第2話 ガード下の死体

 とりあえず、署の近くまで戻らないと、タクシーも捕まらない、今日はいつもの大きな駅の近くというわけでもなく、時間的にもH電車の方も電車の本数は終電に近いこともあって、ほとんどないことは予想される。それを思うと、タクシーもやむなしと思っていた二人だった。

 そう思いながら店を出てから数分歩いたところに、H電車のガード下があった。

 前述のように、車が何とか離合できるほどの狭い場所であり、人通りもラッシュ時間であっても、ほとんどいないと言われている閑散とした場所に二人が差し掛かろうとした時のことだった。

「何やら、パトランプが見えるようですね」

 と最初に異変を口にしたのは辰巳刑事であったが、先を歩いている清水警部補が気付いていないはずもなく、やはり警部補の視線は、そのパトランプが映っている影のようなところを凝視しているようだった。

 その部分は、ちょうどカーブになっているところで、真っ暗な中に、赤みを帯びた暗い光が、一定の時間ごとに、闇の中に浮かび上がっているかのようだった。それが救急車の点灯なのか、それとも、文字通りのパトカーによるものなのか分からなかったが、静寂にしかも、真っ暗な中に浮かび上がって見えるのは、いくらいつも見ているものだとはいえ、一度緩めた緊張感の中で感じるものがどれほど不気味であるか、辰巳刑事は身に染みて感じていた。

 普段なら、これくらいの切り替えは、すぐにできるのだろうか、まださっきの店でのほっこりとしたイメージが残っているのか、何があったのか分からないことで、どうしても他人事にしか見えなかった辰巳刑事だった。

 だが、清水警部補はさすがにそのあたりの切り替えは早く、今までほろ酔い気分の千鳥足だったものが、我に返ることで、酔いも覚めたのたのではないかと思うほどにキリッとした状態で、パトランプの光っている方位向かって、磯子足になっていた。

 角を曲がってその場所を見ると、ひとりの刑事と、警官が今まさに現場検証を行おうとしているところだった。そこに座り込んで、状況を確認しているのは、部下である山崎刑事だった。

 山崎刑事も、こちらを見ている清水警部補と辰巳刑事に気が付いて、

「ああ、これはご苦労様です」

 と言って、敬礼をしたが、二人がすでにその日の業務を終えて、帰宅したのは分かっていた。

「どうしたんだい?」

 と清水警部補が聞くと、

「はい、こちらで一人の男が刺されているという通報を受けて、今こちらに来たところです。状況によっては、お二人にもお知らせしようかと思っていたところだったんですが、ちょうど見えられたので……」

 と言って、二人に現場へと案内した。

 まだ、死体はその場所にあり、断末魔の表情から、すでに死後数時間は経っているのではないかと思えた。

「何分、真っ暗な場所でもあり、車の往来が少しあるくらいで、なかなか人通りは期待できない場所ですので、このように端の方に死体が放置されていると、気付く人も稀なのかも知れません」

 と山崎刑事は言った。

「それで、やはり殺人事件ということなのかい?」

「ええ、そういうことになりますね」

 と山崎刑事は答えた。

「ところで、発見当時はどういうことだったんだい?」

 という辰巳刑事の質問で、

「発見されたのは、今から一時間くらい前でしょうか? 第一発見者の人から一一〇番通報があり、私たちが駆け付けたのが、二十分くらい前になります。通報の内容は、人が刺されているということでした。急いでここにやってきますと、なるほど、胸を刺されてすでに絶命した死体があったというわけです」

 と山崎刑事は答えた。

「ところで、検屍の方はどうなっているんですか?」

「今、鑑識さんに確認してもらっています」

 と言って、白衣を着た鑑識の人がこちらにやってきて。

「死因は刺殺で間違いないようですね。たぶん、ナイフのようなものではないかと思われます。それも殺傷能力の高いものなので、たぶん、殺傷用のものではないかと思われます。そういう意味では、犯行は女性にも可能かと思われますね」

「死亡推定時刻はどれくらいですか?」

「死後、六時間近くは経っているのではないかと思いますね:

「ということは、午後四時から、五時くらいの間ということになるのかな?」

「はい、詳しい解剖を待たなけれなハッキリとは言えませんが、大体そのあたりになろうかと思われますね」

 と聞いて、清水警部補は、少し頭を傾げながら、

「犯行に使われた凶器は?」

 と訊ねられて、

「それがですね。見当たらないんですよ」

 と山崎刑事が答えた。

「ということは、被害者に刺さったままではなかったということだね?」

「ええ、そういうことになります」

「じゃあ、犯行現場は別の場所だと思って間違いないのかな?」

「ええ、争った跡もなければ、ナイフを抜き取ったにしては、血の痕があまりにも少なすぎます。それに、いくら人通りが少ないとはいえ、近くに民家があるので、誰かに刺殺されたのだとすれば、声が響いてもいいのでしょうが、誰も通報はおろか、表に出てきた人もいないようですからね」

