⑫
「いやあ、派手にかましたねえ」
素直にロッカーを破壊したことを告げて、五分後。
真っ先に駆けつけた
外から力強く閉めたために、鍵も蝶番も歪んでしまい、もはや二度と開けられないことは火を見るよりも明らかだ。
当の破壊したコウヤは、珍しくしょげた顔で三堂を見やった。
「すんません。弁償します」
「いいよ、いいよ。わざとじゃないんだろう?
どうせ古いロッカーだったし、上に頼んで買い換えてもらうとするさ」
三堂は叱るでもなく、責めるでもなく、茶目っ気たっぷりにウインクする。
彼も雨の中を走ってきたのだろう、いつもの撫でつけたようなオールバックがくしゃりと崩れて前髪が降りていた。
それよりも、と三堂はコウヤと由美子に向き直る。
「君は元々怪力な方かな?」
「ん-、人より腕力はあると思うッス。前の仕事も今も、重労働が多いんで。
でもロッカーを壊したことはないッス」
「ふむ。扉を見た所、グーで殴ったようには見えないが」
「あの、力強く閉めちゃったらこうなっちゃって」
なるほどね、と相槌をうち、三堂はタオルを被って髪や顔の水気を拭きとる。
それ以上は追及することもなく、「これが人じゃなくてよかったね」と大きな声で陽気に笑うだけだ。
けれどもコウヤの表情が硬い事に気づき、きゅっと唇を引き締めるような笑みに切り替わる。
穴の開いた掌を見下ろして、コウヤの目が不安に揺れた。
「前々から、ちょっと変だなとは思っていたんスよ。
手先がやけに冷たいな、とか。
日差しやお湯ですぐ体がひりひり熱く感じたりとか。
しまいには、軽く閉めただけなのに金属のロッカーがひしゃげちゃうし」
由美子が心配そうに、宙をふよふよと浮かぶ。
すっかり成長した由美子は、コウヤの頭よりも大きな体になっていた。
ぷよぷよに柔らかい頭を潰してしまわないよう、そっと撫でる。
ゼラチンのように冷たい由美子と、自身の体温の違いが、分からなくなり始めていた。
「俺の体、どうなってるんスか」
そうさな、と三堂は濡れたスーツを脱ぎ捨てる。
四十路と聞いていたが、知的な顔には似つかない、まるでアスリートのような体格を曝す。
シャツに着替えるすがら、背中の皮膚に、弾痕のような傷跡が、放射状に広がるように這いつくばる様が見えた。
「君と由美子くんは、他の宿主やタコたちよりも長く付き合いがあるそうだね。
通常タコは一ヶ月程度で消えてしまうが、由美子くんはもうすぐ四ヶ月になる。
それでも消えるどころか成長を続けて、君と良好な関係を築いているわけだ。
私達にとって、まさに君達はイレギュラーだ。
そして君達が来て以降、他の宿主やタコたちにも変化が出ている」
「そうなんスか?」
「ありていにいえば、元気のなかったタコたちが成長をし続けているんだ」
不思議なことにね、と三堂は付け加える。
「スクティラも、起きている時間が増えた。
今までは八王寺くんとコミュニケーションをとる以外、殆ど睡眠をとっていた彼女がね。
まるで君がトリガーだったみたいに。そこで考えてみたんだが」
シャツと乾いたスラックスに着替え、三堂は手で髪をすいてオールバックを整えた。
黒にわずかな焦茶色のまじる目が、鏡越しにコウヤと視線を合わせる。
「タコは、君たち宿主を通して進化しているんじゃないかな」
「進化?」
曰く。コウヤの中で印象は薄いが、スクティラは元々あまり能動的な活動を行わない。
日本全国規模にマインドコントロールを行い、自身の存在を出来るだけ知覚させないよう能力を使うとなると、多大なエネルギーを使うらしい。
実際、その能力は軽度の現実改変すら引き起こしかねないほどの強大な力だが、その代償としてスクティラは殆どを睡眠と食事で補っている。
ただし、彼女(と仮に呼称する)のエネルギー補給は単純な食事だけでは補いきれない。
そのためスクティラが取った手段が、繁殖という手法だ。
端的に言えば、自身と精神が適合しやすい人間――宿主を選出し、自身の端末たるタコを生成させる。
宿主達が選ばれた証が小さなタコたちであり、小さなタコ達は同時に端末の役目をはたしている。つまり、タコ達はスクティラの分身だ。
だが端末は長持ちしない。内臓を移植する時と同じく、適合率というものが存在する。つまりは相性だ。
大抵の人間は、自分の体からタコが発生したら、普通は怯えるなり驚くなりして拒否してしまう。故に端末は拒絶反応を受け、すぐに消滅してしまう。
コウヤが長く
更に加えるなら、と三堂は告げる。
「君と由美子くんという端末から、スクティラや他の端末たちは生存のための知識を受信しているんじゃないかな」
「と、いうと」
「由美子くんたちをはじめとした端末は、元を辿ればスクティラの一部だ。テレパス能力のことを考慮すると、互いに知識や情報を共有できるとしてもおかしくはない。
とあらば、君という端末所有者の立ち振る舞いや精神状態を学んで、他の端末がより長く生命を維持できるよう、急速に進化しているんじゃないか……ってね」
三堂は片眉を釣り上げ、「出在くんの考察も込みだがね」と付け加えた。
