第5話 魔族の本能

 下手な特撮でもアトラクションの類でもない明らかに質量を持った魔族の群れが人間達に向かって行った。

 現実に足音や羽音、不快なゲルが流れるような音を響かせ、何か異形の存在がここに実在し向かってきている。

 思考停止し動けなくなっている人間も居れば、素早く事態の危険性に気付き逃げ出す者も居る。

 逃げ出す人間の数が増えれば増えるほど、その場の緊張感は加速度的に増していった。


 まずは事態を上手く飲み込めない、もしくはただの野次馬であり自分は安全だと思い込んでいた人間達が標的にされた。


 女性や小柄な人間達にまず飛びついたのはゴブリン族だ。

 ゴブリン族はほぼ全ての種族から嫌われている。下品な性格も関係しているがゴブリン族は全ての種族を生殖行為を可能として性欲の対象にしているからだ。

 ここに居る魔族はもちろん、人間も例外ではない。いや(彼ら独自の嗅覚で)甘い香りのする人間達はなおさらゴブリン族には性的興奮の対象になっている。

 無論、人間達への暴力行為が禁止されていたからこそ人間に手を出すことはなかった。異性の魔族がゴブリン族に狙われることもあったが、さほど脅威には値しなかった。

 実のところゴブリン族一人一人の力はさほど強くはない。ある程度腕っぷしの強い人間の子供なら勝てるぐらいだ。


 「こ、来ないでっ!」


 女性の一人が手に持った丈夫そうなハンドバッグで近づくゴブリン族を殴打した。打ちどころが悪かったのか、態勢を崩したゴブリン族はそのまま昏睡した。

 勝利に顔を緩ませた女性だったが、ゴブリン族はその隙を逃がすことはない。

 魔法が使えない代わりに武器の扱いが得意なゴブリン族の一人が弓矢を構えて、女性の足を狙う。悲鳴を上げて倒れ込む女性を瞬く間にゴブリン達が囲むと服を剥ぎ――凌辱を始めた。


 「あ、あいつ!」


 「誰か助けるんだ!」


 正義感の強い人間の男が助けに向かおうとしたが、知性を感じさせない顔からは想像もできないようなチームワークで二匹ほどが弓矢を構え、女性を助けようとする人間達に向かって容赦なく矢を放ち続けた。

 襲う者、守る者、監視する者、ゴブリン族はここにきて狩猟本能を発揮していた。


 またスライム族も人間へと襲い掛かる。

 液体に変化し透明になると水が流れるように床を這い、逃げようとする人間達に巻き付き容易く首をへし折る。もしくは、口から体内に侵入し内側から肉体を食い破る。その際、体内に入った際は麻酔物質を人間の体内に放出し全ての感覚を奪ってから殺害するので、殺される側は死の間際まで何も感じないことが唯一の救いである。


 ハーピィ族は背を逃げ出す人間達の方向に向かって両翼を羽ばたかせた。目視できないスピードで、風の刃カマイタチが発生すると人間に迫った。


 「ぎゃぁ!」


 血飛沫を上げながら人間達はばたばたと倒れ込んでいく、背中や足には深い切り傷があり歩行は困難になっていた。


 「あー色とりどりの人間達! 最高ね! ちょっと! 先に爪で捕らえた奴は私のなんだから手出し無用よ!」


 嬉々としたハーピィ族達は、人間の背中に自分達の鉤爪で押さえつけて口を開いた。顔の大きさ以上に口は開き、顎は胸元まで広がっていた。大口を開けた口には牙が生えており、それが人間の体を食い破った。

 虫を捕食する昆虫のようなその食事風景はおぞましく、同族である魔族目線からしてもあまり気分の良い絵面でないことは確かだ。

 習性としてよほどの空腹でもない限りは、巣に持ち帰って食事をすることの多いハーピィ族が獲物を捕らえると同時に捕食するところを見るとよほど興奮状態か腹を空かせていたのかもしれない。もしくは、その両方だろう。


 数十年ぶりの目にする魔族らしい光景に、ノヴァクとトルカは身動きできずにいた。

 他の三人は我慢できずに、一定のスピードで人間達を追いかけて遊んでいる。若いオークにありがちな、苦しむ人間達に興奮を覚える行為だ。


 「お前達は行かないのか」


 悲鳴と泣き喚く声の中、冷静な声がしてノヴァクとトルカは振り返った。

 そこには周囲の様子を観察するように、じっと目を細めるリザードマン族達が居た。


 「これじゃただの餌場と変わらん。あまりに無防備すぎる気がするんだ。お前達こそ、本来なら争い事は好きな種族だろ」


 一番頑丈そうな鎧を着こんだリザードマン族の一人がまじまじとノヴァクの顔を覗き込んだ。大きく見開かれた爬虫類然としたその目の下には、何かとの戦いの形跡であろう傷跡が残っていた。

 薬草なり魔術の得意な魔族に頼めば治るような傷だが、あえてそれを残す事に意味を感じる戦士としての性質を感じさせた。


 「いい観察眼をしているな、お前は使えそうだ。だが後ろのもう一人は、どうしていいか分からずにそこに居るようだが……まあいい、枷の外れた馬鹿共よりマシだ」


 馬鹿にされたトルカが前に出ようとするが、ノヴァクはそれを制した。


 「お褒めの言葉ありがたく頂戴するよ、俺の名前はノヴァク。戦士長なんだろ? アンタの名前を教えくれ。他の奴はいい、お前が一番強そうだ」


 仕返しをするような返答に、リザードマン族の戦士長は目を丸くすると続いて大笑いをした。


 「ハハハハハッ! いいぞ、気に入った! 俺の名前はザガドだ。互いに強者同士、共に生き残ろうじゃないか」


 「互いに自称強者じゃないといいけどな。やっぱり、アンタ……いやザガドも、一筋縄ではいかないと考えているんだな」


 「ああ、馬鹿みたいな連中の集まりだと思っていたが、まさかここまで考えなしとはな。しかし、これはこれで好都合だ」


 「……奴らを陽動に使ったのか」


 「オーク族のくせに頭の回転早いじゃねえかよ。ますます気に入ったぜ」


 ――パァン。


 甲高い音が響き、その後、パパパパッと間隔の短い破裂音が響き渡った。

 耳にしたことのない甲高い音にトルカは異常に瞬きをした。


 「何の音だっ」


 動揺したトルカが走り出さないようにノヴァクはその肩に手を置いた。

 既にオーク族よりも先に感知したリザードマン族の五人は身を低くして臨戦態勢を取っていた。


 「どうやら連中は囮としては活躍してくれたようだぞ」


 そうらしいな、と呟いたザガドの視線の先には血だまりの中に沈む一匹のゴブリン族の姿があった。

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