四、
改めて青年は八戸に向き直り、快活な笑みを浮かべる。
見ようによっては八戸よりも年上に見えるが、まだ高校を卒業したばかりだと聞いて、思わず顔をまじまじと見つめてしまった。
「俺、小野善貴。この事務所ではバイトってポジション。もし高雄さんに手出されたら言ってね、良い弁護士さん紹介してあげる」
「おい、
「八戸です。えっと、大丈夫ですよ。高雄さん、優しいですし」
「良かったね高雄さん、ヤエさんがいい人で。怪我人なんでしょ。何か不便あったら遠慮なく言ってね」
大きな掌に握手を求められる。一瞬戸惑うものの、八戸は控えめにそっと、手を差し出す。
包帯でぐるぐるに巻かれた右腕を見て、善貴は拳を作って、軽くこつんと掌に当てた。少なくとも悪い人ではなさそうだ。
「――と、いうわけで、新開社から依頼を受けることになったわけだが」
事のあらましを説明し終え、高雄は飛鳥とトナミの反応を見る。
かたや既に諦念の表情を浮かべ、かたやあんぐりと口を開いて高雄を凝視した。
海崎からもらった書類には既に契約完了の捺印がされている。
契約破棄不可という念書のおまけつきだ。
「阿呆じゃんッ!なんでヤクザ絡みの案件受けちゃうかなあ。懲りろよ!」
「いやあもう、知りたくないことまでベラベラと教えてくれやがったもんだからよお。しゃーねえよなあ」
「海崎ってあの顔が綺麗ですっごく性格悪いニーチャンですよね!覚えてますよ。ど~せ顔ばっか見てて話聞き流すから足元すくわれたんだ、目に見えてらあ!」
「否定はせん。綺麗な顔は在るだけで心の保養になる。たとえ中身が悪魔だとしてもだ」
「このスケコマシッ!ろくでなし!見境なし!いい加減下半身に操を立てろッ!」
「頭痛が痛いと似たような文脈になってないか、それは」
「それで、手立てはあるんですか。相手は素性もまともに判明していない逃亡犯でしょう。見つけるのは骨ですよ」
「ヒントはゼロじゃあないさ」
飛鳥の質問に、高雄はすかさず切り返して、携帯している手帳をばらりと開く。
中には紙の切れ端だのチラシ類だのがばらばらと出てきた。
そのひとつひとつに大量のメモが記されている。つまんで拾い上げると、簡易的な地図だの、その場で走り書きした箇条書きだのと、あげていけば枚挙にいとまがない。
「海崎が少ない情報で探せって言うからには、連中はそう遠くまではまだ逃げきれていないんだろう。汚い一億を抱えてウロウロするのは目立つぜ。
だからひとまず、連中が逃亡に使ったと思われる車の情報から、市内のカプセルホテルやレンタルロッカー、駐車場の監視カメラを洗いざらい探した。当分はテレビやパソコンの画面なんぞ見たくないよ。目がしぱしぱする」
「よく見せてもらえましたね。シュヒギムとかあるんじゃないんですか」
「海崎をコキ使ってやった。美人や他の事務所の連中を顎で使うのは気持ちがいいぜ」
「成果のほどは?」 飛鳥が冷ややかな目で先を促す。
「昨日までは同じ車を使っていたそうだが、いい加減アシがつくとみて、車は捨ててるだろうな。最後に目撃されたのは市内の南西部。井江港付近で実行犯の一人らしい姿を見たって話を聞いた」
「早いですね、もう見つけたんですか」
「場所を大まかに特定しただけだ。元々数を動員してるんだ、警察が追い詰めるのも時間の問題さ」
「じゃあお巡りさんに任せた方がよくないですか?」
「アホ、だったら最初から
懐から煙草を取り出そうとした高雄の手から、善貴がシガーケースをひったくる。
視線でなじる高雄の横で、飛鳥が灰皿を音もなく遠ざけた。連係プレイ。と八戸は横でぽつりと感嘆の声を漏らす。
舌打ちを漏らし、高雄は続ける。
「一億の大金抱えてどうするかはさておき、連中は船で逃げると俺は踏んでる」
「船、ですか」
「警察が慎重に調査している間に、とっとと島伝いに逃げるつもりだろうな。
