夜中に起きる回数が増えると、自然と昼は眠くなる。

かと思えばそうでもなく、日差しが肌を焼いてヒリヒリと痛むので、かえって眠れる時間は少なくなっていった。

日焼け止めを塗る宿主達が増え、どの会社のどの日焼け止めが効くだとかで相談しあったり、厚着をする宿主達の姿が増えた。

はたかは日射光による肌の痛みこそ訴えはしなかったが、その分、火傷のような現象を度々引き起こしていた。

本人は「痛くない」というものの、ダメージそのものは受けているだろうことは予想出来た。当分、はたかは昼間に寝て、夜に活動する昼夜逆転スタイルに変更していた。

自然と、夜中に目が覚めると、はたかと顔を合わせる回数が多くなった。

眠気が吹き飛ぶと、スクティラの水槽に向かい、はたかと他愛もない話をした。

足名の死を未だに引きずっているのか、彼女は度々、ノートを見返しているらしかった。


「実を言うと、あまり眠りたくないの。怖い夢を見るから」

「怖い夢?」

「子供の時の記憶とか、学生だった頃の嫌な思い出とかが、ぶわーって波みたいに押し寄せてくるの。

 記憶の前後もしっちゃかめっちゃかで、知らないはずの記憶も流れ込んでくるし、

 ずうっと鼻の奥がつうんとして、心臓がばくばく痛くて、抜け出したいのに呼吸が出来ないの。

 もしかしたら溺れているのかなって目を開けるけど、やっぱり夢の中にいるの。

 水の中でもがくみたいに、網膜が水に浸ってる感じがしてさ。寝ても覚めても酸素が足りないの」

「それは……苦しい夢だね。でも、寝ないとだめだよ。体に障るから」

「分かってるよ。でも嫌なの。

不思議だよね、寝なくてもあんまり何ともないんだ。

お腹もすかないし。瀧くんといると、いきなり眠気がくるんだけど……」


この日も、はたかは唐突に眠気が深まってきたのか、ずる、と小さな体が傾く。

腕で抱き留めて、ゆっくり太ももに眠たげな頭を降ろしてやる。

「寝たくない」と呻くか細い声に、「それでも寝たほうがいいよ」と返す。

跳ね放題の髪を指ですくと、するすると指の間をすり抜けていく。触り心地がよくて、何度かすいていると、寝息が聞こえ始めた。

ノートが彼女の膝の上からずり落ちそうになり、咄嗟に手で受け止める。

ぱらぱらとページが開く。好奇心にかられ、持ち上げて、中身を開く。

ノートを見るのは、この大学棟に来て説明された時以来だ。


「(皆、けっこうマメに書いてるんだな。俺もちゃんと書かないとなあ)」


ぱら、ぱらと開く。

色んな筆跡が、ノートの上で群れのように入り乱れるさまは、水族館の大水槽を思わせる。

文字は人柄や性格が出る。

固くてぴっちりした字、細くて流れるような字、丸くて甘そうな字、几帳面に写経したような字、斜に構えたようにななめを向いた字、様々だ。

どれも、タコが生まれた時のことだったり、日々の行動、好んで食すものなどについて記している。

可愛い落書きもあれば、精緻なスケッチもあり、ノートを閲覧した教授たちのコメントが寄せられていることもある。微笑ましく、平和な光景だ。


「……これ……」


読み進めるうち、妙に一人の書き込みが多いことに気づく。

書き込みの大半は横書きだが、コウヤが着目した字の持ち主は縦書きを好んでいるようだ。

少し読みづらい、高齢の人間が書き連ねるような崩し字である。

――この字を書き連ねていたのは、足名ではなかろうか。

コウヤはふと閃いて、ノートをはじめから読み返す。

足名老人の書き始めは、四週間前から始まっていた。


彼の元に「てな子」が現れた日は、ちょうど妻の三回忌を迎えた朝であったという。

むずむずと痒いので左足を見やると、妙な水ぶくれが出来ており、針で刺して潰そうとした矢先であったという。

最初こそ驚いたものの、タコはそう嫌いではなかったし、独居であったために寂しさを紛らわせる気持ちもあったらしい。

けれど、近所の神社へ散歩に出かけた際、神主に「てな子」を見咎められたらしい。

「そのタコは不吉だ、今に災いを呼ぶ」と指さされ、憤慨して帰宅したという。

その後、ヒフダコ病の話を耳にし、さほど近くに住んでいたこともあって、大学に赴いたと独白が記されている。