「それは、差し方にもよるんだろうね。苦しまずに即死状態であれば、声を立てることもなかっただろうから、一概にはいえないんじゃないかい?」

 と清水警部補がいうと、

「いえ、それはないと思われます。刺し傷の跡から見て、正直慣れている人のものではなく、明らかに震えている手で刺し殺したというイメージがあります。刺した本人もかなり緊張していた証拠ですね。だから、被害者もすぐに死んだというわけではなく、それなりに断末魔の時間はあったと思われます。声を出したことも十分に考えられますので、即死状態ということはなかったのではないでしょうか?」

 と、鑑識の先生がそう言った。

「なるほど、確かに傷口を見ている限り、かなり深いというよりも、広く抉られているようだね。どちらにしても、どこで殺した場合であっても、被害者はかなりの返り血を浴びたことでしょうね。それを考えると、このようないくら人通りが少ない場所と言っても、犯行現場に選ぶというのは、棄権が孕んでいるような気がするな」

 と、清水警部補が言った。

「でもですよ。それならばなぜ刺殺だったんでしょうね。絞殺であっても、他に選択肢はあったと思うんですが」

 と辰巳刑事が言った。

「犯人が女性だったというのも考えられないでしょうか? 絞殺するにはかなりの力が必要になるし、毒殺なら毒をいかにして手に入れるかが問題になるだろうが、それ以上に、そこから足がつきかねない」

 と山崎刑事が言った。

「では、ナイフはどうなるんだい? さっきの先生の話では、傷口から、凶器の種類は断定できるほどであり、しかも、特殊なものだというじゃないか。だったら、ナイフからだって足がつかないとも限らないんじゃないかな?」

 と、辰巳刑事が反論した。

「どちらにしても、犯行現場がどこであったにしても、どうして、最終的にこの現場に死体が遺棄されなければいけなかったのかということもあるんじゃないかと思うんです」

 と、清水刑事が言った。

 その話を訊いていた、ちょうど検視の立ち合いをしていた制服経験である、長谷川巡査が近寄ってきて、

「ちょっとよろしいでしょうか?」

 と言った、

 それを聞いて、

「ん?」

 と頭を挙げた清水警部補は、長谷川巡査の顔を見るなり、

「ああ、長谷川君か。何か気になることでもあるのかね?」

 と聞き返した、

 清水警部補は、以前この街で起こった連続強盗殺人の時に協力をしてくれたことでその時から顔見知りになっていた。

 その時の事件というのは、県内広域にわたって荒らしまわった強盗が、いくつかの殺人も犯していて、K市にも当然その被害は報告され、実際に殺人事件にまで発展していた。県警本部からも数人の刑事が派遣され、所轄の警察の協力の下、何とか犯人を捕まえることに成功した。

 長谷川巡査は、庶民に人気があったので、聞き取り調査などを長谷川巡査と同行して行うと、結構重要な情報が得られたりした。そのことから長谷川巡査の存在は、清水警部補にとって、第一線での捜査を行う時に重宝すると思われたのだ。

 その長谷川巡査が発言を求めてきた。これは、きっとここに死体が遺棄されたことに何か感じるものがあるとでもいうのではないかと感じたのだ。

「このあたりはご存じのように、K市の中では昔からの住宅と、新しく建て替えた住宅が複合しているあたりではありますが、基本は昔からの土着の人が住んでいるという場所なんです。だから、他からの人が入ってくるということも少なく、悪くいえば、閉鎖された地域と言ってもいいかも知れません。そんな地域なので、人通りも少なく、実際にここは日が暮れてしまうと、真夜中と変わらないくらいになります。せめて、住宅からの光が漏れてくるか漏れてこないかという違いくらいですね。ただ、最近のことなんですが、ひったくり事件であったり、暴行未遂事件というのが、数件起こっているんですよ・他の地域から比べれば騒ぐほどのことではないんでしょうが、このあたりとすれば、ありえないかずなんです。しかもそのほとんどは未遂。これだけまわりに何もなければ、失敗する方が不思議なくらいなんです。犯人は最初から計画をしていたと思うのに、そこまで失敗してまで犯行を続けるというのもどうにも腑に落ちない気がしているんですよ」

