新みらいヶ丘市はとにかく、山が多い。

外周の約五分の三、市の中心部から見て東北から西南西にかけてを大小ことなる山々が連なり、実にその65%が元鉱山だ。

江戸時代から銀をはじめとする鉱物が多量に発掘され、昭和後期に閉山するまで、数多くの珍しい鉱石も採掘されていた。

閉山した鉱山は第二次世界大戦後以降、再開発によって新たな住宅街や娯楽施設、そして学校機関がいくつか設立された。

その一つが「門大」である。


「ここが、私立門代大学もんだいだいがく……でっかいッすねえ~……。門は小っさいけど」


私立門代大学。

多くの学部と広い敷地を有し、約三百メートルはある紋田山をのぞむ。

文理合わせて、実に十五以上の学部と研究部を持つ、地方大学にしてはそれなりに大きな大学だ。

門と名の付く施設だが、いざ正門を見やれば意外とこぢんまりとして地味であることが、この大学の持ちネタであると、以前はたかから聞いたことがあった。

実際目にしてみると、本当にこぢんまりとして地味だ。

言い換えれば趣というものがあるのかもしれないが、もう少し名前負けしない正門にすればいいのに、とコウヤは思う。


「瀧くん、こっちこっち」


正門の警備員から見学証を貰うと、ほど遠くない場所ではたかが待っていた。

だぼだぼのサマーパーカーを羽織り、下はホットパンツにスニーカーという出で立ちだ。

服の丈があまっているせいか、最後に会った時より、やや痩せたように見えた。

亜麻色の、相変わらず個性的な癖っ毛がみょんみょんと右へ左へ揺れながら、ぴたりとコウヤの顎の下あたりで止まる。


「久しぶり、はたかちゃん。痩せた?」

「ふつーだよ。随分会ってなかったもんね、瀧くん。由美子ちゃんは?」

「こっち」


警備員や通行人に見えることがないよう、そっと掌を見せる。

ぷっくり丸い膨らみが軽く飛び出して、ゆっくりと回転し、タコの目玉がちらっとはたかを見やる。

はたかはコウヤの手を軽く握りしめて、にっこり笑った。


「はじめまして、由美子ちゃん。私、はたかです」

『はたか、はじめまして』


途端。コウヤの頭の中に、かわいらしい女の子の声が響いてくる。

ワッと思わず声を上げ、通りすがった貧相な顔つきの青年がつられて悲鳴を上げ、じろりと睨まれた。

すいませんと青年に謝りながらも、コウヤは再び視線をはたかと掌に向けざるをえない。

今の声はどこから?まるで自分自身の内側に音源がセットされていて、内側から反響するかのようであった。


「もしかして今の声……由美子?」

『ゆみこだよ』


再び声が聞こえてくる。

目を大きく見開いて叫びそうになり、人目があると思い出して一気に声をひっこめた。

心臓が改造バイクのエンジン顔負けな鼓動を打ち鳴らしている。

まさか――頭の中で話すことまで出来るとは!仕掛けはさておいて、コウヤはすっかり驚きながらも舞い上がっていた。

はたかは苦笑いし、「行こっか」と声をかけると、由美子が縮こまっている掌をそっと隠すように握って歩き出した。


「なんで由美子と話せるようになったんだろう」

「それだけ瀧君が、由美子ちゃんを愛情たっぷりに育ててあげたからじゃない?」

「そっかあ……愛の力かあ」

「まあ、半分は私のせいもあるけど」

「がっくし。でも確かに、はたかちゃんが挨拶したら急に喋ったものなあ。なんでだろう」

「さあ、なんでだと思う?答えは目的地にあるよ。

 迷子にならないように、しっかりこの学校の中を案内してあげるからね」


明け方に雨が止んだばかりで、土もまだぬかるんだまま、アスファルトも黒く濡れる道を歩く。

紫陽花が露に濡れる午前。今日も蒸し暑く、湿気た風が木々を揺らす。

