六、


一拍置いて、高雄もつられるようにシガレットケースを取り出す。

すかさず慶一が「吸ってええとは言うとらんぞ」と口を挟むが、やはり手持ちのライターで火を点け、咥える。

セブンスターの匂いを嗅ぐなり、慶一は渋い顔をした。彼はこの匂いがすこぶる苦手だ。


「同じ時期に破門、ってところがなあ。四人を繋ぐものは曼殊沙華のみ。だが破門された上で、本来働けるはずのない会社に勤め、あまつさえ一億を盗んだ理由、か……単なる身内の裏切りかと思ったが、それで終わる話じゃなさそうだ」

「ミステリじみてきたのお。お前好きやろ。ミステリ」

「頭を使うのは得意じゃねえ」 紫煙と共に、高雄は言葉を吐く。

「どうすんねや、名探偵。ここで俺の煙草を受動喫煙したかて、答えが出るわけやない。それとも俺から言うて、海崎の坊主との契約を切るかい。さしもの糞餓鬼も、鞍馬の名前を出しゃあ大人しく引っ込むんじゃ……」

「こうなりゃ、リコリス社に直に懐に潜るかねえ」


高雄がぼやくと、「ほれみろ始まった」と呆れた声で慶一が目を剥く。

たん、と灰皿を煙草で叩く。ぱらぱらと燃えカスが粉雪のように零れ落ちた。

みるみるうちに、慶一のこめかみに青筋が浮かび上がる。


「なして危ない橋を渡りたがる?昔の危機感はどこいってん」

「ちょいとバカンスに行かせた。しばらくは戻らねえんじゃねえの」

「あのな、笑い話にもならんわダアホ。しかも曼珠沙華と繋がっとることは明白じゃて。連中のことや、リコリスの腹を探られたら間違いなく消しに掛かってくるぞ。確実に探られたない一物を腹に抱えとる。迂闊につついて蛇がでてきたらどうする?」

「なんのことはない。俺は好きだよ、蛇。酒に漬けると旨いしな」

「こんゲテモノ食い!もう知らん、勝手にせえ!また痛い目見るとええわ、次は助けてやらんからの」


暖簾に腕押しとはこのやりとりを言うのだろう。

とさかに来たのか。ダン!と乱暴に机を叩き、肩をいからせて慶一はそっぽを向く。

すっかりちびた煙草を灰皿に押し付けると、最後のどらやきを咥えた。

高雄はのっそりとはなれの襖に向かう。


「そうは言うけど、お前がその手の脅しを有言実行したところ、見たことないんだよな」

「煽っとんのか、おどれ……」

「期待してんだよ。じゃ、また後で連絡すっから」


高雄は使用人に「茶菓子、ごちそうさん」と笑ってから、中庭へと立ち去る。

嘆息し、慶一は机の上に目を向けて、小さく「あ」と呟く。

高雄興信所の名刺が、どらやきの皿の下に挟まっている。

ぱ、っと取り出してひっくり返すと、ライン番号のIDが手書きで記されていた。


「~ッ、おい、こないなもんで絆される思うなや!」


名刺を思わず手の中で握り潰し、慶一は出ていく高雄の背中に咆える。

返事の代わりに、高雄はひらっと片手を上げるのみ。

忌々しそうに背中を睨んで見送っていると、からりと扉が開く。

慶一が「誰ぞ」と振り返る。上質なダークブラウンと黒いスーツを男が二人、気まずそうに軽く頭を下げた。

かたや肩幅のがっしりとした、血色のいいアルカイックスマイルを浮かべた黒髪黒目の男。

もう一人は街路樹のような痩身長躯に、真っ赤な瞳と黒髪をした、色白の紳士。

二人とも髪型こそオールバックで揃えているが、別段兄弟というわけではない。


「やあご機嫌よう鞍馬君、お邪魔しているよ!今日は水瓶座が一位だったが君は蟹座だから四位だったね!景気が良さそうではないが何かあったのかな!?」

「玄関から声をかけたであるが、返事がないので家政婦さんにご案内いただいたのであ~る」


三白眼の痙攣を抑え、慶一は「どうも、教授さんら。お座りになって」と向き直る。

男二人──三堂彰彦と出在藤美──は、お互いに目配せした後、「お取り込み中だったかな」と笑いながらちゃぶ台を挟んで座布団に座った。


「なにやら喧嘩の如き剣幕であったが、日を改めたほうがよかったであるか?」

「いや、些事や。お気になさらず、教授殿がた」


出在は痩せこけた頬をぽりぽりとかきながら、小さな赤い瞳をきょとりとさせた。

一方で三堂は「どうせいつもの痴話喧嘩だろうさ」と茶化す。

部屋まで二人を案内した小太りの少年が、「何かあればいつでもお申し付けください」と頭をさげ、障子の向こうへと引っ込む。

改めて慶一は「それで、受けた依頼の調査結果なんやがね」と封筒を手渡した。


「あんさんらが仰るとおり、調べてきましたで。

近頃この辺りで増えてるとかいう「水帰症すいきしょう」。これが調査報告や」

「どうも。中を検めても?」


慶一が頷くと、三堂は封筒を開けた。

「水帰症」は、ある特定の精神疾患の俗称である。正式名称はまだない。

幻覚や幻聴、激しい譫妄が特徴で、罹患者は男性のみ。10代前半から30代前半が殆どだ。

最たる特徴は、この症状を発症した者は異常な喉の渇きを訴える、水への強烈な執着あるいは忌避を示す、「水の中なら呼吸が出来る」という妄想を信じ込み水中生活を試みる、というものだ。

