③
〇
はたかが知る限り、タコの発生は世間で奇病の類として報道されているのだとか。
マスメディア上では「ヒフダコ病」と呼ばれているらしい。
ネーミングセンスはいただけない。
「ヒフダコ病はね、日本国内のみで確認されている病気なの」
「海外じゃ発症例がない、ってことか」
「そう、しかも年齢もバラバラだし、性別とかも関係ない。どうして罹るのかも分かってないの」
約三ヶ月ほど前から、新みらいヶ丘市を中心として、全国各地でその出現が確認されている。
初期症状として、人体の一部に「八」の字が浮かび、ピンポン玉サイズの大きさ程の出来物がぷっくりと出来る。
出来物は丸一日かけて居座り、ぽこんと人体に凹みをつくって飛び出し、小さなタコの形をとる。
このへこみや穴には痛覚や痒みなどはなく、化膿することもない。
皮膚がその穴にぴったり沿うように覆っているためだ。コウヤの掌に空いた穴と同じであるらしい。
発生したタコは数時間から数日にかけて宙を漂うものの、やがて徐々に萎んで消えてしまうのだそうだ。すると、穴の凹みは消えて、肌は元に戻るらしい。
この出来物を不気味がったとある青年が、最寄りの皮膚科を頼った矢先に「ヒフダコ病」の出現が確認されたことが始まりだそうだ。
穴の凹みと、出来物がタコに変化すること以外は、特に健康面でも問題ない。
けれどこの奇妙な現象は全国で確認されているためか、マスメディアでは「人類の進化の兆候?」「新たな皮膚病はパンデミックを引き起こすか?」と大々的に取り上げているそうだ。
「へー……俺あんまりテレビ見ないからなあ」
「ラジオも聞かないの?」
「俺、子供科学電話相談と、音楽聞く時くらいしかラジオ使わないし……」
「そ、そう……」
現在は新みらいヶ丘市の「
遠方の人間でも、治療費や交通費を大学側が負担してくれるというので、訪れる人が後を絶たないそうだ。
現在は大学のスペースの一部を利用し、患者たちが集団生活を送っているとのことだった。
「はあ~、全然知らなかったッス。田舎町ばっかり巡ってたから……」
「ヒフダコ病はしばらくすれば、ほとぼりも冷めると思うけどね。瀧君も、そういう人を見かけたら声をかけておいてくれる?」
「ああー、うん……」
非常に反応に困った。
なにせ病気ときた。数日あるいは数週間でタコは消えるとの話だが、由美子は今もモリモリと生のジャガイモを貪っているし、ルービックキューブを手離そうとしない。
萎む気配はみじんもなく、どころかすくすく健やかに育っている。
最近はカタカナもマスターしてきたのだ。
……ふと、コウヤは閃いた。そういえば他の人間たちは、このタコの出来物に食べ物を与えたりはしたのだろうか、と。
いっそはたかに相談してみたほうがいいのだろうか。
「ねえ、はたかちゃん」
「なに?」
「そのタコの出来物ってさ、ごはん食べたりおもちゃで遊んだりする?」
「また藪から棒だねえ……どうしてそんなこと聞くの」
「俺、そのタコの出来物、育ててるんだ。由美子っていうんだけど」
雨足が急に強まる。反して、電話口がやおら、静けさに包まれた。
果たして、話して正解だっただろうか。湿る熱のせいか、シャツが肌にはりついて気持ち悪い。
よく考えれば、彼女はタコのバイトをしているとはいったが、具体的にどんなバイトをしているかまでは聞かされていなかった。
もし今の一言のせいで、由美子に害が及ぶ可能性を考えておけばよかったか。
数秒ほど言葉を失うも、はたかの深呼吸する音が聞こえた。
「──瀧くん、そのタコを育ててどれくらいになる?」
「二か月くらい。それ、例のバイトの話と関係あるんスか?」
「あるよ。ちょっと待ってて」
電話口のはたかは、つとめて冷静な声で告げる。
背後から男の声がする。「通話は切らないでね」とはたかは言うと、電話口を手で押さえて、誰かと会話しているようだった。
長い時間置き去りにされたまま、コウヤは空いた手で、由美子の小さな体を撫でていた。
不穏な気配を電話とコウヤから察知したのか、由美子が小さくしょもしょもと体を縮こませる。
十分程度のやりとりの後、はたかの声が戻ってきた。
「先生から許可貰えたから、話すね。
瀧くん、さっきタコの出来物の病気の話はしたよね」
「うん」
「あれ、本当は病気じゃなくて、新種の生き物なんだ。表向きは病気扱いなんだけど」
やっぱり、と唇だけ動かして、由美子の触手の一本と人差し指でハイタッチする。
疑問が風船のように、どんどん浮かび上がってくる。
由美子は──何者なんだろう?