敷地内は坂道だらけだ。山を切り拓いて敷地を徐々に拡大しているため、現在も建築中の施設さえあるほどだ。

敷地内は通称「大通り」と呼ばれる4つの道路によってブロック分けされており、「桜地区」「シャラ地区」「萩地区」「梅地区」などと生徒たちに呼ばれている。

それぞれ地区ごとに植えられた樹木や花になぞらえているらしい。

時期とブロックごとに見られる景色が違うためか、「観光地大学」なんてあだ名をつけられているそうだ。


「正門から入ってすぐが新8号館。そのすぐ上が教育4号棟で、奥に向かうごとに棟の番号が大きくなるの。もうすぐ9号館も建つ予定」

「建物ばっかりだ。俺、大学に来るの、進学説明会以外では初めてかも。

あの遠くにあるでっかい建物は?」

「あれは総合体育館。その隣に見えるのがゴルフ場ね」

「ゴルフやるの。大学なのに」

「アーチェリー場もあるくらいだし、色々好き放題建ててるみたい。

 グラウンドも3つあるのよ。それから桜地区、ああ東側の方ね、幼稚園と中学校があるんですって。私は行ったことないけどね」

「……右手にある、あの山も敷地内なの?もしかして」

「ぎりぎりね。あの山の向こうが隠渡町っていう田舎に続いているの。覚えてる?二年くらい前に夏祭りでお店出したの」

「ああ、百合ばっかりの町だっけか。あの年はお世話になったお医者さんに「美味いから」って百合根ばっかり食わされたっけ」 


コウヤは当時を思い出して苦笑いする。

はたかも曖昧に笑って、「でも美味しかったよね」と相槌を打つ。

いくつかの大学棟を通りすがった際、ガタンゴトン、と電車の音が聞こえた。

「電車?」とコウヤが呟くと、はたかが「下を見て」と促した。

萩地区とシャラ地区を繋ぐ大きな橋から見下ろすと、大学の敷地の真下を通るようにして、線路が敷かれ、電車の車両がのんびりと走るさまが見える。


「電車が通ってる!」

「去年開通したばかりなんだよ。山を隔てた町が多いから、市内各地に線路を開通しているんだってさ」

「すげ~……もう町じゃん、これ」

「幼稚園から大学院、研究施設、なんでもござれだからね」

「住めるじゃん。いいなー、でも家賃高そう」

「ここに入学したら、半額で住めるって。敷金もなし!」


二人の足は、徐々に人気が少なく、代わりに木々が生い茂る森の方へと向かっていく。

夏の午前だというのに、高い木々の梢が日差しを塞いで、しっとりと冷えた空気が漂う。はたかは「萩地区は農学部の敷地内だからか、あまり人がいないの」と補足する。

歩くうちに、分かれ道が二人を出迎えた。こぢんまりとした古い茶色のポストが、分かれ道の右側にぽつねんと佇んでいる。

その隣に真新しい看板が打ち立てられ、「この先解体予定地のため、関係者以外立ち入り禁止」と書かれてある。

しかしはたかは、その看板を無視して、奥に進む。

コウヤは片眉を上げて首をひねるものの、少女の手に引かれるまま、先へ進む。


「ねえ、いいの?関係者以外立ち入り禁止、ってあったけど」

「いいのいいの。私達は関係者だから」


遠目には工房や古い大学棟、それに使われていないプールが見える。

道の半ばまで進むと、案内板が立てられていた。ここでは牛や馬、ヤギなどが飼われているらしく、厩舎が複数あるようだ。生徒は担当する厩舎以外には決して近寄らないように、と注釈されてある。

また、大学棟はふたつあり、一方は医学・獣医学部、もう片方は農学部が主に使うようだ。しかしどちらも新校舎が建てられたため、使うことはもうないそうだ、とはたかは言う。

はたかは医学・獣医学部の古い大学棟へと、コウヤを連れて踏み込んでいった。



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