 というではないか。

「長谷川巡査は、今回の殺人と、これまでの事件との間に何か関係があるとお考えなのかな?」

 と、清水警部補が質問した。

「ハッキリとしたことは分かりませんが、無視できないことではないかと思うんですよ」

 と、長谷川巡査が話した、

「まあ、長谷川巡査がそこまで言うのであれば、何か調べる必要はありそうだな。辰巳刑事、そのあたりから明日は探ってみてくれないか?」

 と言われて、辰巳刑事も、

「了解しました」

 と答えた。

「ところで、身元の方は分かっているんだろうね?」

 と清水警部補は、今度は山崎刑事に訊ねた。

「ええ、所持品の中に免許証と名刺から、氏名、年齢、職業までは分かっています。被害者は三橋晴信という男で、年齢は三十三歳ということです。会社は、K貿易の営業マンのようですね。名刺にはそう書かれていました」

 と言った。

「連絡はついたかね?」

「ええ、会社の上司という人にちょうど連絡が取れたので、もう少ししてから来られるそうです。家族にはまだ連絡が取れていませんが、会社の方から連絡を取ってもらえるということですので、身元の確認は、すぐにできるのではないかと思っています」

 と山崎刑事は答えた。

「分かった。じゃあ、もう一度、被害者を見せてもらえるかな?」

 と清水警部補は言った。

「何か気になることでもあるんですか?」

 と山崎刑事が聞くと、

「ああ、いや、別に被害状況に疑問があるというわけではないんだけど、どうも、被害者の人に見覚えがあるような気がするんだ」

「えっ、顔見知りなんですか?」

 と山崎刑事に聞かれたが、

「いや、顔見知りというほどではないんだが、見たことがあるという程度なんだけどね」

 と清水警部補は言った。

 一体誰のことを考えているのだろうか?

 清水警部補は、山崎刑事に導かれるまま、

「こちらへどうぞ」

 といって、躯のようなものに包まれている被害者を見た。

 その表情を見ていると、一瞬確かにドキッとしたように見えたが、次の瞬間には、いつもの顔に戻っていて、すぐに被害者から顔をそむけた。

「ああ、ありがとう、どうやら気のせいだったようだ。お手数をおかけして申し訳なかったね」

 と言って、山崎刑事の労をねぎらった。

 それを見て、長谷川巡査や、山崎刑事は、何か釈然としない思いを抱いたが、辰巳刑事だけは、それ以上に、しばらくその時の最初に感じた清水警部補の表情を忘れられないような気がしていた。

――何かを知っているのだろうか?

 とも思ったが、それなら、こんなにも簡単に表情が戻るわけもない。

 しかも、まったく知らない人だというわけでもなさそうだし、そう思うと、最初の驚きがどこから来ているものなのか、想像もつかなかった。

 すぐに気を取り直した清水警部補は、

「捜査本部は明日にでもできるだろうから、それまでにできるだけ集められる情報は集めておいてもらおうか」

 と、山崎刑事に指示をした。

「分かりました。少なくとも今日は被害者の会社の人が来られると思うので、時間が許す限り聞いてみようと思います」

 と、山崎刑事は答えた。

 ただ、やはりこのあたりは想像以上に閉鎖的なところなのか、警察が来ていて、パトランプがクルクル回っている状況なのに、誰一人として表に出て確認しようとする人はいなかった。

 その状況に一番戸惑っていたのは山崎刑事であろう。辰巳刑事も立ち入ったことがないこの場所で、山崎刑事と同じ立場なのだが、辰巳刑事に戸惑いがないのは、この場の責任者としては山崎刑事なので、今の段階では辰巳刑事は他人事であった。

 だが、この時間を辰巳刑事が持つことができたのは、今後の展開上、重要なことであったのだが、それは後述することになるであろう。

 この時の辰巳刑事は、あまりいい表現ではないが、山崎刑事に任せただけの、他人事である。そう思うことで、全体を平均して見ることができているのは、いいことではないだろうか。

 山崎刑事は、本音を言えば、

「貧乏くじを引いた」

 と思っている。

 少しだけ事務処理をして帰るつもりが、刑事課に残っていたのは、自分以外では当直者だけだった。

「よし、じゃあ、俺がいこう」

 と張り切って出てきたことを、山崎刑事は途中から後悔し始めた。

 それは、

「犯行現場が別である」

 ということが分かったことで、単純な通り魔のような事件ではないということが分かったので、今日がすぐに帰ることができないということと、初動捜査の指揮をとらなければいけないということで、まさに貧乏くじだと感じたのだ。