「現に、タコの消滅数は、君がここに来てからぴたりと途絶えた。もしかすると、さらなる変化がみられるかもしれないね」
更衣室を出る。雨風が怒り狂うように荒れて、紋田山や敷地内の木々を激しくゆさぶる。
鉄球を板の上で転がすみたいに、ごろごろと雷雲が鳴る。
時折、ずぅん、ずぅん、と響いて、空がかっと白んだ。
三堂の喉奥がヒュッ、と凄まじい音をあげ、眼球が零れ落ちそうなほど目を見開き、「うぎゃああああああああっ!」と叫んで駆け出していく。
コウヤもその悲鳴に驚いてギョッとし、駆け去る三堂を見送る。
ホラー映画の怪物に遭遇した被害者ですら、あんな悲鳴はあげないだろう。
数十秒ほどして、とぼとぼと三堂が照れ臭そうに、来た道を戻ってきた。
「いかんな、どうも雷の音と光は慣れん」
「怖いんスか、雷」
「昔からどうにもトラウマでね。それはともかくだ。
どこまで話したっけ、ああそうだ、八王寺くんの件だね。
八王寺くんは君が来て以降、格段に精神状態が安定していると今鵺先生はおっしゃっていた。
もしかすると、旧知の仲である君の存在がプラスになっているんじゃないかと私は思うわけだ」
「流石に考えすぎッスよ」
「端末たちが影響を受けているなら、少なからず母体のスクティラも影響下にあるはずだ。
スクティラの精神は八王寺くんと繋がっていることを考えれば、彼女が心身共に健康であるほど、スクティラも健康になる。
現に、積極的にインタビューに応じたり、実験に対しても能動的な活動が徐々に見受けられてきた。
で、だ。スクティラが活発になった際に、より深く人間と精神波をシンクロさせるとしたら、端末である君達が相互的に肉体ないしは精神的な変化を及ぼす可能性も……」
と、つらつら自身の考察を述べながら歩く三堂。
だが刹那、ガラスが砕け散るような音と、女性の金切り声が響く。ランだ。
ぎょっとしてコウヤは三堂と目配せし、声の元に急ぐ。
悲鳴の元は、四階にある多目的室であった。急ぎ足で向かい、扉を開けて、コウヤは息を飲む。
「やめなさい!なにしてるのよ、おじいちゃんッ!」
「ランさん、腰の方を持って!足だと落ちる!」
「早く止めなきゃ!先生、おじさん、手伝って!!」
広い多目的室の、大きな窓ガラスの一つが割れて、年老いた男が窓の向こうに身を乗り出していた。
獣の咆えるような声で男は喚き散らし、意味をなさない言葉を絶えず繰り返している。
ランと真矢、三好がどうにか男の体を支えているものの、膝から先は既に建物の外だ。
その上、男が激しく暴れるために、今にも外に落下してしまいそうだ。
「あのままじゃ落ちるぞ!」
「三堂先生、そっちお願いします!」
コウヤと三堂がすぐさま駆け寄って足を掴むと、「いっせーので」と力の限り男をたぐりよせた。
男は顔や体の至る所をガラスで切っているものの、命に別状はなさそうだ。
その顔を見て、さっと血の気が失せた。
殆ど会話をしたことはないが、見覚えのある老人だ。確か宿主の一人であり、名を足名といった。
「……ングルイムグルナフクティーラウガナグルフダグンルーイエイアイアルーイエフングルイムグルナフクティー……」
「一体どうしてしまったんだい、彼は」
「分かんない、いきなりこうなったんだ。俺達も突然のことで……」
ぜいぜいと息を切らし、涙目になりつつも、三好は顔をぬぐって足名を見やる。
死にかけの蝉みたいに、足名は仰向けになったままじたばたと藻掻いている。
コウヤとランと三好で、どうにか体を抑えつけているだけでやっとだ。
枯れ木のような手足と体なのに、どこからこんな怪力が出るんだ?
しばらく抑えつけていると、足名は体力が尽きたのか、そのままぐったりとノビてしまった。気絶してしまったらしい。
「足名さんは、確か70歳過ぎのはずだ。私たち三人相手にここまで暴れるなんて、元は軍人かなにかだったのか?」
「いや、彼は現役こそ消防士だが、もう二十年も前に現役を引退しているし、スポーツ経験はない。それにヘルニアを患っているはず」 三堂がすかさず答える。
「今ので悪化しちゃってないかな?死ぬかと思っちゃった」
「とにかく、すぐ救急車呼ばないと」
青ざめた七生とランは、その場でへたりこんでいた。
こと二人にとってはショッキングな光景だっただろう。
三堂が三好に事情を尋ねる横で、コウヤは多目的室を見回し、あっと声を上げる。
「はたかちゃん!?」
視線の先には、俯せに倒れるはたかの姿があった。
急いで駆け寄って抱き起こすと、額に大きな切り傷が出来ている。ガラスで切ったのだろう。
けれど、その傷から滴る血の色に、コウヤは目を奪われる。見慣れた赤色の代わりに、鮮やかな青色が、切り傷からつつぅ、と伝う。
海の色だ、と唇の動きだけで呟いていた。
傷口を指で咄嗟にぬぐった矢先、その傷口がみるみる塞がっていき、綺麗に痕すら残さなかった。
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