七、


──高雄が八戸を拾った数日後。


大衆居酒屋「まさうお」は今日も満員御礼の大盛況だ。

料理の匂い、酒の入った賑わい、軽やかなグラス同士の囀り、写真の撮影音。

特に賑やかな空気に包まれている席といえば、お座敷席を占領している門代大学のボランティアサークルの面々だろう。

前期試験も終了し、テストを終えた一年生達を労う飲み会が開かれた次第だ。


その中でひときわ目立つ赤髪の一年生がいる。彼の名は有田春乃という。

工学部に所属しており、高身長と愛嬌のある顔立ちのせいで、別の学部に所属する華やかな女子たちに囲まれていた。

有田は内心、辟易していた。全員どう見ても、ピラニアやウデムシやアマカエルだとかの顔に見える。

比喩ではない。有田の目には、まともな人の頭が動物に見えてしまう。幼い頃からそうだ。理由は割愛する。今回の話にはまるで関係ないからである。


「有田クンさあ~、その髪染めてるのぉ?」

「工学部ってヤンキーかドーテーしかいないって本当~?」

「メアド教えてよぉ」

「はいはい、後でね-」


甲高い声も相まって、純粋に食欲が失せてしまう。早く離れたかった。

途中で同学年の小野善貴が「おねーさんたち、俺も構ってぇ~」と笑いながら混ざりに来た。

渡りに舟だ。持つべきは高校からの親友である。アマゾン川のアマゾネスモンスターたちは、可愛らしい善貴の顔につられて「やだぁ、美術部の子?」「背ぇおっきいね~」と標的を変え、きゃあきゃあと黄色い声を上げる。

善貴から同情のアイコンタクトを受け取った後、つとめて料理の注文と取り皿に料理を盛り付けることに専念出来た。

一通り料理が行き渡り、それぞれグループが出来て落ち着いたところで、有田はひっそり隅の席に移動し、バーベキュー風味のチャーシューをつついていた。


「あれっ、もしかして有田くん?」

「はい?」

「やっぱり有田くんだ。私だよ、八王寺はたか!」


不意に隣から声がして、ぱっと視線を向ける。

曇り空の色をした瞳と目があってとした。

声の主は八王寺はたか。有田の一年上の先輩だ。当たり障りなく人と接する印象があったために、人が集まるような場所に来ないと思っていたので、不意をつかれた気持ちになった。