 だが、ちょうど現場に来た時間から、ほとんど間を置くことなく、清水警部補、辰巳刑事のコンビに偶然落ち合ったことが、山崎刑事に安心感を与えた。

 だが、この事件に清水警部補がどこかで絡んでくるのではないかと思うと、捜査本部の責任者には、清水警部補が立つことになるだろうから、そういう意味で、山崎刑事は安心していた。

 だが、貧乏くじという意味では、清水警部補も辰巳刑事にも同じことが言えるのではないか、署を出てから呑みに行った帰りに偶然とはいえ見つけるというのは、ある意味貧乏くじだろう。

 だが、実際には二人とも貧乏くじだとは思わない。下手をすると、呼び出しがかかるかも知れなかったからだ。そう思うと、山崎刑事は余計に自分の貧乏くじを恨めしく感じるのだった。

 辰巳刑事と、清水警部補は、あとを山崎刑事に任せて、その日は帰宅した。長谷川巡査もいつまでも交番を空けておくわけにもいかず、交番勤務に戻っていった。時間としては、十一時前くらいだっただろうか。そのうちにK貿易から総務部長が、奥さんを伴ってやってきて、

「はい、主人に間違いありません」

 と言って泣き崩れる奥さんの肩をしっかりつかみながら、総務部長も頷いていた。

 奥さんの方は、少し取り乱しているようなので、あまり事情は聴けないことを覚悟していた山崎刑事だったが、その分、総務部長から情報を仕入れることにしたのだった。

「ところで、被害者の三橋さんは、誰かに恨まれるようなことがあったりしたんですか?」

 と訊かれて、総務部長は少し考えた末、

「私の方で把握していることとしては、殺されるような事実はありません。彼は営業成績は決していいというほどではなかったですが、問題があるというわけでもありませんでした。いわゆる『可もなく不可もなく』と言った平均的な男だったようです」

 と答えた。

「人間関係の方はどうですか?」

 と聞かれたが、

「プライベートなことは、よくわかりません」

 と、お茶を濁したが、確かに個人情報に関わる話なので、分からないというのが、回答としても正解ではないだろうか。

「奥さんにも聞いてみたいのですが、今の状態では無理のようですね?」

 というと、

「そうですね。あれだけ取り乱されているということは、相当なショックだったんでしょうね。信じられないという気持ちと現実の狭間で、理解できない自分を苛めているのかも知れませんね」

 と、総務部長は答えた。

 奥さんは、いかにも大人しそうな女性であるが、そんな女性が取り乱すと、怖いことになりそうなので、とりあえず落ち着くのを待ってみるしかなかった。総務部長も奥さんも今日は遅いので帰ってもらい、翌日落ち着いたところで、再度、警察にご足労いただくということで、その日は帰ってもらった。

 その日のうちに死体を署の死体安置所に保管し、いよいよ翌日には、捜査本部が出来上がり、K署管内での捜査が本格的に開始されることになった。

 捜査本部の責任者は、県警から一人の警部が派遣されたが、実際の捜査の指揮を執るのは清水警部補ということになった、

 県警からの警部というのは、門倉警部であり、以前、K署に所属していた人だった。刑事時代が長く、下積みを長く続けてきた叩き上げだということで、清水警部補も辰巳刑事にも馴染みだった。二人にとって門倉警部であれば、捜査本部長として、これ以上ない人が派遣されてきたと感じ、喜んでいた。

 捜査本部の戒名としては、

「ガード下死体遺棄営業マン殺人事件」

 という名前になった、

 捜査本部には県警より数人の刑事も派遣されてきていたが、K市警察署と、県警との間は以前から良好で、よくテレビの刑事ものなので出てくる。

「県警本部のことを本社、所轄のことを支店」

 などというようなことはなかった。

 刑事個人間でも結構仲が良かったりして、実際にそんな警察が存在するなど信じられないと言った感じになっていた。

 さっそく昼前には捜査本部にて最初の捜査会議が開かれた。

「それではまず、被害者について」

 とk門倉本部長が聞くと、山崎刑事が手を挙げて、

「被害者は三橋晴彦。三十三歳、K貿易会社の営業マンです。身元は家族、それから会社の総務部長さんに確認していただきました。鑑識からの死亡推定に関しての見解ですが、死亡推定時刻は、夕方の四時から、五時までくらいではないかと思われるということです。最初は五時から六時と言われていましたが、被害者が同僚と会社近くの食堂で食べた昼食の消化具合から判断して、死亡推定時刻は四時前後ではないかということです。そして死因はサバイバルナイフのようなものを使っているのではないかということでした。そして凶器はその場から発見されませんでした」

