五、
同日 午後3時過ぎ。
高雄の足が赴いた先は、或る一軒の日本家屋である。
築百余年と耳にしているが、それよりもはるかに時を刻んでいるかのような、趣のある平屋づくりだ。
木張りの外壁を挟んだ中庭からは、梅雨明けの日差しを受けて、松の木が悠々と背を伸ばしている。牡丹が外壁を超えて、花を咲かせていた。
令和を目前としたこの時代にそぐわぬ、昭和の香りを色濃く残す門構えの前に立ち、とってつけたような小さいインターホンを鳴らす。
家主はインターホンに反応しない性質だ。体裁のために押しているだけである。
「邪魔するぞ」
声を張り上げ、正門を開いて、砂利道に足を踏み入れる。
短い石畳を辿って玄関に向かい、そのまま左へターンして中庭へ。
着物を着た使用人が数人、忙しなく敷地内を行き来し、高雄を一瞥しては頭を下げ、立ち去る。
高雄もひら、っと老女たちに手を振って、無防備な縁側で靴を脱ぎ、のっそりと敷居に上がる。
ちら、と中庭の隣にある駐車場を見やれば、やたらと黒塗りの車が多い事に気づく。
今日は葬式や、家主の親戚が集う話は聞いていない。
とあらば、団体客か。足を運ぶ機を見誤ったか、と頭をかくも、高雄はそのままふらふらと長い廊下を歩く。
家屋の奥、客間の方から怒声が響いている。
「――当代、御決断を!」
高雄は足音を潜め、静かに客間の襖を押し広げ、中を覗き見る。
異様な光景である。全身を黒のスーツで固めた厳つい顔の男衆たちが、一斉に一人の男を取り囲み、睨んでいる。
取り囲まれながらも不遜極まる仏頂面で周囲を睨むこの男は、この屋敷の家主である。
名を
元は高かった鼻は真ん中から折れたようにねじ曲がり、どこか天狗を思わせる。
三白眼はやすりで削ったかのような鋭さで、白目が大きいばかりに不気味さが漂う。
焼けた肌と、鼻から頬にかけて散らばるそばかすが、彼の人間らしい顔だちの体裁をとっている。
ぎぬろ、と慶一と男衆が睨み合い、先の声の主が言葉を続ける。
「曼殊沙華の連中がこの土地でのさばり始めてから暫く。影里たちの報告によれば、近頃この町で不審なことばかり起きるじゃあないか」
「なんでも婦女子が次々と声もなく姿を消し、死体も上がらんと聞く。警察も手を焼いてるらしいぞ」
「隣市でも同じことが起きているそうだ。連中、また何か企んでいるに違いない」
「一億喪失の件もそうだ。汚い金を預かる腹心がこの町に腰を据えている、本格的にこの町を根城にするつもりやもしれん」
「余所者を好きにさせてよろしいのですか!」
「当代、今しかありません。この町から毒花は全て間引くべきだ!」
はあ、と慶一は気怠げに一同を見やった。
ぎろりと三白眼が黒服たちを睨みつけると、気圧された若者たちが押し黙った。
「落ち着け、お前達。まだ証拠が挙がったわけではないだろうが。
そもそも我らは忍。水面下に蔓延る
正面切って喧嘩を売る忍など聞いた事もない。ましてや相手は狡猾な狐が統べる曼殊沙華。それこそ連中が表だって何かしでかすなら、然るべき極道者たちが黙っとらんさ。少しは落ち着きを覚えろ、莫迦者共」
「しかし当代、既に八咫烏の中からも行方不明者は出ているのですよ!」
「あの毒狐めらの悪行、忘れたわけではありますまい。吸血鬼や妖魔らと手を組むような連中ですぞ!」
ワアワアと男たちは口々に、烏の大群の如く喚き散らす。
客間の空気が揺れ、彼等の纏う黒い服のせいか、部屋全体がいっそう暗くなったようだった。
慶一の身にまとう辛子色の着物が、よりいっそう際立って見える。
随分難しい状況に鉢合わせてしまったらしい。そっと後ずさり、庭のほうまで退却する。