トランクで金を小分けにして逃げるんじゃねえのかねえ」
「でも、船で逃げるならもっと早くトンズラこいてそうなもンでしょ。ちょっともたつきすぎじゃないの、連中」
「そうはいかねえんだな、これが。言ったろ、一億抱えて逃げるんだぞ。連中のツラは割れてるし、小分けにしたってあからさまに厳つい荷物持ってんだ、井江港とかなら確実に荷物検査が入る。
最近シャブの密輸で大騒ぎになったばかりだからな、その辺りの検査がかなり厳しい時期だ。中身のゲンナマ見られたらしまいだから、数日は様子を見るさ」
「あるいは」 飛鳥が口を開く。
「本当の逃走ルート確保のために、あえて目立つ行動をとっている可能性もあります。迂闊に姿を見せたのも、ブラフかも」
「その線もなくもない。今から伝えるポイントへの張り込みは善貴に任せていいか。後で仁藤に話つけとくからよ」
「うえー、また車中生活かあ……」
「いいだろ、俺の車なんだから。食費は俺持ちだぞ」
「ハイハイハイやります!何日でも張ります!絶対捕まえます!ごはんバンザイ!」
不満げな表情から一転、子犬顔負けのきらきらした目で力強く頷くトナミ。
高雄の両手が、前のめり姿勢の善貴を座席に押し返す。
早速ぐぐう、と彼の胃袋が鳴った音を、八戸は聞き逃さなかった。
「俺はその間に主犯の中から、一億のウラと曼殊沙華組の件を洗う」
「ええっ流石に危険だよ、高雄さん!ヤー公に目つけられちゃいますって」
「私としても賛成しかねます。小野君の言う通り、危ない橋を渡る行為は控えて、実行犯の潜伏箇所の特定のみに集中すべきかと」
「別に直接潜ろうってんじゃねえよ。ちょいとリコリスの腹を探ってみたくなった。
俺としても、海崎があんな煽り方してまで確保したい一億……ちと気にかかるもんでね」
「劇物に手を出すと碌な事がありませんよ」
「小姑め。どの道、俺としちゃあ曼殊沙華の連中が関わってるって点で、放っておけねえんだよ。連中は、探られて痛くない腹なんて持ち合わせちゃいないしな」
「……曼殊沙華といえば、近頃きな臭い動きが見られます」
飛鳥が不意に口を開く。
テーブルの上のお茶の水面が、ゆらゆら揺れて、飛鳥の厳しい表情を歪めた。
「きな臭い?」
「
曼珠沙華の構成員たちが新みらいヶ丘を闊歩していたので、牡丹組と危うく一触即発だったとか」
「へえ~」
高雄は殆ど興味がなさそうに相槌打つ。
隣でお茶を飲んでいた八戸が噎せ込み、げほごほと咳に溺れるさまを見て、大きな手で乱暴に撫で回す。
「ミヤ……誰?」 と善貴が首を傾げると、飛鳥がすかさず説明を入れた。
「曼珠沙華組の副長ですよ。実質的なトップという話もあります。
組長である九松の懐刀というやつですが、腕っ節でも経営面でもかなりの手練であるとか。
私も顔は見たことがありませんが、大変に容赦が無く、恐ろしい御仁だとか。その顔を見て生きて帰れた者はいないという話です」
「物騒だなー」
「ま、依頼主だってんなら、尚更アイサツくらいはしておいて失礼はないだろ」
どっこらせ、とソファからゆっくり弾かれるように立ち、高雄は上着を掴む。
追いかけるように立つトナミと飛鳥に背を向け、高雄は気ままな足取りで玄関へ向かう。
振り返るすがら、高雄の手から車のキーが放りなげられ、宙を舞う。
弧を描くキーを善貴の手がはっしと握りこむと、「ナイスキャッチ」と剽軽に笑った。
「ほんじゃま、ついでに八戸と事務所の世話もヨロシク」
高雄はちらり、と青ざめた八戸の顔を見たが、何か言いかけて口を噤む。
そうして三人を残したまま、高雄は悠々と雑居ビルの階段を下りていく。
閉まった扉を睨みつけ、善貴は不服そうに一言不平を漏らした。
「………ついでで他人に頼むことじゃないだろ、事務所と怪我人の世話は……」
〇
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