「門代大学は、その新種のタコを研究しているってこと?」
「うん。由美子ちゃんの話をしたら、大学に来てくれないかって」
「……解体されたり実験されたりしちゃわないスか?」
「しないしない。二ヶ月も生きている個体なんてとても珍しいから、是非この目で見てみたいって先生たちが言ってた」
「そうなんだ。ごはんあげればいいのに」
「タコについては、分からないことも多くて。
それに由美子ちゃんや瀧くんの仲間だっているから安心して。……来てくれる?」
こればかりは、少し悩んだ。
もし害が及ぶなら、由美子をおいそれと危険な目に遭わせるわけにはいかない。
けれど、他にも同じようなタコがいるという言葉に揺らいだ。
コウヤは驚異的なまでタコ狂いであったが、由美子が尋常ではないタコであることは理解していた。
だから人に見せることはあっても、「ちょっと変わったタコ」という程度の説明で流してきた。
――由美子もひとりで寂しいかもしれない。仲間がいたら何か変わるだろうか?
結局判断を促したのは、由美子に対する親心と、はたかに対する一抹の疑問だった。
「分かった。行ける日が決まったら連絡するッス」
「ありがとう、瀧くん。会うの楽しみにしてる」
そう言って、はたかは電話を切る。
暫くの静寂の後に、ふと思う。昔、はたかは俺を何と呼んでいたっけ。
コウヤを名字で呼ぶ人間は、一人だけだった気がする。単に気のせいだろうか。
こんこん、と窓ガラスがノックされ、見やれば、客が棒立ちしていた。たこ焼きを買いに来た客だ。黒い傘で顔が見えない。
慌てて窓ガラスを開くと、コウヤは急いでたこ焼きプレートを熱し始めた。
「こんちゃっす!ご注文は?」
「レギュラー6パック、マヨ多めで」
「あいよ!」
しわがれた、憂鬱そうな声が淡々と注文する。
ちら、と客を見やると、熊のような大柄な男だった。
この町では体格のいい男なぞ珍しくもないが、傘の下でちらりと見えた、濁った三白眼には妙な迫力があった。
「極道みたいな目をしてるな」、なんてコウヤは思いながら、タコ焼きを焼く。
客の男は、隣に儚げな美しい女を伴っていた。亜麻色の髪をさらさら揺らしながら、非難するような目で男をみやっている。
「
そんなに食べれるんですか?家に焼きそばだってあるのに」
「それとこれとは別腹だ。食えなくなったらお前が食えばいいだろ、食べ盛り」
「限度がありますって!それに粉物と粉物を晩ご飯にするだなんて、バランス悪すぎです」
「馬鹿言うな
タコは魚介だから主菜だ。しかも焼きそばは野菜が入ってるから副菜も入ってる。
そこに主食の麺ときた。理想的な飯じゃねえか。
デザートにメロンも買ったろうが、文句言うんじゃねえ」
「反論しかありませんよ!さも正論のように振りかざさないでください!
ビールのおつまみが欲しいだけでしょう、どうせ!」
そんなやりとりの合間にも、お会計を済ませ、焼き上がったたこ焼きを半分ずつ持って二人は去って行く。
なんだかちぐはぐで愉快な二人であった。
由美子と目配せしつつ、ふっと笑って、コウヤは濡れた窓ガラスをしっかりと閉めたのだった。
〇
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