さてもどう時間をつぶそうか、とぼんやり縁側に座り考えていると、使用人の一人が高雄を呼び止めた。
「旦那様は暫くお忙しいかと思われます。離れのお部屋でお待ちください」
「そうさせてもらうよ」
「ああ、午後には坊ちゃまが戻られます。お会いになるときっと喜びますよ」
「どうだかな。どら焼きもらっていいか?」
「ええ、お持ちしますね」
――鞍馬家は、この新みらいヶ丘市の「八咫烏」と呼ばれる裏稼業の一族だ。
遡れば江戸時代、徳川吉宗の御庭番が一人が祖であると慶一から説明を受けたが、高雄も詳しいことは知らない。
忍者などといえば俗っぽさが抜けないが、智勇兼備と忍耐を求められる職務であることは確かだ。
彼等は世を忍び、夜と闇の世界、いわば法の手が届かぬ場所に目が利く者達である。
この土地一帯の知謀百出悪逆無道を知り尽くし、時に秩序を守るがために自ら赴く、人の形をした夜目の鋭い
時に諜報機関として、時に無法者を懲悪する秩序として動く一味。
その情報網を懇意にする政治家や有力な企業も絶えないと聞く。
無論、高雄もその一人なわけではあるが――
「ブスのくせに待たせてんじゃねーっつの。なにあの集団、極道の集会か?」
「追ん出すぞ色事師。来るとき電話しろって言っとろうが、ダアホ」
離れの座敷でのんびり茶をすすること二時間。
やっと会議が終わったのか、襖を乱暴に開けて、慶一が渋い顔で入室する。
ちゃぶ台を挟んで真向かいに座ると、高雄のために用意された山盛りのどら焼きに手をつける。
しかし中身がつぶあんだと気付くや、みるみる顔の皺の数が増えた。
「五回も電話した。全部無視されたぞ」
「朝の、八時までに、や。いつもいつも、お前という奴は……しかもこれ、つぶあんやないけ」
「俺はつぶあんがいいんだよ。八時なんてなあ寝てらあよ、そんな早朝。メールしたからいいだろ」
「いい加減ライン交換しろ。なぜわざわざフリーメールやねん」
「お前、既読無視したら絶対キレて鬼電してきそうだから」
暫し重い沈黙。
庭の鹿威しがこぉん、こぉんと鳴いて場を繋ぐ。
返す言葉がなくなったのか、つぶあんのどら焼きをしばし睨み、むしゃむしゃと乱暴に食い散らかしながら、「曼殊沙華組のことやがな」と切り出した。
曼殊沙華組は、愛知を中心に活動する反社会的勢力のひとつである。
暴力団の規模としては中程度で活動も活発ではないが、知名度は悪辣な方向に高い。
表社会の企業や組織の後ろ盾を担い、密かに「呪殺」を生業にするという噂もある。
ここ数年で発生した有権者や政治家の奇妙な変死事件の真相は、曼殊沙華の呪殺が関わっているなんて眉唾話もあるくらいだ。
かくいう高雄も、この曼殊沙華一味とはちょっとした因縁があるが、それはまた別の話だ。
近畿を中心とする暴力団組織と敵対しているためか、ここ数年で本拠地の愛知から中四国エリアに足をのばし、「おてつき」の会社を隠れ蓑として、勢力拡大を狙っている、と慶一は分析していた。
「その矢先の一億円窃盗事件ときた。つくづく騒ぎを起こす性癖でも持っとんのかねえ、連中は」
「さて、計画ありきか、それともとんだ番狂わせか。地獄花の狐爺の空模様はいつだって読めん。慶一、今回の実行犯に関してなんだが。実行犯の一人が曼殊沙華の身内だって話は聞いているかい」
「身元は全員洗っとる。調べるんは骨やったがな……だが身内の裏切りっちゅう話で終わる問題やなかったらしい」
「と、いうと」
「
四人の実行犯はいずれも曼殊沙華組の傘下におる組織の末端構成員やった。
ただし全員、数ヶ月前、それぞれの組織で同時に破門を喰らっとる。しかも【赤字】でや」
