二、


どん兵衛が空っぽになる頃に、来客は現れた。

一方的に告げた13時ぴったりに、玄関からインターホンが鳴る。八戸は咄嗟にソファの陰に隠れて、こっそり様子を伺った。


「やっほ、おこんちゃ」

「来て良いって言った覚えはないんだがな」

「来るなって言われた覚えもないんでね。おっ、どん兵衛食ってたの?いいなー」

「やらんぞ」


扉を開けて現れたのは、涼やかな顔立ちの、二メートルを超える青年だ。

彼が海崎であろうか、と青年を注視する。外は六月の猛暑にも関わらず、汗一つかくことなく、青年は「どうも」と微笑んでずかずかと入室し、ソファを陣取った。

黒く長い髪をポニーテールにまとめ、テーブルを挟んで反対側のソファに座った高雄を相手に、「早速だけど」と口を開く。


「高雄サン、お仕事頼んでいい?電話でも言ったけど緊急なんだよね」

「俺は電話なんて聞いてないぞ。前も言ったがな海崎、俺は昼の十二時から二時間は電話に出んと決めてるんだ」

「あれ、さっき出たじゃん。そうやって下手な嘘でしらばっくれんの、やめない?」

「嘘は言ってない。電話を取ったのは別の奴だ」


訝る海崎の目が、高雄からソファに移り、ひょっこりとソファの背もたれからはみ出た亜麻色の毛先を捉える。

海崎はがたりと立ち上がると、ソファの裏手に回り、隠れていた八戸を見るなり「あ」と声を上げ、にやあっと笑った。拾われた捨て猫を見つけたみたいな顔だ。


「この子が電話取ったわけ?ふーん、可愛いね。高雄さんの子?」

「ンなわけあるか、こんなでっけえガキ産む歳になるほど老けた覚えはねえよ」

「じゃあ何?愛人?ねー名前何て言うの、キミ。そこのおじさんにいじめられてない?」

「おい、ちょっかいかけんな。可哀想だろ。八戸、こんな奴無視しろ、ろくなことせんぞ」 

「え、あ、はい、ごめんなさい、ちょっかいはやめてもらえますか」

「なんて教育してんだよ、若い子にさあ」


八戸へと伸ばしかけた海崎の手を、乱暴にべしっと叩く。

叩かれた手を摩る海崎に、高雄は席に戻るようソファを指さす。

海崎はあからさまに不服を含んだ視線を高雄に向けたものの、すんなりと座席に戻っていく。

八戸は身の置き所を失い、おずおずと高雄の隣へ逃げ込んだ。


「愛人じゃないなら何なのさ」

「面倒だから甥っ子ってことにしとけ。それで、話ってなんだ」

「高雄サン兄弟いないでしょ。一人っ子ってツラじゃんね」

「いいから話を戻せ、何の用だ。金になる仕事なら受けてやる」


苛立ちを露わに、高雄がぴしゃりと言い放つ。

興を削がれた表情を浮かべるものの、海崎は手鞄から書類の束と、写真を何枚か差し出し、ガラステーブルに広げる。

書類は依頼取り扱いに関する機密事項や誓約書などのほか、個人情報と思わしき内容がつらつらと記載されている。

写真の被写体は全て人間だ。どれもこれも正面から撮影した、随分と人相がいいとはいえない、派手な出で立ちの男が数人ほど写っている。

高雄が写真を手に取ると、海崎は口を開いた。


「リコリスカンパニーの窃盗事件は知ってる?テレビでも散々やってるけど」

「テレビでもやってましたね。現金一億円でしたっけ」

「そ。主犯と実行犯の四人でやらかした大事件。犯人は未だ逃亡中」

「まさかとは思うが、その犯人を捕まえろなんてほざくんじゃねえだろうな」

「そのまさかさ……なーんてね。犯人を捕まえるのは、俺の会社に依頼かけてきた依頼主だから」

「そこは警察じゃないのな」


その一言を置いて、事の顛末を語り始める。

リコリスカンパニーは製薬・化粧品の製造と販売を担う会社だ。

本社は愛知県に属しているが、中四国地方を中心に支店を増やし、様々な企業とも提携している。

最近はテレビでもトリートメントのCMで目に付く機会が増えているため、化粧品を買わない男性でも会社の名前くらいは知っている程度だ。

今回の現金窃盗事件の実行犯四人は、支店の末端社員であるという。

奪われた現金が一億という大金であること、現金の搬出から運搬、逃走に至るまでの一連の犯行から推察するに、計画的なものであることは明確だ。


「高雄さんに頼みたいのは、この四人の中にいる主犯の特定と、彼等の潜伏先の特定。欲を言えば盗まれたゲンナマも見つけてって頼みたいけど、潜伏先の特定を優先でお願いしたいかな」

