第3話 終わる日常
反抗の意思があると誤解されるかもしれない、武器になりそうなものは全て隠そう。
そう提案した村長に異論を唱える者は居なかった。唯一、若い連中だけが不満そうだったが概ね納得していた。
例え武器を持っていたとしても、脅しにもならないし、逆にこちらの寿命を縮める可能性を高めるだけだ。これからやってくる災害に、前準備も無しで裸同然で立ち向かわなければいけないのだ。
自分達に出来ることは、無駄だと知りつつも村の女子供を家の中に隠すだけだった。
それから程なくしてやってきた王は年老いたとはいえ、過去の威厳を保ったまま、いやそれ以上の風格を全身からある種のオーラとして発していた。
大勢の護衛の兵士と数名の近衛騎士を連れ、口の周りは白い髭で覆われ、目じりの深い皺はさすがに年齢を感じさせたが、力強い眼光を放つ両目にただ者ではないことを若いオーク達も肌感覚で感じていた。
一見して感じる特徴だけではなく、肉体に施された呪いが無意識に反逆の意思を奪う。感じていた憎しみは、まるで神や架空の存在に対して向けるような、どうしようもない空虚な感覚にも陥る。
対面する王を前に、覆しようがない現実をオーク達は突きつけられていた。
王と近衛騎士達は馬に騎乗した状態に対して、オーク達は両膝を曲げて頭を垂れていた。オーク達の先頭には、老いたことで体が人間の成人男性程度の小ささに縮んでしまっている村長が、その身をさらに小さくさせていた。
「――お前がこの村の長か、顔を上げよ」
ははあ、と村長が震えながら顔を上げた。地面から王と目が合った瞬間に首が切られる想像でもしたのかもしれない。
王の近くに居た近衛騎士の一人が「汚ねぇ、顔だな」と村長の顔を見て嘲笑した。村で一番の長老をけなされても身体一つ動かないのは、呪いのせいだ。感情が殺されている、とノヴァクは密かに思った。
王に刻まれた傷跡により片目と片耳が潰れ、鼻と唇が変形しオーク達から見ても醜い顔だと呼べた。しかし、村長は生き残った責任を全うする為に、今日まで村の為に尽力してきたのだ。そんな村長の傷跡は勲章であり、馬鹿にされるものではない。
ここから王が喋るのかと思ったが、先ほど嘲笑した近衛騎士とは違う真面目そうな近衛騎士が馬から降りて説明をする態勢になった。
「オーク共、このように王が直接お前達の前にお姿をお見せし、ありがたいお言葉をくださることを心より感謝しろ」
高圧的な発言と共に近衛騎士の男は淡々と話し出す。
「現在、この国にとある危機が迫っている。その危機を取り除く為に、お前達の助力を王は求めているのだ。これは大変名誉なことである」
数名のオークがざわつくが、近衛騎士の咳払いを前に閉口する。
危機とは何か? その危機が自分達と何の関係がある? 何故、一番の強者である王自らが戦わないのか。
ノヴァクもそうやって質問を投げかけたかったが、返答と引き替えに命まで奪われそうだったので沈黙するしかなかった。
「この世界とは違う異世界を王が観測した。結果、その世界には将来的にこの国を脅かす破壊者の存在を確認したのだ。すぐさま排除に出向こうとしたが、あちら側の世界とこちら側の世界の人間の相性が悪いようで転移するこてはできなかった。なので、お前達に――異世界に行って、破壊者を殺してきてもらうことになった」
彼らからしても荒唐無稽な話を前にして、誰も声を発することはできなかった。
例えオーク達を笑いものにする為のほら話だとしても、王が事実だと言えばそれを全て信じるしかない。黒も白に代わり、善悪すら王のさじ加減一つで変化する。
王が死ねと言えば死ぬ世界で、泥水をすするように魔族は生きてきたのだ。
「不服に思う者は居ないようだな。我らも魔王ではない、いや失敬、これは諸君らには皮肉に当たるな。……もし無事に破壊者を殺した者には褒美として王が何でも願いを叶えてくれると約束をしよう。金も土地も、人間の地域で過ごす市民権だってやろう。何なら、人間の女でも幾人でも用意しよう」
オーク族の中でも人間の女は確かに人気だ。柔らかく魔族に比べるとずっと好い香りがする。ただし、この状況ではとても割に合わない報酬だった。
それに今さら土地だ何だと言われても、今では絶対的な強者となった人間達と共生できるような想像はできなかった。
※
その日の晩、集会所に村の成人したオーク達は集まった。
王は五人以上のオークを戦士として戦場に赴かせるように指示した。
異世界に転移するのは明日、指定された時間に村の中に作られた魔法陣の上に乗ることで異世界への転移が開始される。
魔法陣を阻害しない武具は自由に持ち込みできるが、それがどこまで通用するかは定かではない。それにオーク達が現在用意できる武器といえば、丈夫そうな魔物の皮で造った皮製の鎧と石を削って木の棒に括りつけただけの質素な装備だ。遠距離から魔法でも使われたら的にしかならない。