暴力団組織における【破門】は、除籍や絶縁とは多少異なる。
大抵は「親」に恥をかかせた報いだとか、組織への造反、抵抗が見られた場合に下される処罰である。
通常、破門を受ける場合、期限を切る「口頭破門(謹慎)」あるいは破門状という通知を受ける「破門回状」という形式をとる。
破門状は通常、黒字と赤字のどちらかで印刷される。この違いは組織への迷惑の度合いにもよって決まるが、赤字印刷のほうが重いとされている。
この破門状は各組織に広く通知されることとなり、通知を受け取った組織は、破門された者を客分として受け入れたり、結縁や交際なども一切断絶されてしまう。
組織から追放されるということは、暴力団社会で生きていけなくなることを意味する。アウトローにとっては致命的な罰といえよう。
ましてや曼殊沙華組は「忠義」を重んじる組織であると高雄は記憶している。
年月を経て復縁することも可能ではあるが、暴力団組員にとっては、大変重い制裁といえるわけだ。
「つまり、曼殊沙華組との縁も切れちまっているわけだ。理由は組織への怨恨か?」
「ってえ思うやろ。ちと引っかかることがあってな。破門の理由についてなんやが」
「さては爺の顔に油揚げでもぶちまけたか?いい気味だぜ」
「うんにゃ。「何にもない」んや」
「何にもない?」
頬張ろうとしたどら焼きから口を離し、高雄は素っ頓狂な声を上げた。
そのどら焼きを強奪し、ぱくりとひと思いに食べると、慶一は懐の折りたたんだ和紙を取り出す。
「じゃあ理由もなしに破門したってえのか?全員が?」
「というより、取ってつけたみてえな理由で破門してんねん、これが。組織内の上納金を滞納したとか、同僚の女を取り合ってトラブル起こしたから、とか、そういうしょーもない理由」
「……なんでそんな連中がリコリスカンパニーの支社で働いてたんだ?そもそも破門されてんなら、繋がりのあるリコリス社で働けるわけがねえだろ。曼殊沙華の御手つきなんだろうが」
「問題はそこや。しょうもない理由で破門したわりには、大々的に赤字の破門状で告知しとる。しかも噂じゃあ、リコリスカンパニーの責任者は、曼珠沙華の幹部の一人やしいんやが、あまり良い噂を聞かん。元は別の組におったって話もあるらしいし」
「ふゥン。爺がよくそんな爆弾野郎を懐に抱えたな」
「金を稼ぐのは上手い奴なんやと」
煙草いいか、と断って、慶一はシガレットケースを手にした。
立派な服を着ているわりに、メビウスなんて吸っている辺り、まだまだ俗っぽいな、と高雄は溜息交じりに思う。
「火」と慶一が視線を向ける。高雄がライターを持っていることは承知済みと言いたげだ。
「別に吸っていいとは言ってない」と高雄が言うと、舌打ちし、机の隅に転がるマッチで火をつけた。
特に文句を言うでもなく、高雄はマッチ箱の隣にあった灰皿を引っ張った。
「それと無関係かもわからんが、ひとつ。曼殊沙華組の本丸でもちょっとした騒ぎがあったらしい」
「と、いうと」
「親切りや。宮田士垂の息子が許可なく組を抜けたとか」
「ああ、その話は俺も聞いてるよ。ヒラならともかく……忠義の地獄花も一枚岩じゃなくなってきたか。時代だねえ」
「足抜けしたその息子ってえのも、行方知れずなんやと。どこぞでくたばっているか、はたまた逃げおおせたか。案外、一億の件に絡んでたりしてな」
「……考えすぎだろ。地獄花の連中が裏切者を野放しにするとも思えん」
そう返すものの、何故か脳裏をよぎったのは、朝方に怯えた顔を見せた、八戸の顔だった。
〇
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