「……随分無茶を言ってくれるな。相手は警察組織が見つけられない連中だぞ」

「だから数動員して頼んでるんでしょ。うちの会社に依頼が来たんだけど、社員数割けないってんで、こうして俺が外部で集めてるわけよ」

「警察に任せる話じゃないのかよ。相手がやくざ者ってならともかく……あ」

「気づいた?」


海崎は懐からシガーケースを取り出す。

「おい、吸うな」と高雄が諫めるより早く、一本取り出し、ライターで火を点ける。

バニラ風の甘い匂いがむわりと漂い、そのくどい甘味を嗅いで高雄の鼻筋に皺がよる。

八戸がダイニングにあった灰皿を持ってくると、ありがとね、と海崎は礼を告げて、短くなった煙草をぎゅっと灰皿に押し付けた。


「まだウラは取れてないんだけど、実行犯のうちの一人が曼殊沙華組の構成員だって。末端も末端らしいけど」

「曼殊沙華組?」

「愛知の極道だよ。噂じゃ呪殺とか暗殺代行とか請け負ってくれるんだと」

「それは知ってる。連中のあこぎなやり口もな。

だがやくざ者がカタギから一億かっぱらうなんて、思い切ったことをするもんだ」

「それが問題なんだよねえ」 海崎は己の顎を撫でた。

「リコリスカンパニーって、曼殊沙華組と蜜月関係にあるって噂らしくてさ。資金洗浄に使ってるって話も聞いてるし。まあ半分クロじゃないかって思うよ。どうもその一億って、聞くところによると出自不明の一億なわけ。多分ね、それ、曼殊沙華組の私的な一億で、リコリスカンパニーに預けてるもんなんじゃないかなって」


成程ね、と高雄は眉一つ動かさず言葉を飲み込む。

一連のやりとり、その中に現れる「曼殊沙華」の単語に、八戸の肩がぴくりと跳ねる。

会話に集中している海崎と高雄が、そちらに視線を向けることはない。

海崎は写真の顔をとんとん、と軽く小突いた。


「もし構成員だって事実が本当なら、そいつは親裏切って、親の金持ち出してトンズラってことになるな」

「そ。しかもその一億が未だロンダリングしてない汚いお金だとしたら、マッポには絶対その一億、確保されたくないっしょ」

「だから先に連中を確保して、一億を一足先早く取り返したいってわけか」

「そーいうこと。そうとうトサカにきてるみたいでさ、誰が主犯か、って話も重要なの」

「……おい。なんでここまで話した?」

「依頼主も”そういうこと”だよ。急ぎなのも分かるでしょ。時間制限つき。燃えてこない?」

「謀ったな、お前。今日はよく舌が回ると思ったぜ」


三白眼を険しく吊り上げる高雄に、にんまり、と海崎は唇を歪ませる。

海崎は先に情報の大半を共有することで、依頼主が何者であるか、そして消えた金の正体とその危険性を明示した。

即ち、知りたくなかった事実まで予め明かした上で、海崎はこう言っているのだ。

「知りすぎたからには、協力しないと、お前も闇に葬られる対象に入るのだ」と。


「曼殊沙華組の怖さは俺もよ~く知ってるよ。で、受けてくれるよね?高雄サン」

「……報酬次第だ」

「前金は予算込みで50万。成功次第では後金に50万。どう?」

「安いっつの。上にかけあってあと30万ずつ上げてもらえ。お前も危うい首なんだろ、こんな話受けるってことはよ。違うか」

「やだなあ、ちょっと前におイタした分を返上させてもらってるだけだよ。で、受ける?俺あと二人くらい人集めないとなんだよね」

「どうせ降りるのはナシなんだろ」

「先月一人、顔を剥がれた死体が上がった話、知ってる?その死体も探偵さんだったよ。まだ若いのに可哀想だよね」


じゃあ、よろしく。

海崎は手を振って、悠々と事務所を後にした。バニラの濃厚な甘い匂いだけが後に残された。

八戸はおろおろと、高雄の顔と玄関を交互に見やって、小さい声で尋ねる。


「あの、僕達、もしかして変なことに巻き込まれてます?」

「その通りだよ。残念ながら、俺が下手をこいた場合、瀬戸内海の魚の餌になる」


はあ、と深く溜息をついて、いつも胸ポケットにしまっているシガレットケースを引っ張り出す。

隣の八戸に「もう一本いいか?」と問い、八戸は首を縦に振って灰皿を差し出す。

換気扇をオンにして、セブンスターに火を点ける。

甘い匂いを塗り替えるまで、高雄は無心にタバコを吸い続けていた。



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