在に初めて出会えた喜びから答えを知りたい気持ちになったノヴァクだったが、素っ気ないザガドの反応から今はその時ではないと反省した。


 「すまない、おかしなことを言った。……奴を倒した後に教えてもらうぞ」


 「だな、その意気でいくぞ」


 最初は身を隠しながら侵入したビルだったが、出る時は大きな足音を立てつつ飛び出した。





 ビルの外に出ると誰も居なくなった交差点の中央に少年が立っていた。――カンバヤシハルトだ。

 恐ろしいほど街は静かで、鳥の声すら聞こえない。どこか遠くで自動車が走行する音だけが微かに耳に届いた。

 無論、ノヴァク達は自動車が走る音というのも今いちピンと来ていなかったが、静寂に響く地面を高速で擦る音を不気味にしか感じられなかった。


 その場にいた全員がさほど驚く様子はなかった。

 隣のビルに空中を歩いてやってきていたカンバヤシハルトの姿を目にしていれば、先回りしてこれぐらいやるのも造作もないことだろうと思ったからだ。


 「そこら中、血まみれだ。お前達がやったんだろ」


 顎をしゃくり、周囲を見回すカンバヤシハルトが何か発言したが、ノヴァク達にはその言語は理解できない。ただ、かなり怒っている様子なのは分かった。


 「お前らがどれだけ残酷な連中なのかは聞いていたが、想像していた以上だな。こんな酷い光景あるか? ただ殺すだけじゃなく、人間の尊厳すら無視した。……命を命とも思わない悪魔の所業だよ」


 怒り、ひたすらこちらに真っすぐとぶつけられる憎悪の感情に身を強張らせる。

 明らかに強敵であることは間違いないのは、佇まいに加えて溢れ出す魔力から感じ取れる。

 獰猛な猛獣を相手にするような緊張感に、ノヴァク達は次の行動ができないでいた。


 「――勇者の資格を持つこの俺が、今からお前らを皆殺しにしてやるよ」


 最初は何かの聞き間違いかと思ったユウシャ、という言葉だけはっきりとノヴァク達にも理解できた。

 どういうことだ、現在相対している相手が勇者だと言っているのか。相手の発言をそのまま鵜呑みにするなら、目の前の少年の超常的な力も異常な魔力も理解できた。だが、どうして勇者であって王が勇者を殺そうとするのか。

 そんなことを考えている場合ではないというのに、生真面目な性格のノヴァクは答えの出ない疑問を前に次の行動ができずにいた。そして、あまりにユウシャという言葉は魔族達には強烈すぎる単語だった。


 「――う、うあああぁぁ――!」


 はっとしたリザードマン族の一人が飛び出した。

 水滴の一つで状態が変化してしまいそうなほど極限状態の中、”ユウシャ”という単語がリザードマン族のスイッチになった。

 積み重ねた緊張と恐怖の対象であるユウシャという単語を前に、ネガティブな心で埋め尽くされたリザードマン族は少年を排除することでこの場から逃げられると考えたのだ。


 完全に制止できるタイミングではなく、ザガドの声すら一拍遅れたことで届くのは困難だった。

 恐らくリザードマン族の戦士からすると、最速の一振りだったのだろう。気が動転しながらの攻撃だというのに、奇襲という意味では見事な攻撃だった。


 「消えろ」


 たったその一言だけが、咆哮を発したリザードマン族は全身から発火しつつ燃え尽きた。

 ほんの一瞬の出来事だった向かってきたリザードマン族の戦士にカンバヤシハルトが触れた途端に爆炎と共に木っ端微塵となった。

 漕げた臭いの中で降りしきる肉片よりも、相手に触れるだけで爆殺した存在に目を奪われていた。


 「今のが奴の魔術……!」


 「魔術なんて可愛いものじゃない、あれは――」


 トルカが悲鳴混じりに声を漏らす。

 魔術だろうが、これはそんな物と同じではない。

 魔術は今回の王が施したように、事前に道具や呪文を用意して初めて実現できる超常の技。しかし、目の前の少年は息を吸うように魔術を発動させて魔族を容易く殺した。

 それは紛れもなく、魔術を超えた力であり元の世界での勇者だけが許された超魔法だった。

 少年の正体に思う所がある。それを口にしてしまえば、訪れるのは絶望だ。


 「――勇者だ」


 慄きながらトルカが口にした。

 その瞬間、その場に居た者達の空気が酷く歪んだ。

 トルカは過呼吸のようにひぃひぃと呼吸を落ち着けることができず、ラアダともう一人のリザードマン族の戦士は目を剥いたまま硬直し、ザガドは何か糸口を探そうとしているのか目を泳がせている。それはノヴァクも同じようなもので、震える手で剣の柄を掴むことしかできなかった。