当の本人は日本酒にちびちびと口を付け、上機嫌ににへら、と微笑む。

童顔と低身長も相まってか、成人していると分かっていても、つい手元のお猪口を取り上げたくなってしまう。


「……知ってるッスよ、今日も今鵺先生イマヌエルのテストの時に会ってるでしょ」

「えへへー、隣の席だったもんねー。全部とけた?」

「空欄は埋めました」

「センセが家族で動物園行った時、最初に見た動物って何だったっけ?」

「パンダかハダカデバネズミのどっちかだった気がします」

「どっちも入ってたからどっちもにマルしちゃった~」

「俺もッス」

「ハダカデバネズミの羊羹、美味しかったよねえ。クラスの皆の分買ってくれるなんて太っ腹だよねえ」

「先着三〇名だからラッキーでしたね。味はともかくとして」

「あれ、有田君いつのまに頭から腕増やしたの?おしゃれぇ」

「さては酔ってますか、先輩」

「酔ってないでーす」


完全に出来上がっている。

たこ焼きの上を揺蕩う鰹節をみてケラケラ笑って居る。

この分だと、箸だろがダルマだろうが、何が転がっても笑っていそうだ。

さっと水のグラスに取り替えておくと、何食わぬ顔でレモン水をぐびぐびあおっていた。味すら分からなくなっているらしい。

「なんか酸っぱいお酒だねえ」と笑うはたかに「レモンサワーですよ」と適当なことを言い、アサリの味噌汁を押しつけた。


「ねえねえ、夏休みどっか行かない?」


酔っ払ったはたかの世話をしていると、サークルのメンバーの一人が手をあげた。

次々に「いいねえ」「海行きたい」「山だろ山」「水族館でイマヌエルに対抗しよ」「ナイトサファリがいい」と好き勝手にへべれけたちが喚き出す。

収集などつくわけがない。素面の部員ひとりが生真面目に「サークルのメンバーで行きたい場所リスト」を作成し始める。既にメモの一覧が混沌とし始める。


しまいには部長が懐から未開封の割り箸の束を取り出し始めた。

「いつか王様ゲームをするために持ち歩いてたんだけど」と言いながら丁寧にひとつずつ割っては、番号を割り振っていく。

皆ふざけて「玉座を勝ち取った者こそが真のサークル王!サークルの輝かしい夏を決めるのだ」と参加し始める。

王様ゲームに勝敗があるのかと突っ込む無粋者はいない。

並み居る阿呆共を蹴散らし、場の空気をむしゃむしゃ貪りきった者の勝ちなのである。

隣でアサリをちまちま貝殻から剥いでいたはたかも、楽しげな空気の磁石に吸い寄せられ、「私も入る-」と王の座を奪い合う愚者の輪に混ざってしまった。


そして一人が仕切りだし、インターネットで見つけたお題一覧にそって馬鹿が馬鹿を曝し始める。もう手がつけられない。

おおよそ酔っ払いはモラルというものなど持ち合わせていない。破廉恥劇場の開幕である。

へべれけを通り越して胃の中の全てをひっくり返す愚物たちを相手に、有田はエチケット袋を手渡し、水を飲ませ、トイレで介護する。そろそろ店員の目が痛い。

気付けば一時間、二時間、三時間と、頭をアルコールに侵食された者たちが堕落にしゃぶりつくしていく。最早吐いていない者がいなかった。

途中からは飲み対決と大食い対決に変貌し、座敷には次々と出来上がった屍たちが転がる。

後には梅水晶をリスのように頬張るはたかと、勝手に書記を任されてしまった有田、数名の世話係を担う下戸たちだけが残された。


「はたか先輩、あんた勝っちゃいましたけど」

「あれえ?ホントォ」

「夏どこに行きたいですか?」

「どこでも良いよぉ、皆で行きたいところにすればいいじゃん」

「はァ。じゃあ多数決でいっか」


はたかはというと、興味なさそうに「これ美味しいねえ」とシメのレモンシャーベットを頬張った。

結局この日は解散となり、殆どのメンバーが赤くなったり青くなったり白くなったりしながら、自宅へ帰っていく。

はたかは「たくさん飲むと眠いねえ」とやっぱり上機嫌に笑いながら、全員が支払いを済ませるまで夜風にあたっていた。

有田もなんとなしに、はたかの隣で、夜の繁華街から漂う、生ぬるい空気に浸っていた。


「先輩、一人で帰れます?」

「たぶん~歩いていける距離だし~」

「送りましょうか」

「心配してくれてるの?」

「一応、八王寺先輩は女なんで」

「優しいねー」


ネオンがびかびかと照らす夜道を、二人並んで歩く。

八王寺は居酒屋が並ぶ繁華街をまっすぐ進んで、15分ほど歩いた先にある商店街の一角に住んでいた。

時計を見れば、夜中の零時に差し掛かる頃。鳥の声ひとつ聞こえない。

昭和の雰囲気が未だ漂う、古臭い商店街に足を踏み入れる。

どこもかしこもシャッターが降りて、しぃんと冬のように静まりかえっていた。

かつこつと、二人分の足音だけが、商店街のアーケードに響く。


「先輩、寝る前はちゃんと水飲んでくださいね」

「はあい」

「明日は一限からでしょ。遅れないでください」

「分かってるってぇ」

「それと、次からは男の人と一緒に帰っちゃダメっすよ」

「有田くん相手でも?」

「俺相手でも、です」

「分かったァ」


「八王寺商店」の看板が見えてくる。ここがはたかの家だ。

表のシャッターは閉まっているので、裏手に回る。

家屋の裏口は鍵がかかっていた。

はたかは眠たげに、のんびりした仕草で鞄を漁り、鍵を探した。が、途中から「あれ」とか「おりょりょ」だとか「あー……」と要領をえない奇妙な声を漏らし始める。


「先輩?」

「カギ、ない」

「えっ」

「飲み会、本当は出ないで帰るつもりだったから、カギ持ってくるの忘れちゃった。おじいちゃんとおばあちゃん、もう寝ちゃってるし、電話出ないんだよね。夜、いつも電源切ってるし」

「家電は?」

「夜は電話線抜いてるの。前に、夜中に電話かけたら、ひどく怒っちゃって。それで、夜中に帰る時に電話は入れるな、静かに戻れって約束させられちゃってて」

「はぁ~。弱ったッスね」

「弱っちゃったねえ」


どうしよ、とはたかは苦笑いして、肩を竦めた。

有田も眉尻を下げた。ここで放って帰っても良かったが、流石に良心が咎める。

こんな暗闇で、治安もあまり良いとはいえない場所に、年頃の女性一人を放置するのは人道的ではない。

やや逡巡した後、有田は諦めたように嘆息した。


「じゃあ、先輩。今日はうち泊まります?」



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君はともだち ─タコと君との12ヶ月─ 上衣ルイ @legyak0810

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