この症状のせいで風呂で自殺を試みたり、飲水を拒否して脱水症状で死にかけたりと、生死に関わる病気といえよう。

隣で、共に書類を検めた出在が、眉間の皺を深めた。


「身体検査やカウンセリングの結果、罹患者たちの共通点はかなり絞れたようであるな。よくここまで調べられたのである、やはり八咫烏に依頼したのは正解であったな。感服である」

「お褒めの言葉をどうも。お渡ししたデータによりゃあ、共通点は主に四つ。

ひとつ、罹患者達は「機能不全家族」あるいは「家族を持たない者」である。親に関してトラウマを抱えていたり、そもそも家庭を持たない者が多い。……まあ、この現代社会において、機能不全家族なんざ珍しいこともでないな。

ふたつ、罹患者達は友人関係あるいは地域との繋がりが希薄である。

罹患者たちには相談する相手だとか、頼る相手というものが居らんのが現状や。

みっつ、罹患者達は全員同じ学校──あー、双葉中等高等学校の出身あるは在籍である。罹患者同士で面識があったり、学生時代には交流があった連中もおる。

よっつ、これが最も気になる点や。

全員、以前の健康診断の記録によれば、肉体的には健康であった。にも関わらず、骨密度と骨質の低下が見られた」


「……つまりは、若齢者にも関わらず「骨粗鬆症」を発症しているであるか。

精神疾患に罹ったから骨粗鬆症になったのか、それとも骨粗鬆症と併発してこの精神疾患に罹っているのか……ううむ……」

「インタビュー記録によれば」 三堂が別の書類に目を通しながら口を開く。

「全員が、骨粗鬆症には無自覚で、その原因も不明。

全員が極端な運動不足や偏った食生活、遺伝性の病気でもあれば話は違ったろうが、その形跡もなく。検査した総合病院側もお手上げ、……か。何が起きているのやら」

「にしたって、わざわざ情報屋の俺を使って調べるようなことかね」


慶一はこしあん入りのどら焼きを使用人に持ってこさせ、あぐ、と頬張る。

三堂と出在もそれを頂戴しながら、互いに目配せした。


「それがだね、あるんだよ。君も薄々察しているだろうが……。

彼ら患者は全員、私が双葉高等学校で担任をつとめていた頃、接点のあった若者たちばかりだ。中には私たちがクラスを受け持つ大学の生徒もいてね。放ってはおけない」

「それに、斯様な精神疾患を見るのは初めてであ~る。

我々としても調査にあたる必要があると判断したであるよ」

「フン、大学先生は大忙しってわけだ。……そういうことなら一つ、気になる情報ハナシがある」

「というと?」


三堂と出在が顔を上げると、慶一はパンッと三枚の写真を差し出した。

写真にはそれぞれ若い男性達が写し出されている。

「誰であるか?この人相があまりよろしくない若者たちは」と出在がしげしげ写真を眺めていると、慶一は片眉を釣り上げた。


「真ん中の奴が夏頭伊仙郎っつってね、タチの悪いチンピラだ。おたくらテレビか新聞くらいは見てんだろう?」

「ああ、例のリコリスカンパニーの」 出在がやっと合点がいったように頷いた。

「色々調べてみたが、夏頭伊仙郎の正体が分かった。旧名は伊島仙水。罹患者達全員と接点のある男だと分かった。双葉中等高等学校の出身だが、高校生の時に行方不明になった後、死亡届が出ている」

「ほう、伊島仙水という名前なら覚えがある」 三堂が片眉をぴくりと動かした。

「あまり評判のいい子ではなかった。成績は良かったが、暴力的で感情の起伏が激しく」

「あまり良い子とは言えなかった。であるな?」 と出在が無理矢理言葉を引き継いだ。

「だが、その接点とは?」

「【売春】さ」


慶一は吐き捨てるようにそう言った。


「奴こさん、中学生の頃から手癖の悪い男でな。

恋人を作っては「友達価格」といって、同級や後輩、先輩にも金を出させて、学生間で恋人を「共有」しあっていたらしい。かなり狡賢い奴だったようでな。グループ外に漏れることはなく、そこそこ「儲けて」いたらしい。何食ってたらこんなこと考えるんだか」

「だが、行方不明になった」

「そう。話によれば、よりによって曼珠沙華組の構成員の娘に手を出してしまったらしい。その落とし前として、表社会からきっぱり縁を切らされてしまったんだとさ。

簀巻きにされて海に浮かんでいてもおかしくなかったが、今日まで生きているあたり、よほど悪運の強い奴とみた。さあ、これがどう繋がるかはさておいて……割と有益な情報やと思うが、どうだ?」


憎まれっ子世に憚るやねえ。

他人事のようにそう言いながら、また慶一は口直しとでもいうように、熱々の茶を飲み干すのだった。



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