 他の人間達と同じような魔族を目にしての恐れはカンバヤシハルトからは一切ない。ただ害虫でも見つけた時のような、シンプルな嫌悪が感じられた。


 ――その目は、王の目と同じだった。


 あの時の肌が粟立つような恐ろしい感覚をノヴァクは思い出した。今の恐怖を上回るトラウマを思い出したことで、ノヴァクは少しだけ感情が冷静になっていた。

 今なら動ける、そう確信した。


 「ザガド! こいつは俺が引き受ける、仲間達と態勢を立て直せ!」


 はっとしたザガドは信じられないようなものを見る目でノヴァクを見返した。

 同じ種族だけ連れて逃げるというならまだしも、自分を犠牲にしてまで他者を、それも他種族を救おうとするというのは異常な行動だった。

 考えもしていなかった言葉にザガドは歯茎から血が出るほど歯を噛みしめると、その視線をカンバヤシハルトに向けた。


 「舐めんじゃねえぞ! ここで逃げたら、どうせ死ぬんだ! ここで奴を殺す! 誰かを逃がすとかじゃねえ、どっちが奴を討ちとれるかの戦いだ!」


 ザガドに魔族の未来を託したつもりのノヴァクだったが、同時にああこういう男だから命を捧げても良かったんだと嬉しい気持ちにもさせた。


 「何言ってんだよ、逃げろ二人とも! 相手は勇者ぐらい強いんだぞ!?」

 

 真剣にこちらを心配してトルカは叫ぶが、その顔はノヴァクも見たことがないほど青ざめ玉のような汗が浮かんでいた。


 「逃げたい奴は逃げろ! これから先は、俺が指示を出してどうにかなる状況じゃねえ! 戦って生きる希望に賭けるか、逃げて震えながら死ぬかのどちらかだ! 後はてめぇらで考えろ!」


 「何でそんなことが言えるんだよ……。ノヴァク、もうリザードマン野郎に付き合う必要なんてない! 一緒に逃げるぞ! 隠れて、帰還する機会を探すんだ!」


 助けを求めるようなトルカの眼差しにノヴァクは首を横に振った。


 「ここはそんな甘い場所じゃない。逃げられたとしてもあんな兵士達が居るなら、ここで戦った方がましだ。あの兵士は勇者でも何でもない、誰でも扱える武器を持ったただの人間の一人だ。……けれど、お前の選択も間違いじゃないと思う」


 「ノヴァクまだ、そんなことを言うのか……。くっ……馬鹿野郎が!」


 簡単には揺るぎそうもないザガドの言葉を前に顔を歪めたトルカは、全身を守っていた鎧をその場に投げ捨てるとその場から背を向けた。


 「好きにしろ! お前達も逃げないんだろ!?」


 残されたラアダとリザードマン族の一人は既にサーベルを抜いており、もうトルカの姿なんて眼中に入れない様子だった。

 大きく舌打ちをしたトルカは、その場から背を向けて駆け出した。


 「いいのか、お前が強く言えば奴はここに残ったんじゃないか」


 前方のカンバヤシハルトに注視しつつ、ザガドがノヴァクに問いかけた。


 「これでいい、あいつは元々戦うのが好きじゃないオーク族なんだ。これからは、俺達にだって平穏を慈しむ心が必要なんだ。ああいう奴が新しい魔族で必要になる、あいつはあの村で生きていかなければいけない存在だ」


 それ以上は、もうザガドは訊ねることはなかった。そして、目の前から少しずつ迫りつつある嵐のような存在を見据えた。


 「お前ら、行くぞ――」

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