その後、足名なりにタコについて詳細を書き連ねつつ、調べていたようである。

特徴は概ね「由美子」と変わらない。

空中を泳ぎ、イモ類や刺身を好み、スクティラと出会って以降は意思疎通も可能になったという。

差異があるとするなら、足名は絵を嗜み、てな子も彼の絵を好んだことだろう。

現にノートに糊やホッチキスで添付する形で、スケッチブックからちぎり取ったらしい、彼のスケッチが何枚も見受けられた。

タコだけでなく、遠目から見た他の宿主達の姿もある。


「(わ、あの爺さん、すっごい絵上手いなあ……もっと話せばよかったな……)」


けれど日を追うごとに、人間のスケッチは減り、代わりにタコやスクティラ、河川や高所から見る海、山などの風景が増えている。

それに加えて足名の記述は、どんどん自閉的かつ譫妄ともとれるような、支離滅裂めいた内容が目立つようになっていた。

悪夢を思い出した順に書き連ねていくかのような無秩序ぶりで、その下には読み移した文章を連ねたようなメモがつらつらと流れていた。



新みらいヶ丘市には八つの主たる山とその土地に区分され、狭い土地でありながら其々が独立した伝承を持つ。

どれもが山あるいは河川にまつわる内容であり、登場する怪物には八の頭を持つ怪物や八を冠する名の怪物が多い。

(唯一九の名を冠する怪物もいたが、こちらはかなり資料が少ないため参考にはならなかった)


怪物は大抵女性や子供を贄として求め、かなわなければ嵐を起こして家屋や畑を吹き飛ばす。

害を為す怪物たちは、選ばれた若く猛き青年により、頭部や体を切り分けられて退治されるという話がほとんどだ。


そのルーツを辿れば古事記の八俣遠呂智やまたのおろち退治や九頭龍くずりゅう伝承にいきつく。

上記の怪物はいずれも山ないしは河川、水を司る神とされ、荒御魂あらみたまとして鎮められ神社に奉られている。

残された記録を遡る限り、新みらいヶ丘市は採石や製鉄で栄えていた時期があった。

土地にそれぞれ残る伝承の怪物は、製鉄による水質汚染や河川の氾濫、土砂崩れを象徴化したものではないかという考察が有力である。

また現存している当時の絵画録によれば、大型の生物、特に巨大蛇や日本狼、はたまた蛸に類似する生物が存在していたことを示唆する絵図が多く残されている。

新みらいヶ丘市内の土地は肥沃で外敵が少ない環境であったために、当時はこのような生物たちが実在していた可能性がある。

(注釈:タコは海洋生物であり、淡水を嫌うため汽水域には棲息していない。そのため絶滅した淡水生物としてのタコがいた可能性をここに記す)


現代(201X年時点)で新みらいヶ丘市の海域にタコは棲息していないとの調査結果が出ている。これは蛸の捕獲量を誇る日本において非常に珍しいことである。

しかし市内のえびす山中にある「八王寺」という寺には、海から這い出て寺にて尼僧に化け、修行を積みやがては仏に至ったとされる化け蛸の伝承が残されているという。



メモの横には、尼の姿をした美女の姿が描かれている。足名が描いたものだろう。

その顔立ちはどこか、はたかに寄せたかのようにあどけない女性の顔立ちで、しかし法衣の下からは隠しきれないタコの足がにょろりと出ている。

足名の描く女は、どこか骨や人としての輪郭を抜き取って、筋肉が作り出す曲線美を表に出したような艶めかしさと、ねっとりと平面的な美を醸し出している。

尼僧は両手を合わせ、こちらを見据えて念仏を唱えている。


フングルイムグルナフクティーラウガナグルフダグンルーイエイアイア。


同じ言葉を何度も繰り返し唱える尼僧の姿は、見ているうちに不愉快な胸やけを覚え、思わずノートを閉じる。

なぜこのようなものを書き残したか定かではないが、見れば呪われる、といわれる手紙を見てしまった時の不快さに似ていた。

すう、すうと寝息を立てる、はたかの顔をそっと撫でる。ライトをもっと絞ると、彼女の肌がもっと透明に透けていくようだった。

少なくとも、はたかに尼さんの服は似合わないだろうな。ぼんやりと眠気がまとわりつき、いつしかコウヤは重たい瞼を閉じていた。


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