 と報告した。

「本当の殺害現場は別の場所だったのではないかという話も聞いたが?」

 と門倉本部長が訊ねると、

「ええ、その通りです、ナイフで刺された後、凶器は抜き取られ、死体遺棄の場所からは発見されませんでした。もし、犯行現場があの場所で、死体からナイフを抜いたのが犯人だとすれば、かなりの血痕が残っていないとおかしいのですが、ほぼそのような血痕は残っておりませんでした。それで、犯行現場は別にあるのだと考えました」

 と山崎刑事が報告すると、

「ええ、それにもしあそこで殺害したのだとすると、犯人もかなりの返り血を浴びているということになりますからね。犯人は、サバイバルナイフを用意してからの犯行だということになるので、衝動的な犯行だとは思えません。計画的な犯行だと考えると、他の場所で殺しておいて、あの場所に運んだと考える方が自然かと思い明日」

 という補足を、辰巳刑事が説明した。

「じゃあ、犯人はどうしてあの場所に死体を放置したんだね? 少なくとも他で殺害したのであれば、その場所から死体を隠すことだってできたであろうに、敢えてあの場所に運んだというのは、死体を発見してほしいからなんだろうか?」

 と。門倉本部長が訊きなおした。

「そうとも言えるのではないでしょうか?」

 と山崎刑事が返事をすると、

「その根拠は?」

「例えば、死亡推定時刻に、犯人はアリバイを作っておいたということなのか、死体がいつまでも発見されないと困る何かがあるのかではないでしょうか?」

「困る何かとは?」

「考えられることとしては、保険金であったり、遺産の分配、さらに死んでくれたことで誰か得をする人間がいるかも知れないということになりますね」

 と山崎刑事がいうと、

「じゃあ、そのあたりも、これからの捜査に加えていくことにしよう」

 と門倉警部補に言った。

 すると、何かを考え込んでいる辰巳刑事の顔に、門倉本部長が気付いたのだった。

「どうしたんだい? 辰巳刑事。何か気になることがあったら、言ってみたまえ」

 と辰巳刑事に、門倉本部長は水を向けた。

「ええ、これは私の考えすぎなのかも知れないんですが、被害者の髭の伸び方が異常に長かったように思うんです。今は言わなくなりましたが、ファイブオクロックシャドーというんですか? 人間は夕方になると、髭が急激に伸びると言いますよね? 彼の顔に浮かんでいた髭を見る限り、夕方の六時くらいまでは生きていたんじゃないかっていう思いがあるんですよ。根拠は何もないんですが、元々死亡推定時刻を鑑識さんでは、五時から六時と言っていたんですよ。でも、今の話では、胃の内容物を考えると、もっと前の四時頃かも知れないという話になったんですよね。昨日の死亡推定時刻であれば、私もなんら疑念はないのですが、今日発表された時間を考えると、どうも納得がいかないような気がして、やはり考えすぎなんでしょうかね?」

 と辰巳刑事は言った。

「ファイブオクロックシャドーというのも、曖昧な気がするんだが、一応意見として考えておく必要があるだろう。被害者は貿易会社の営業餡だっていうじゃないか、被害者の姿を見ていると、結構営業マンとしての身だしなみには気を付けている男のようなので、毎朝髭もキチっと剃って、毎日の営業に勤しんでいることなんだろうね。だとすると、ファイブオクロックシャドーという発想も、結構性格な時刻を示しているんじゃないだろうか? それを思うと、辰巳刑事の意見を考えすぎと言って笑い飛ばす気には私はなれません」

 と清水警部補は言いながら、遠い方向を見ていた。

 昨日の現場を思い出しているのか、それとも、昨夜思い出したように、再度死体を見に行った清水警部補だったが、その時に発見した何かを思い出しているのだろうか。少なくとも清水警部補は被害者のことを最後にかなり観察していたのは間違いのないことのようだった。

 ファイブオクロックシャドーというのは、今では誰も言わなくなったが、男性が朝髭を剃ると、夕方くらいに急激に伸びる時間帯があるというのを称して、午後五時から伸びるという意味で、

「ファイブオクロックシャドー」

 と呼ばれるようになった。

 シャドーとはまさに影であり、口元に影ができるほどの髭の濃さを表しているのであった。

――辰巳刑事もよく、そんな古い言葉を知っていたものだ――

 と、門倉本部長は苦笑いをした。

 この中で実際にその言葉を刑事になってからリアルに聞いたことがあったのは、門倉本部長くらいであっただろう。

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