何よりも異世界はどのような世界かは謎だ。提案した人間達ですら誰も行ったことがない未開拓の危険な土地。それもそこには、世界を破壊するかもしれない強大な力を持った存在が住んでいる可能性もある。
それが王でも困難な怪物だとしたら、とても勝算があるようには思えなかった。
「長老。王は五人以上のオークを戦士として差し出せと言ってましたが、どうするおつもりですか」
無駄に時間が過ぎていくのを恐れたノヴァクから長老に話題を切り出した。
「……この村で力自慢の連中に行ってもらう。しかし、村から出すのは希望者が居なければ五人だけにする」
渋い顔で長老が言うと腰を上げた。
「王から、戦士達に渡すように魔石を預かっている。魔石を所持した者が例の魔法陣の中に入ることで、異世界へと転送される仕組みになっているそうじゃ。またこの魔石を持っていれば、破壊者を始末した際に王に伝わり、すぐにこちらの世界に戻してくれるそうだ」
長老の説明もオーク族からしてみたら、地獄へのガイドと一緒だった。この時点で、長老は近衛騎士の方から老いたお前は役立たずだと最初から除外されていた。
戦えるオーク族が少ない村だ、既にある程度決まっているようなものだ。そのため、周囲にあるのは半ば諦めの気配だった。
全員が息を殺して長老の次の言葉を待つ。
「カルシム、ケオシ、ズール、トルカ――」
一人一人の手の上に長老は魔石を置いた。
濃いビンク色の魔石は、強い魔力を感じさせた。普通に貰うだけなら、かなり高価な石であるのは確実だが、その明るい色は王の鋭い眼光を思い出させた。
呼ばれた連中は、親指の先程度の魔石を手に青ざめた表情をしていた。そして長老の目線は、最後の一人を捉えた。
「――ノヴァク。呼ばれた者達の中に、異論はないな」
数十年前までは魔族の命も人間の命も軽かった。それが今また死のバランスが一方に傾き、また軽くなろうとしていた。
沈黙の糸が途切れ、一番若いトルカとケンシが長老に詰め寄り、カルシムとズールは天井を仰いでいた。
窓から差し込むくすんだ月明かりすら、もう見納めのような気持ちでノヴァクは見上げた。
※
帰宅したノヴァクは妻ルキヤと義母ルンドに自分が異世界の破壊者討伐の戦士に選ばれたことを説明した。
最後までデトックの話を聞いたルキヤは夫の胸の飛び込み泣き崩れ、義母のルンドは自分が戦場に行くような悲哀に満ちた表情で二人の背中を撫でた。
「……また勇者は私達から大切な物を奪っていくのね」
ここで全てから背を向けて逃げ出せたらどれだけ楽なのだろうと考えるが、ここから逃げても王の命令に反したオークの家族を誰も助けてはくれないだろう。最悪、王から直接処断される。そうなれば、魔族を人間とも思えない男からどんな残酷な仕打ちを受けるか分からないのだ。
「すいません、俺に何かあれば家族のことをお願いします」
ルンドはルキヤの体を抱きながら諭すように言った。
「平気な顔しておかしなことは言わないでおくれ。昔、似たようなことを言って大勢のオーク達は勇者に殺されたんだ。もうあんなのは勘弁だよ」
泣かれる訳でもなく同情される訳でもない、ただ帰ってこいと言われる。
それだけでノヴァクの気持ちは少しだけ軽くなった。
「はい、気弱なことを言ってすいません。……武器と防具の手入れをしてきます」
「ああ、生きる為の行動をするんだ。一晩待ちな、武器の用意は私がしておくよ。……残念ながらあと一歩のところで勇者には通用しなかったけど、先祖代々受け継がれてきた最強の剣がある。もう抜く必要は無いと思っていたけど、王様の話だと相手は人間なんだろ」
はい、とノヴァクは頷いた。
オーク族の随一の武器職人だったルンドの瞳の奥が怪しく輝いた。
「――人間なら、何匹だって殺してみせるよ。人間様を家畜以下にこき下ろす為の唯一の希望と絶望の剣……カリブレイド」
「カリブレイド、どこか神秘的な名前ですね」
「ああ神も真っ青な神秘も神秘さ、王に殺され続けたあらゆる魔族の血と魔力の残滓を掻き集めて剣の素材にしたものさ。不思議と魔力は感じないし、何の変哲もない剣だけど、武器職人の私なら分かる……これは、きっと人間を殺したがっている武器だってね」
にんまりと笑うルンドの顔は、人間達を蹂躙していた時代のオーク族の表情だった。同時にそれは、牙を抜かれた今のオーク族には決して作ることのできない醜悪なオークらしい顔をしていた。
「お義母さんがそこまで言うなら、この戦いの役に立ちそうだ」
「ああ、アンタの運命を切り開いてくれるよ」
だけど、とぽつりとルンドは言葉を続けた。
「殺された側じゃなく所有者の憎しみを沢山吸収している刀だ。……力に飲み込まれるんじゃないよ。特にアンタみたいな素直な奴はね」
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